第3話
「……」
ジェイクは、まじまじとアークを見つめた。
「あ、あの」
アークは、おろおろと言った。
「お、怒りました?」
「……」
ジェイクは、強くかぶりをふった。
「あ……よかった」
アークは、ホッとしたように笑った。
「……なあ」
ジェイクは、恐ろしいほど真剣な声で言った。
「どうしよう」
「え? 何がですか?」
「……すっげえ、したい」
「別に、いいですよ、して」
「いや、その……」
ジェイクは、真っ赤になって口ごもった。
「だからさ……」
「だから?」
「……キスだけじゃなくて」
「……」
アークの頬も染まった。
「あ、で、でも、しないから! だ、大丈夫! おまえのいやがることは、しないから!」
「……いいですよ」
「……え?」
「……いいですよ、して」
「……やめろよな」
ジェイクは、半分怒ったように言った。
「俺、おまえの弱みにつけこむようなことはしたくない。今のおまえ、普通じゃねえもん。だから、しない」
「弱みにつけこんでるのは、お互いさまです」
アークは、泣き出しそうな笑みを浮かべた。
「甘えてますね、ぼく」
「いや――それは別にいいんだけど」
「いいんですか?」
「そりゃもちろん」
「――あの」
「ん?」
「ちょっとだけ、いいですか?」
「なにが?」
「――失礼します」
アークは、ひどくおずおずと、ジェイクに抱きついた。ジェイクは、そっと、本当にそっと、そのか細い体を抱きしめ返した。
「――本当は」
アークは、小さくささやいた。
「こんなことをしてる場合じゃ、ないんですよね。こんなに甘えちゃ、いけないんですよね。――わかってます。わかってるんです。何をやらなければいけないのか、本当はわかってるんです。でも」
アークは、細い腕に力をこめた。
「少しだけ、いいですか? 少しだけ、こうしていてもいいですか?」
「いいよ」
ジェイクは、静かにアークの髪をなでた。
「おまえ、そうしたいんだろ? だったらそうしろよ。俺はかまわないよ」
「――ジェイク」
「ん?」
「ジェイクも、あの――したいようにして、いいですよ」
「別に、そんなふうに気を遣わなくていいよ。――無理するなよ」
「無理、じゃ、ありません。――少し、怖いですけど」
「――こうしてると、気持ちいい」
ジェイクは、アークの頬に自分の頬をあてた。
「このままでも、いいかもしんない」
「でも――もっと、したいんでしょう?」
「俺はね。アークは?」
「ぼく、は――」
アークは口ごもった。
「よく――わかりません。ごめんなさい。本当にわからないんです。ぼくには、そういう欲求はほとんどないし――ジェイクのことは好きですけど、だけど――」
「ん、いいよいいよ。だからさ、無理すんなって」
「ジェイクのほうこそ、無理してませんか? ぼく、わがままでしょう? 煮え切らないでしょう? 感情的で、子供っぽいでしょう? いやになりませんか? 我慢してるんじゃないですか、いろいろと?」
「ああ、そんなこと、別になんとも思わない。我慢するも何も、そもそもなんとも思ってねえもん。平気だよ、別に」
「そう――ですか? 本当に?」
「うん、本当に」
「――」
アークの大きな瞳から、涙があふれた。ジェイクは、アークの濡れた頬に軽く口づけた。
「どうして――でしょうね」
アークは、小さくしゃくりあげた。
「ジェイクは、物凄く純粋に、ぼくのことを好きだ、って言ってくれるのに、なのに、ぼくは、どうして――」
「アーク……」
「ジェイクのことは、好きです。本当に、好きです。だけど――だけど、ぼくは、ジェイクのようにはなれない。ジェイクのようにはできない。ぼくは――」
アークは、わなわなと唇を震わせ、震える声を絞り出した。
「ジェイクが、ぼくにそうしてくれるようには――ジェイクのように、相手のことを一番に考えることは――できない。ぼくは、どこかで、いつも自分のことを――自分のことばかりを考えていて。自分のこと、火星のこと、地球のこと、ノアのこと、家族のこと、宇宙のこと、未来のこと――本当に、いろいろ考えてしまって。ジェイクのことを考えていても、途中から別のことを考え始めてしまったり――」
「それ、本当か?」
「ごめんなさい――」
「じゃなくて。なあ、それ、ほんとに本当? おまえ、俺のこと考えてくれたこと、あるの?」
「え? それはもちろん、ありますよ。だって――ジェイク、ぼくのことが好きだ、って言ってくれたでしょう?
