珈琲 三葉虫館
珈琲 三葉虫館
土曜日の午後。
僕はその透かし彫刻の鋳造看板と、手元のスマホの地図情報とを交互に眺めながらその店に入る決心が中々つかずにいた。
三日前の余りにも鮮烈で異常な体験。
結局僕は、そんなことを相談できる相手を一人しか持たなかった。
『俺をからかっとんのか? 』
三日前の夜。
あの出来事の直後。
一通り話を聞いたミッチョンは、怒った様子ではなく、本当に問い掛ける調子でそう言った。
「冗談なら、ええんやけどなぁ……。解決はでけんかも知れんくても、せめてあの子がどういう事情だったのか、そのヒントでも解ったら……」
『……無理やな』
「やよなぁ……」
『けど、心当たりはある』
「え⁉︎ い、異星人界隈に? 」
『アホ。んなんわけあるかい。そういうワケ分からん出来事について調べたり考えたりしてくれる専門家に心当たりがあんねん』
「誰それ? 教えてや」
『……けどなぁ』
「なに? 」
『高くつくかもしれへんで』
「お金かぁ……」
『ちゃうねん』
「え。じゃあ、何を取られるん? 」
『人生のひとかけら』
「……は? 」
『もしかしたら、この先の人生が大きく変わるかも知れへん。逆にそうならないかも知れへんけどな。とにかくリューチの人生の一部はその人達のものになる。
ま、行って話したら分かるわ。殺されたりするわけやないさかい、行って話だけでもしてみ。その場で考えて、相談をやめて帰ることもできるわ。多分な』
「多分て」
『それになぁ……』
「まだなんかあるん? 」
『その専門家すら、答えを導き出せへんかも知れんで。答えが出たとしても、リューチが納得行く答えとは限らんし、納得行く答えだったとしても得るものは何もないかも知れん。それどころか……』
「それどころか? 」
『……その答えの先に行き着くことで、大切な何かを、失うかも』
「……」
『悪ィ。無闇に脅かそうってわけやないねんで。俺の紹介する専門家は、一度相談したらトコトン調べて、対処すると思うねん。リューチが途中でやめてくれ言うても勝手に調べはると思うねんな。
だから半端な気持ちならやめた方がいいし、相談するなら……覚悟はしといた方がええ思うで』
息を一度吐いて、吸う。
「……教えてや。その専門家の連絡先」
『そう言うと思ったわ』
フォン、とスマホが着信を知らせる。
ミッチョンからのメールだ。タイトルは「連絡先」。
開いて見ると添付されたどこかのアドレス。
それ以外に文言はない。
僕はつばを飲み込んで、そのアドレスをクリックする。
「……三葉虫の会? 」
煉瓦模様を背景に使った怪しいタイトルのホームページ。
無料のホームページビルダーで作ったようなデザインはどこか一昔前で、なんだか不安にさせられる。
ページタイトルのすぐ下に相談受付の投稿フォーム。
更にその下に連なって過去の相談・解決案件などが日付順に並ぶ。
僕は深呼吸をすると、さっきあった異常事態を整理しながら、テキストボックスに打ち込み始めた。
そこからはトントン拍子に話は進んだ。二、三の簡単なメールのやり取りの後、指定されたSNSアカウントと相互フォローになり、第三者からは見られないDM……ダイレクトメッセージのやり取りで少し突っ込んだ質問を幾つかされて、僕はなるべく感情を交じえずに淡々と事実だけをもってそれに答えた。
最後から二番目のメッセージにはここの地図情報と日時とが書かれていて、来訪に問題がないかと訊ねられた。
ありません、と答えると最後のメッセージにはこうあった。
では、これ以上の詳細はその時に。あなたとお会いできるのを楽しみにしております。
三葉虫の会 一同
***
待ち合わせ十五分前に僕は目的地に着いた。
駅からは徒歩五分。
表の大通りと飲み屋が立ち並ぶ歓楽街を繋ぐ路地の丁度真ん中にその透かし彫刻の青銅の看板を見つけた。
太古の節足動物を意匠化したその突き出し看板の下にはしかし扉はなく、ぽっかりと縦長の穴が黒々と口を開けている。
穴の周りはレンガだが、赤い真新しいものではなく、ベージュの、角も落ち所々欠けた古びたレンガで、少なくともレンガ自体は作られてから何十年も経っているような雰囲気だ。
オレンジ色の小さな灯火が奥に向かって斜めに下る黒い天井板に控え目に輝いている。
どうやら地下に降りる階段があるみたいだ。
土曜の午後ということもあり、そこそこに人通りはあるものの、誰一人その看板の下の階段を降りて行く者はない。
まるで結界か何かで、その入り口が見えているのが僕だけのような……いや、単に流行ってないだけかも知れないな。
いかんいかん。どこかシチュエーションに呑まれかけている。
僕は気を取り直して背筋を伸ばすと、道を渡ってその入り口のすぐ手前まで歩を進めた。
ひんやりした空気。控え目に聞こえてくる音楽はボサノバ、かな?
