最終話

「……こんなことをしていていいんでしょうか」

「したくないの?」

「やはり、逃避のような気がします……」

「したく、ないのか?」

「……したくないのなら、ちゃんとそう言います」

「ん、そっか」

「……したいんです」

「俺も」

「……ジェイク」

「ん?」

「あの」

「なに?」

「ぼく、は――どうすればいいんですか?」

「ん」

 ジェイクは、キュッと目を細めた。

「キス、して」

「……はい」

 軽く、たどたどしく口づけ、ややあって、アークは恐る恐る、ジェイクの口腔内に舌を差し入れた。

「あ……あの」

 アークは、おどおどと言った。

「こ、こういうふうで、いいんですか?」

「……もう一回」

「……」

 再び、舌と舌とが触れあう。

 より、深く。より、強く。より、激しく。

「――なあ」

「はい?」

「俺は、どうすればいい?」

「あ……あの……」

 アークは、きつく目をつぶった。

「さ……さわって、くれますか?」

「え? ……どういうふうに?」

「それ、は……好きなように、どうぞ。あ、あの、でも、実は、ぼく……」

「ん?」

「あ、あの……頭、なでられるの、好き、なんです。あ、お、おかしい、ですよね。き、気にしないでください」

「俺も、おまえの髪さわるの、好き」

「……そう、ですか……」

 蜂蜜色の波が、揺れる。流れをかきわける指はそのまま、ゆっくりと、うなじへと、胸へと、背中へと下りていき、ためらいを見せて立ちどまった。

「……いい?」

「……いいですよ」

 触れられて、アークは身をすくめた。

「え……どう、して?」

「いや?」

「え……いえ……でも……どうして?」

「ここ、さわられるの、ダメ? 気持ちよく、なんない?」

「そう、じゃ……ないですけど……」

「俺」

 ジェイクは、いささか悄然と言った。

「気持ちよくしてやろうと思ったんだけど、だめだった?」

「そうじゃなくて……あの……そ、それは、まあ、もちろん、快感は、ありますけど……でも、ジェイクに、そんなことをする必要は、ない、でしょう?」

「つったら、俺がいれる必要ってのも、ねえよなあ、絶対」

「……」

 アークは、おずおずと手を伸ばした。

「あの……ぼくも、さわって、いいですか?」

「もちろん」

「……」

「……あの、大丈夫?」

「だ、大丈夫です」

「いや……無理にいれる気、ないから」

「は、はあ」

「こーいうふうにすんでも、いいよなあ」

 体と体が密着する。

「わ」

「すげー……気持ちいー……」

「そ、そう、です、ね」

「重い? 平気?」

「あ、大丈夫、です」

「あ、そっか、アークが上にきたほうがいいか」

「あ、わ」

 抱きしめる。抱きしめられる。口づける。口づけられる。

「あ、あの、ぼく、あの――」

「ん? どした?」

「こ、こういうのなら、怖くない、です」

 はにかんだ、微笑み。

「気持ちいい――です」

「ん、俺も」

「でも、あの――もっと――」

「どうかした?」

「したいようにしてくれて――いいですよ」

「俺はこういうふうにしたいの」

「そう――ですか?」

「――もうすぐ?」

「――」

 目を閉じて、かぶりをふる。

「そうですけど――聞かないでください、そん、な、あ――」

 体が跳ね、動きがとまる。

「――汚しちゃいました?」

「あー、大丈夫、たいしたことないって」

「――ジェイク、まだ、ですね」

「ん――」

 ゆっくりと、指が絡められる。

「いいんですか――これで?」

「へ? 何かまずいことでもあるの?」

「――なら、いい、あ――」

 唇が、重なる。

