おじいちゃんが8歳の頃
夢の中で会った人
「まず、おじいちゃんが8歳だった頃の話からだな。」
おじいちゃんは降り始めの小雨のようにぽつりぽつりと話し始めた。
「おじいちゃんは気づいたら児童養護施設で暮らしていたんだ。」
***
他のことは語れるほどはっきりと覚えているのに、一つのことだけがすっぽり抜けてしまって覚えていないことがあるだろう。前後のことはそのときの状況から感情まで鮮明に蘇る。けれどあることだけが型抜きで抜いてしまったように思い出せない、そんな経験。
俺の場合、そのあることは両親だった。気がついたら施設暮しで、自分が親に会ったことがあるのかも覚えていない。記憶喪失という訳では無いようだった。自分のプロフィールや学校の友達のこと、理解があるふりをする担任の先生が嫌いだということも、近くの肉屋のおばさんが時々くれるコロッケのおいしさも全部覚えているのに。
親の記憶だけがない。
湘南の海に行って人の多さに恐怖を覚えた時、誰の元へ駆け寄って誰にすがりついていたっけ。
友達と喧嘩して大泣きした時に、美味しいココアを作って慰めてくれた人は誰だ?
施設に入る前に、マンションの7階の角の部屋で一緒に暮らしていた人は?
親といたことは確かなのに、顔も声も温もりも、何も覚えていないだなんて悲しすぎる。いや、俺より両親の方が辛いに違いない。息子にすっかり忘れられているのだから。
同じように祖父母のこともその他親族のことも知らなかった。だから身寄りがなかった。そして、両親は死んだわけじゃないから、ある日突然姿が消えてそして皆の記憶からも消えたわけだから、誰も俺が1人ということにしばらく気が付かなかった。
隣に住んでいる友人の親も、俺のことは覚えているが親のことはさっぱりのようであった。だから子供がひとりで住んでいることに疑問を感じても、俺が住んでいることには疑問を抱かなかったらしく、ひとりで混乱に陥っていた。しかし子供だけで暮らせるわけがないと、親切にも児童養護施設に電話をして手続きをしてくれたのだ。
そんなわけで俺は施設にいた。でも辛い生活ではなかった。時折寂しさで心臓が絞られるような思いをしていたけれど、ひとり部屋で小遣いも少なくなかったし、学校に行けば友達もいてひとりではなかった。
このまま普通の人と同じように生きていられると思った。
夢を見た。
変な男がいた。
見て呉れだけでは年齢を特定できない。低身長や、細い脚には大きすぎる黒い七分丈のズボンに、それを支えている太いサスペンダーなどはその頃の俺と同等の子供らしさを放っている。しかし瞳孔の開いた目はその子供じみた身なりには恐ろしく不釣り合いで、かわいさの無いにやけた笑顔は長年その顔を保ったまま固まってしまったような色の無い笑顔だった。
ピエロが履くような七色の、先が細くカールしたふざけた靴を揺らしてその男は近づいてくる。
「こんにちは。」
爽やかで元気な声が響いた。将来への希望をまだ忘れていない青年のような。
顔も身なりも声もちぐはぐな男は、自分の夢の中だというのにさっきから全く動いていない俺を見て、ニンマリした。微笑もうとしていたのだと気づくまで、時間がかかった。気づいた頃には男はもう話し始めていた。
「ボクは案内人。キミが持つ能力について案内するために、キミの夢にお邪魔させてもらったんだ。」
「ノウリョク?」
8歳の俺は「能力」という言葉を知らなかった。
故になぜこの男が現れたのか未だ理解出来ず、警戒心が増すばかりだった。
「そう、能力。キミは普通の人にはない、特別なものを持っているんだよ。」
男はさっきの不器用な微笑みを見せた。
「ただしキミの能力には限りがあって、たくさん使えるものではないんだ。右腕を見てごらん。」
俺は呆然としたまま、言われた通り右腕に目をやった。
青くて薄いパジャマの袖を少しめくると、手首には不気味に赤く光るデジタル表記の数字が浮かび上がっていた。
「10……。」
これが百とか千とかだったら、なんとも思わなかっただろう。しかし10という数字は何かのカウントダウンのように思えてならない。大晦日のカウントダウンのように、0になった瞬間、リセットされて全てが新しくなってしまうような、そんな予感がした。
「これ、なに?」
恐る恐る聞いた。案内人はニカッと
「キミが能力を使える回数さ。」
「0になったらどうなるの?」
「キミが消えるんだよ。」
案内人の唇の動きが大袈裟に、そしてねっとりと粘り気を持って見えた。
「…僕が?それって痛いの?」
馬鹿みたいな質問でも、その頃の俺には重要だった。俺は苦しみたくはない。
「痛くはないよ。ただすぅっと空気に混じるように消えるんだ。そして、誰からも忘れられる。」
そのセリフと案内人の嗤い顔に、背筋が凍った。
11回目の魔法 飛竜 @rinky
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