あの――変な話ですけど、ぼく、こういう容姿でしょう? それに、自分で言うのもなんですけど、結構有名ですし。だから、その、なんというか――そういう対象として見られたことは、何度か、というか、何度も、というか、とにかくあったんです。ぼくのほうには全然そんなつもりがなかったんで、いつも丁重にお断りしましたが。だから、好きだ、って言われるのは、初めてじゃなかったんですけど、でも、あの――ジェイクにするみたいに、甘えてしまったり、泣きついてしまったり、みっともないところを見せてしまったりするのは、初めてで、だから――なんというか、自分でも不思議で。
好きだ、って言ってくれたのだけが、原因じゃないんですよ。でも――ああ、なんて言ったらいいんでしょう。ぼくもジェイクのことが好きなんですよ。でも、ぼくは、ジェイクのように純粋じゃなくて、ジェイクのことを利用していて、その好意に甘えていて、つけこんでいて、だから、だから――どうしてぼくはこうなんでしょう。ひとからもらうばっかりで、ひとのことを考えることが、思いやることができなくて、だから――」
「アーク……」
「だから――だから、ね、ぼくにできることならしてあげたいんですよ。ライドさんには、何もしてあげられなかった。……それはもう、変えることができません。でも――ジェイクになら、できるから。ノアにも――返事、してあげられるといいんですけど。でも、それは、まだ、できるかどうかわかりません。――できると、いいんだけど。あの、ジェイク、ぼく、あの――できる、と、思いますよ。あの――経験は、ありませんけど。あの――ええと――でも、多分、大丈夫ですから。ジェイクなら――いい、です」
アークは、少し、照れたように笑った。
「なんだか、愛の告白みたいですね」
「うん――ごめん、そういうふうに聞こえる。これって、やっぱ、俺の、えー、あー、がんぼう? 願望の成せる技か?」
「……いいんですか?」
「え?」
「ぼくで、いいんですか?」
「俺、最初っからそう言ってるつもりだけど?」
「でも、ぼくは――ジェイクのことを一番に考えることは、できませんよ? すごく、勝手ですよ? わがままですよ? 情けないですよ? みっともないですよ?」
「どうだっていいよ」
ジェイクは、かすれた声で言った。
「どうだっていい、そんなこと」
「――不謹慎、ですよね」
「え?」
「ライドさんの喪中にこんなことをしているなんて」
アークは、至極真面目な顔で言った。ジェイクも、真面目な顔で考え込んだ。
「ごめん、でも、俺、したい」
「――あの」
アークは、ジェイクの肩に顔を押しつけた。
「ぼくも――したい、みたいです」
「い――いいの?」
「――」
アークは、ジェイクの肩に動きを伝えた。
ジェイクは、それを正しく受け取った。
肯定の、うなずきを。
「えーっと、おまたせ」
「――」
アークは、無言でうなずいた。部屋の隅から、対角線を挟んでちょうど反対に位置するベッドを、じっと見つめている。
「どうする? やっぱ、やめる?」
「――」
アークは、やはり無言でかぶりをふった。ジェイクは、少し笑った。
「そっか。んじゃ、さ、どういうふうにやる?」
「え?」
アークは首をかしげた。
「どういうふうに、って?」
「え? だってさ、やりかたいろいろあるじゃん」
「……そうなんですか?」
「え? 違う?」
「さあ……よく、わかりません」
「うん……実は、俺も、やったことはない」
「……」
アークは、不安を具現化したかのような目でジェイクを見つめた。
「あ、でもさ、要するに、いれなきゃ痛くはないわけだよな」
「……」
アークは、がっくりと肩を落とした。
「……そういうことを、そんな大声で言わないでもらえますか?」
「ん? あ、ごめん。え、でもさ、でも、やっぱ、いきなり、ってのは、まずいよな?」
「……いきなりじゃなくても、まずいんじゃないでしょうか?」
アークは、ブツブツと言った。
「そもそも、そういう機能のない器官なわけですから。ああ、でも、ぼくには生殖能力がないわけで、と、いうことは、ぼくにとって性行為というものは必然的にすべて快楽のみを追求するのがその目的になるということであり、つまり、生殖に関連しない性行為は不道徳であるという規範に従うとすれば、ぼくは一生不道徳ではない性的交渉を行うことが不可能になるということであり、ということはつまり、やはりぼくがこの際とるべきは、性的行為はコミュニケーションの一環であり、生殖は目的ではなく結果だという立場であるわけで、と、いうことは、えーと――」
アークは、二、三度つばを飲みこんだ。
「つまり――両者の合意があれば、好きなようにやっちゃってかまわないんじゃないでしょうか?」
「で、アークはどうしたいわけ?」
「ジェイクは、どうしたいんですか?」
「俺は、だから――」
ジェイクは、照れたように笑った。
「おまえのこと、抱きたいと思う」
「えーと、あの――挿入を、伴いますか?」
「うん、伴いたい。できれば」
「……」
「まあ、無理なら、他にも手はある」
「……そればっかりは、さすがに、やってみないとわかりません」