「――ん」

「――」

 からむ、もつれる、さぐりあう。

「――なあ」

「え?」

「俺、もう――」

「え!? ど、どうしましょうか?」

「ティッシュ、とって」

「あ、は、はあ――」

「――」

「――」

「……あはは」

「……どうして笑うんですか?」

「やっ、ちゃっ、た」

「……そういう言いかたはやめてください」

「気持ちよかったー」

「……そうですか? 本当に?」

「本当に。なんでそんなこと聞くんだ?」

「いいんですか? あの、だから、えーと……」

「いれなくていいのか、って?」

「だから、そういう言いかたは――」

「んー、そーだなー、したいけど、怖い」

「は? ……怖い?」

「なんか……壊しちゃいそうで」

「あの……ぼくを?」

「うん」

「ぼくって、そんなに頼りなく見えますか?」

「だって」

 手首を、つかむ。

「おまえ、妖精みたいなんだもん」

「そんなふうに、見えます?」

「天使かもしんない」

「……やめてください」

 唇が、震える。

「ぼくは、そんなに綺麗じゃない。全然、綺麗じゃない。たとえ綺麗に見えたとしても、それはぼくの手柄でもなんでもない」

「でも、俺の目には綺麗に見える」

 屈託のない、笑い。

「そう――ですか?」

 ためらい、とまどい、疑いながらも、視線をあわせる。

「それは……こう言っちゃなんですけど、見た目はね、確かに綺麗ですよ、それなりに。でも、そんなの、ぼくの力でそうしたわけでもなし――見たでしょう? ジェイクだって、見たでしょう? ぼくの中身なんて――わがままで、身勝手で、優柔不断で、するべきこともできなくて、依存性が強くて、偉そうなこと言うくせに、一人じゃ――何も――できなくて――」

「そうは見えねえけど――でも、もし、そうでも、ヤッパ俺、おまえのこと、好き」

「――どうして?」

「どうしても」

「こんなに、情けないのに? 泣き言ばっかり言うのに? 勝手なのに? それなのに――それでも、好き?」

「アーク」

「はい?」

「俺を、信じろ。俺はね、好きって言ったら、好きなの。惚れてるの。愛してるの。めっちゃくちゃ好きなの」

「――本当に?」

「本当に」

「どうして?」

「どうしてでも」

「――どうしてでも、ですか……」

 小さな笑い。

「そう言われてしまったら、もう、すべての反論を封じられたも同然ですね」

「ピンポーン。俺の勝ち。決定!」

「……」

 大きな笑い。

「そう……ジェイクの、勝ち、です」

「でも、な」

「え?」

「おまえの負け、じゃ、ねえぞ」

「……そうなんですか?」

「そうなの」

「……そうですか」

 二つの笑い。二人の笑い。

「ジェイク」

「ん?」

「壊れませんよ、ぼくは」

「……え?」

「だから……ね?」

「アーク……」

「だから……いいですよ。あ……そうじゃ、ないですね。あの、だから……抱いて――ください――」

「い――いいの?」

「ぼくを、信じなさい」

 はにかんだ、だが、いたずらっぽい笑い。

「いくらぼくの性格に問題があるといっても、好きでもない相手にこんなことを言ったりしません。あの――こんなことを言うのも、こんなことをしたのも、あの――ジェイクが、初めて、です――」

「――うん」

「朝に――明日になったら、ぼくは、また――また、いろんなことを考えるんでしょう。考えてしまうんでしょう。そう――そうしなければいけないんです。考えなければいけないんです。考えて、考えて、そして、前へ進まないと――。でも――今は――今は、無理、です。今は、考えられない。今は――目の前の、人の――ジェイクの、こと、しか――」

