第25話 再会
ルカの瞳がギラギラと威圧的な光を放つ。
辺りは水を打ったように静かだった。
巫女として着飾ったディアナのオリーブグリーンの瞳には、まるで意志というものが感じられない。
いつも屈託無く笑う彼女が、能面のような顔をしている。
それを目の当たりにした瞬間にルカの怒りが激しく燃え上がった。
激高したルカは無意識に力を使う。
風も無いというのにかまいたちのように、聖書台が斜めに斬られ、会衆の前でゴトリと騒々しい音を立てながら敷布の上へ転がった。
大理石の床を打ち付ける振動がルカやディアナ、ニクスのの元にまで伝わる。
「おお、神よ! 何という事でしょう! この記念すべき日に我らが災厄、醜悪なる化け物までもが復活しようとは誰が思いましょう!?」
甲高い声で芝居掛かった仰々しい台詞を吐くのは枢機卿だ。
自らルカを招き入れておきながら、白々しくも何も知らなかったかのように悲劇だと天を仰いでいる。
「……薬か。汝等はディアナに薬を盛ったのか。薬で彼女の意志を捻じ曲げ、殺したのか!?」
ルカはディアナの身体からかすかな薬の匂いを嗅ぎ分ける。
正否を問う形ではあれどそれに応える者は誰もおらず、またそれを発した彼自身も欺瞞に塗まみれた答えなど必要としなかった。
彼がその五感を使い、感じ取ったものが全てだ。
ルカが再び力を使い、ステンドグラスを割り砕けば、赤や青のガラスがキラキラと外の光を反射して降り注ぐ中、人々は悲鳴を上げて逃げ惑った。
「ウェリデ司祭! 枢機卿の名に於いて命じる。この世に再来した、強欲の化け物を倒すのだ!」
「仰せのままに……」
混乱と喧噪の中、枢機卿に命じられたニクスは冷たい火器を握っていた。
こんな状況でも彼が怖いくらいに平然としているのは、これが彼の……いや、彼らの書いた筋書き通りの状況だからだ。
ディアナを囮にルカを聖堂内におびき寄せ、聖水で弱体化させた後、老齢の前巫女が命を捨して神に祈りを捧げ、作り出した純銀製の弾丸で倒してしまおうというのだ。
「ニクス! これがお前の望んだ未来なのか!? 愛する者を騙し、拐かしてその感情をも奪ってしまう。それが人を導く神官のする行いなのか!?」
ルカの怒りの矛先は、両手で握った火器で狙いを定めてくるニクスへと向かう。
ディアナを含めた多くの信者たちを危険に晒す事に、ニクスは最後まで反対していた。
けれど、ルカを見せしめとして衆目の前で殺め、教会の権威をより強固なものとする事を画策していた枢機卿は頑としてニクスの意見を聞き入れなかった。
ディアナに薬を盛ったのは、枢機卿の命令ではない。
枢機卿にとって彼女は囮以上の何者でもなく、儀式まで本物の彼女を生かしておく必要を感じなかった枢機卿は、思い通りに動かせぬなら殺してしまえと言ったのだ。
現教皇はただのお飾りでしかなく、今ではすっかり枢機卿の思うがままだった。
ニクスのディアナに対する想いを察した枢機卿はそれを利用し、伝承になぞらえて信者たちの目に触れさせる事でその信仰をより確かなものにしようとしていた。
どうすればより効果的に信仰と金を集められるかを考えていただけだ。
枢機卿にとっては誰も彼もが換えのきく駒に過ぎない。
それを知っていたからこそ、ニクスはディアナの命を守ろうとして彼女に薬を盛った。
「……黙れ」
己の身の不甲斐なさ、無力さを目の前に叩きつけられたニクスは、食い縛った歯の間から絞り出したような声を出す。
平静さが一転、顔を歪めていた。
「それでディアナを守ったつもりなのか!?」
「黙れっ!!!!」
耳を劈つんざくような音がして、飛び出した銀製の弾丸は回転しながらルカの胸元、心臓へと真っ直ぐに向かう。
感情的になって放たれたにも関わらず、ニクスの狙いは少しも逸れていなかった。
「くっ……」
恐ろしく正確に、それはルカの心臓を貫いた。