「だよな」
ジェイクは、小首を傾げた。
「俺が受けよっか?」
「……」
アークは、ものの見事に唖然呆然の見本のような表情になった。
「……あの、それは……」
「やっぱ、無理?」
「無理、といいますか……」
アークは、深いため息をついた。
「ぼく達は、いったいここで、何をやっているんでしょうか?」
「え? ナニをしようとしてるんじゃねえの?」
「それ、洒落ですか?」
「いや、違うけど」
「はあ、そうですか」
アークは、しばししょっぱい顔でジェイクを眺め、ややあって、不意に苦笑した。
「……とりあえず、やれるところまでやってみますか? それが一番、なんというか、その――応用がきくと思いますが」
「ん――だよな。で、さ」
「はい?」
「俺がおまえを抱くんでいいの? それとも、お互いに手とか口とかを使って――」
「具体例を列挙しないでください」
アークは、あわててジェイクの言葉をさえぎった。
「ぼくが、だから、その、ええ――う、受けるほうでかまいませんから。ええと、なんというか――」
アークは、深くため息をついた。
「恐らく、それが一番うまくいくんじゃないでしょうか。……多分」
「ん、わかった。ところでさ」
ジェイクは、チラチラと床とベッドとを見比べた。
「床でやるのか?」
「……」
アークは、憮然たる表情でジェイクをにらんだ。
「……どこからそんな考えが出てくるんですか?」
「いや、そういうふうにベッドから離れた場所にいる、ってことは、ベッドじゃやりたくないのかと思って」
「あの……違いますから。どうして初体験を床の上なんかでしなくちゃいけないんですか?」
「あ、だよな、やっぱり。いや、違うだろうなー、とは思ってたけど、一応聞いとこうかと思って」
「それはどうも」
アークはむっつりとこたえ、少しおずおずとジェイクを見つめた。
「……怒りました?」
「え? なんで?」
「ぼくって……あの……かわいげがないですね」
「んなこたねーよ」
ジェイクは破顔した。
「すっげーかわいい」
「……はあ」
「かわいいっていわれるの、いやか?」
「いえ、別に」
アークは、少し上目づかいに考え込んだ。
「しかし、かわいいですかね、ぼくって?」
「えー、だって、かわいいじゃん」
「はあ、そうですか」
アークは、小さく口をとがらせた。
「まあ……いいですけどね、別に」
「なあ」
ジェイクは、精一杯伸びあがりながらアークの顔をのぞきこんだ。
「しても、いい?」
「――」
アークは、小さく笑った。
「いいですよ」
「じゃ、さ、こっち来てくれよ、こっち」
ジェイクは、アークの手をひっぱった。
「立ったまんまじゃ、身長差がありすぎる」
「低重力が人体に及ぼす影響については、引き続いての考察の余地がありますね」
アークは、半ばおどけたように、だが、半ばは真面目に考え込んだ。
「火星人と地球人との体格の差は、これから広がることはあっても縮まることはないでしょうから――」
「あ」
ジェイクは、ハッと息を飲んだ。
「なあ」
「はい?」
「やっぱ、思いっきりやっちゃまずいか?」
ジェイクは心配そうに、自分よりはるかに背の高い、だが、自分より格段に華奢な、アークの体を見つめた。
「どれくらいなら、平気?」
「そういうふうに、気をつけてくれていれば大丈夫ですよ。ジェイクは、もう長いこと火星にいるから、その――言いかたは悪いですけど、筋肉も相当衰えてきているはずですし。あの――もちろん、基本的に、というか、根本的に体格が違いますから、その、あまり力を入れられてまうと、やっぱり、その――まずいんですけど」
「わかった」
ジェイクは、強くうなずいた。
「気をつける。アークも、ヤバいと思ったら、すぐ言えよ」
「わかってます」
アークはうなずいた。
「明日も仕事ですし」
「え?」
ジェイクは目をむいた。
「明日、仕事?」
「はあ、そうですが?」
「……休まないの?」
「どうして休むんですか?」
「……」
ジェイクは、ため息をついた。
「有給、とったら?」
「どうして?」
「いや、アーク、今、かなり疲れてるわけだし、これからもっと疲れるわけだし……」
「いえ、そんな個人的な理由で有給をとるわけにはいきません」
「おい……じゃ、どんな時に有給とるわけ?」
「……病気の時、とか」
「疲労をそのままにしておくと病気になるんだぞ」
「……それは」
「明日一日休むほうが、あとで一週間寝込むよりもいいと思うぞ。そのほうが得じゃん」
「それは……そうですけど。でも、そんな、急に……」
「急ぎの仕事とか、あるの?」
「いえ、別に……」
「じゃあ、いいじゃん」
ジェイクは、アークの背を、ポンポンと叩いた。
「休んじゃえ休んじゃえ」
「はあ……」
アークは、いささか不安げにジェイクを見つめた。
「あの……」
「ん?」
「そんな、休みをとる必要が生じるようなことをやるつもりなわけなんですか?」
「……」
ジェイクは、照れながらも、不穏に微笑んだ。
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