「アーク――」

「これ、は――やはり、逃避、なんでしょうか?」

「それが逃避なら、俺なんて逃げっぱなしだな」

「あ――えっと――」

「逃げよっか?」

「え?」

「二人で」

「ええ――そうですね――」

 透き通った、微笑み。

「また――戻ってくると――一緒に、戻ってくると、約束して、くれるなら――」

「ん――これって、やっぱ、三角関係だよなー」

「は!? ……誰と誰と誰の?」

「俺と、アークと――火星の」

「ああ……そうかも、しれませんね」

「でも。いいや」

「いいんですか?」

「だって」

 広がる、笑い。互いの瞳に、互いが映る。

「おまえ、今、ここにいるじゃん。俺のこと、見てるじゃん」

「……ええ」

 そして。

 その先に、もはや、言葉はなく――。







「アイスクリーム・ジャンキー アイスクリーム・ジャンキー

 ジャンキー ジャンキー アイスクリーム・ジャンキー」

「……おはようございます」

「あ、起きた? おっはよー」

「ご機嫌ですね」

「わっかるー? 俺もう、全力全開絶好調!」

「……はあ、そうですか」

「アーク……大丈夫?」

「大丈夫です。ただ――」

「ただ?」

「昨夜のことについては、もう触れないでください。ぼくは、完全に普通の状態じゃありませんでしたから」

「ん、わかった」

「あ、あの、でも」

「ん?」

「ジェイクのこと、好きだ、って言ったのは、あの――本当ですから。ぼく、ジェイクのこと――好き、です」

「――アーク」

「はい?」

「最高」

「ど、どうも」

「今、めしつくっちゃうから」

「ありがとうございます」

「有給、とった?」

「さっき電話をいれました」

「そっか」

「手伝いましょうか?」

「んー、いや、いいよ。もうできるから。なあ、アーク」

「はい?」

「目玉焼きとオムレツとスクランブルエッグ、どれがいい?」

「あ――じゃあ、オムレツを」

「わかった」

 ジェイクは、鼻歌を歌い始めた。

 流れるメロディーは、『アイスクリーム・ジャンキー』

「――アンタレスは、嫌いです」

「え? あ、ごめん」

「めそめそしてて、愚痴っぽくて、そのくせ妙に能天気で――嫌いです、アンタレスなんて。反抗的で、この世界にケチばっかりつけてるくせに、新しいものを創るわけでもなくて。でも――おかしいですね。いつの間にか、耳がメロディーを追ってる。聞きたくないはずなのに、最後まで聞いてしまう。聞いたら、覚えてしまう。――おかしい、ですね」

「んー……そういうことも、あるだろ」

「……ジャンキー ジャンキー」

「アイスクリーム・ジャンキー」

「……アイスクリーム、なんてね、なくたって、いいんですよ。ここは――火星は、ずっと、冬なんだから。それは、一応四季はありますが、でも――暑さを感じることなんて、ないんですから。アイスクリームなんて、いらないんですよ。必要、ないんですよ」

「でも、アイスクリームって、うまいぜ」

「……確かに」

「俺、ストロベリーが好き」

「ぼくは、バニラが」

「それも捨てがたいな」

「捨てがたい、ですねえ」

 アークは、静かに笑みを浮かべた。

「ぼくも――アイスクリーム・ジャンキーなのかもしれません」

「嫌いだろうけど――歌わねえ、一緒に?」

「歌いましょうか――一緒に」

 そして。


『アイスクリーム・ジャンキー アイスクリーム・ジャンキー

 ジャンキー ジャンキー アイスクリーム・ジャンキー』







『あの。

 あの――返事が遅くなってしまってごめんなさい。謝ってすむことじゃないですが、それでも、ごめんなさい。

 あの、まず言いたいのは――ぼくは、今度のこと――ショックでしたけど、でも――ぼくは、あなたのことも、ライドさんのことも、好きで、大好きで、愛していて、それは、もう、あの、絶対に変わりません。そう――ですね、驚きました。とても、驚きました。でも、いやじゃ、ありません。

 ――もっと早く、言えばよかった。

 ノアさん。

 ぼくは、ずっと、コンプレックスを持っていました。

 ぼくは、あなたのようにはなれない。

 あたりまえだ、と、あなたは笑うでしょう。

 でも、ぼくはつらかった。

 ぼくは、あなたのクローン――だと、ずっと思っていた。

 だから、ぼくがあなたより劣る、といことになってしまったら、そうしたら、環境が悪い、と――ぼくの愛している火星のことを、貶められるんじゃないかと思って、それが、いやで、それだけは、いやで、本当に、いやで――。

 ずっと、ものすごく、こだわっていました。

 だから、クローンじゃない、と言われて――。

 どうすればいいのか、わからなくなってしまいました。

 でも、あの――なんと言ったらいいんでしょうか。クローンでも、そうでなくても、ぼくがぼくであることに、変わりはないんですね。

 あなたは、ぼくに、ずっとよくしてきてくれた。ライドさんも、ぼくに優しかった。義父も、義母も、義姉達も、みんなぼくをかわいがってくれた。

 そうして、ぼくは、ぼくになった。

 だから。

 ぼくは、ぼくなんですね。

 うまく言えないけど、まだこだわりは捨てられないけど、これからもきっと悩むんでしょうけど、それでも――。

 ぼくは、アーク。

 アーク・イェール。

 あなたとは違う。

 ノア・イェールじゃない。

 あたりまえですね。

 でも、ぼくは、わかっていなかった。

 もっと、早くわかっていれば。

 きっと間にあったのに。返事ができたのに。

 ごめんなさい。

 ――混乱しているあいだに、いろいろと考えました。

 ぼくは、何も知らない。

 知ろうとしなかった。

 ノアさん。

 教えてくれますか?

 あなたのこと。

 ライドさんのこと。

 あなたが住んでいる街のこと。

 あなたの家族のこと。

 あなたの愛した人のこと。あなたが愛している人のこと。

 あなたを愛した人のこと。あなたを愛している人のこと。

 もっと早くにこういう話をすればよかったですね。

 遅すぎたかもしれないけど――。

 教えてくれますか?

 そして。

 あの。

 聞いてくれますか?

 ノアさん。

 ぼく――。

 好きなひとが、できました』




『アイスクリーム・ジャンキー』・終

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アイスクリーム・ジャンキー 琴里和水 @kotosatokazumi

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