近づいてよく見ると、下り階段の天井も壁もざらざらとしたモルタルを濃いグレーに塗装したもので、そこかしこに海外アーティストの雑誌記事や新聞記事の切り抜きやポスターが貼られていた。
そのどれもが貼られてから七、八年は経っているような色味に変色している。しかし壁や天井の稜線、また貼られたもの同士の間隔などが真っ直ぐで一定にきちっと貼ってある為、見すぼらしい感じはしなかった。
階段には踏み板として年季の入った厚い板が貼られており、手摺の代わりか壁には長いロープが丸穴の金具で打ち付けてある。
階段を降りた先は狭い踊り場になっていて、曲線で象られた優美なサイドテーブルが一つ。
左手の壁にはドングリ型にてっぺんが尖った重厚な木のドア。
サイドテーブルには鈍い輝きの銀の花瓶が一つだけ置かれており、細かい花弁が何重にも同心円を描く真っ赤な花が一輪飾られている。
そしてドアには、くすんだ黄銅のプレートが鋲で留めてあった。
Cafe Trilobite
カフェ トリロバイト。
縁取りの線とローマン体で綴られた素っ気ない店名の銘板。
こういうのって英訳しちゃうもんなんかな?
……まあお店によるか。
僕は深く深呼吸をして、力を込めてそのドアを押し開けた。
ドアベルの音。
溢れだす強いコーヒーの香り。
「いらっしゃいませ」
女性の声の挨拶。
ピアノメインのボサノバ。
まず目に飛び込んで来たのは意外にスマートで現代的なレジスターと、その下の台を兼ねたガラスケースだった。
ライトアップされたその中身は大小の化石で、その殆どが様々な色や形、大きさの三葉虫の化石。
中でも三、四十センチはありそうな二匹の三葉虫が重なりあった化石は目を引いた。
その表面の緻密な模様から伺い知れる保存状態の良さや、化石自体の欠損のないシルエットの美しさは、素人の僕にも、価値の高いものだろうと思わせた。
なるほど。三葉虫館、か。
そしてレジ台と連なって並ぶ大きなショーケース。
ケーキ屋さんで良く見かける冷蔵庫を兼ねたケースのようで、こちらもライトアップされた空間にケーキやサンドイッチ、透明樹脂のカップに収まったサラダなどが結構な数、整然と並んでいる。その奥は厨房のようだ。
「お一人様ですか? 」
にこやかに出迎えてくれた小柄な女性店員はダークブラウンの髪を簡単に結い上げた控えめなメイクの理知的な印象の美人さんで、白いブラウスに黒い厚手の生地のエプロンをしている。
三葉虫のマークが入っている所を見ると、このお店のユニフォームなのだろう。
「あ、待ち合わせをしてまして。その、三葉虫の会の方と」
「ああ、伺っております。ご案内致しますね。こちらへどうぞ」
女性店員の後に続いて店内へ進む。
改めてその内装を見回した僕は感嘆の声を辛うじて堪えた。
薄暗い照明の中、少し入り組んだ間取りの店内の壁は全て土壁だった。
いや、これは「地層」だ。
もちろん天然のものじゃなく、そう装飾されているのだろう。
その表面には掘った跡、半分埋もれた何かの化石。
梁に飾られたツルハシやハンマー、杭にブラシ、ヘッドランプ。
各テーブルにはオイルランタンを模した照明が置かれ、意外にも殆どの席はお客さんで埋まっていた。
なるほど。地下の発掘作業現場をテーマにした店構え、ということか。凝ってるな。
結構暗いからはっきりと分からないが、フロアは四角いエリアが幾つかズレて繋がってるような造りらしい。
僕は美人の店員さんに導かれるままに、まるで社会見学でパン工場に来た子供のようにキョロキョロ辺りを観察しながずんずん奥へ奥へと進んで行った。
最も奥のフロアは一段高くなっていて、僕は美人の店員さんの後に付いて短い階段を上がった。
上がった先は八畳間程の広さで、テーブルが一つと椅子が四脚。
薄暗い店内の中、ランプの灯りの届く釣鐘型の光域の中には、どこか現実感の薄い三人の人物が浮かび上がっていた。
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