声を詰まらせたルカは、よろめいた末にその場に倒れ込む。
「ルカッ!!!!」
ルカが倒れ伏すその瞬間に、動いた者があった。
紅の敷布と大理石の床を蹴り、甲高い靴音を響かせながらルカの名前を叫んでその者は駆け寄る。
「ディ、アナ……」
彼女の指先が触れると、浅く苦しい息の合間にもルカは愛しい名前を呼ぶ。
「何故だ! 薬により、巫女は完全に
忌々しげに舌打ちをする枢機卿の声はもはや誰の耳にも入っていなかった。
ニクスは自分の背後から飛び出していったディアナにショックを受けながらも、その姿により己の大きな過ちに気付く。
それが唯一の希望であるかのように強く握り締めていた筈の火器が、彼の手を滑り落ち、足元へ転がる。
「私は……、私が……一番守りたかった存在を誰よりも傷付けてしまったのだな……」
だらりと両腕を身体の脇に垂らしながら呆然と立ち尽くし、やがてぽつりと呟いたのは告解する言葉だった。
力が抜けたように膝から崩れ落ち、項垂れる姿は懺悔をする教徒そのものだ。
大罪を犯して始めて見えたのは、赦されざる者の苦悩だった。
どのように
償い切れる罪とも思えない。
ルカの千年にも及ぶ思いの一端に触れたニクスは、掌に爪が食い込むくらいに手を強く、強く握り締めた。
仰向けに倒れたルカは、空を見上げていた。
ニクスの人差し指が引き金を引くと同時に
天は碧空と呼ぶに相応しく、見渡す限り真っ青だった。
雲一つ無い。
ただ光のみが溢れている。
そこに、キラリと銀色の
「ル、カ……」
ディアナが倒れ伏したルカの顔を覗き込んでいた。
やっと見る事が出来た、植物を思わせる緑の瞳をルカは見つめる。
「守れなくて、すまなかった……」
時折痛みに呻きながら、途切れ途切れになりながらもルカは謝る。
ルカのニクスへの苛立ちは、そのまま自身への苛立ちでもあった。
守れなかったのは同じだ、と。
自分を責めるルカの言葉にディアナはパタパタと髪が乱れるのも構わず、激しく首を振る。
「ううん。ルカは悪くないの。私の方こそ、ごめんなさい。私が言う事を聞かなかったから……ルカがこんな……。私のせいで……」
すり減っていく残りの時間に、互いに謝り合う男女のなんと虚しい事か。
ディアナはルカの事を微塵も悪く思っていなかったが、それはルカも同じだ。
獣のように剣呑な光を灯していた紅い瞳は、今は不思議なくらいに穏やかで柔らかな光を湛えている。
「ディアナはこれから先、ディアナの思うように、好きなように生きればいい」
「うん。好きなように生きるよ、ルカと一緒に。一緒にマッチを売って、一緒にお花を育てて、一緒に暮らすの。ほら、冬でも咲くお花、持って帰ってくれたんでしょう? だから、家に帰ろうよ……」
ディアナはルカが大事な話をしていると分かっていたが、決定的な一言を口にされるのを恐れ、その時を少しでも遅らせようと懸命に言葉を紡いでいた。
この先もずっと一緒に居たいと願う。
けれど、たくさんの未来、そう在りたい未来を言葉にすればするほど、ディアナの声は震え、湿り気を帯びていく。
上手く喋れない。
その間も、ルカの胸元からはドクドクと波打つように真っ赤な血が流れ出て、白装束を紅く染めていった。
服が受け止めきれなかった血が、ディアナの手や大理石を赤く、温かく濡らしていく。
ルカにとって、ディアナの家はいつの間にか帰るべき場所、帰りたい場所になっていた。
初めて出会った日、うちにおいでと言われた事をルカは懐かしく思う。
しかし、一緒に帰ると言ってディアナの言葉に頷く事は今のルカには出来なかった。
嘘になると判っている言葉は彼女には言いたくない。
そんな思いから、ルカは不器用ながらも慎重に言葉を選んでいた。
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