第23話 最後の晩餐
教会本部・大聖堂のお膝元である聖都へと足を踏み入れたルカは、すぐに誰かに見られているような気配を察知した。
それと同時に、急に身体が不調を訴え始める。
「腐っても聖地、か……」
ぽつりと独りごちるルカ。
人間の間でまことしやかに囁かれるヴァンパイアの生態に関する知識ならルカ自身も把握済みだった。
そしてその半数近くが誤っているという事も知っている。
全てのヴァンパイアがニンニクの匂いを嫌うとあるが、実際には人間と同じように個体差があり、ルカを含めほとんどのヴァンパイアはたった一片のニンイクの為に退散する程では無かったし、川を渡る事だって問題無く出来た。
日光を嫌うものは確かに多かったが、それとてたちどころに燃え上がり、灰になるなどという逸話は所詮作り話で、実際には少し陰鬱とした気分になる程度の事だった。
血を吸われた人間の吸血鬼化という最も有名な伝説すら、全くのデタラメだ。
ルカが己を振り返って当たっていると断言出来る事といえば鋭い牙を持ち、血を力の源として啜る事。
そして、教会・聖地・聖域・聖別された物が苦手な事くらいだった。
教会や聖地などは、自ら近付きさえしなければ脅威になど成り得ないので、特に弱点だと思って気にした事は無かったが、ヴァンパイアとなってから千年以上の時を経て、それに苦しめられようとはさしものルカも思いもしなかった。
花を探して登った霊峰もいわゆる聖域で、その時もルカは力が阻害され、削り取られる感覚を味わっていた。
その後、体調を調える間も無く神官として再び旅立ち、各地の教会の信者の為に神の名を口にした事で、彼のヴァンパイアとしての力はさらにすり減っていた。
これが狙いか、とルカは納得する。
出来るだけ力を削り取って弱らせた後に、殺す気だ、と。
笑う膝に力を入れて周囲を見渡すルカの紅い瞳に映るのは人、人、人。
都というだけあって、ここに至るまでに彼が見てきた村や町などとは数段違って豊かで、もとから活気はあるのだろうが、平時で無い事は誰の目にも一目瞭然だ。
やけに人気が多く、お祭りムードの街の様子を見てさらに彼は得心がいった。
表向きは新しい巫女のお披露目という名目だが、本当のところはそれはルカをおびき寄せる為、そしてなるべく多くの神官と信者の目にヴァンパイアが討たれる瞬間を見せようというのだ。
滅びたと思っていたヴァンパイアの最後の生き残りを、新しい巫女の誕生と同時に抹殺する。
盛り上げておいて絶望の谷底に突き落とし、再び引き上げる。
出来過ぎたシナリオだった。
教会、それも大聖堂に近寄るなど、以前のルカならば絶対に冒さない禁忌だ。
ましてや、これは罠だ。
それでもディアナを救う為ならばと、ルカは重い身体を引き摺るようにして足を踏み出す。
まずはここでも情報収集の為に彼は動き出した。
最初に確認すべきなのは儀式の日時だ。
以前と同じように、ルカは人に聞いて回る事にした。
そうして判明したのは、儀式の日取りが明後日の正午からとあまり時間的猶予が残されていないという事実だった。
ちょうどお触れがあったところという話だ。
あちらもルカの動きに気付いているらしい。
ならば、コソコソと隠れてもきっと無駄だろうと彼は思った。
時間が無い。
だからこそ、正面突破を決意した。
ご丁寧にも儀式の日は異例の措置で一般の信者たちにも公開され、大聖堂は文字通り大きな口を開けてルカを待っているらしい。
儀式の前日も、ルカはこれまでと同じように、街の中でもより貧しい区画に足を運び、ディアナの話をして、子供たちにはパンを振る舞った。
歴史に名高い聖都にも、恵まれない子供たち、社会からあぶれた人間たちがいる。
「ルカ様、ありがとう!」
「ルカ様は明日も来てくれる?」
ほんの少し手を伸ばせば届く距離にも関わらず、大聖堂のお偉い神官様は自分たちのもとには来てくれない、だからルカが来てくれたのがとても嬉しいのだと子供たちが語って聞かせてくれた。
「明日は……」
「ルカ様も新しい巫女様を見に行くの?」
「ああ、行かなければならないんだ……」
「じゃあ明後日は絶対、またお話を聞かせてね」
「ああ、約束する」
ルカが明日は来れないと言うと、子供たちはあからさまに残念そうな顔をしたが、再訪を約束するとニコニコと夏に咲いたサンフラワーのような無邪気で天真爛漫な笑顔を花開かせた。
――決戦前夜。
子供たちとさようならをしたルカは旅の途中でお布施として貰った僅かばかりのお金で、安いパンと一杯の葡萄酒を買った。
中心街はどの酒場も満席で、明日の巫女のお披露目の話で持ちきりだ。
そんな喧噪からルカはわざと離れ、寂れた通りの地面に直に腰を下ろし、一人で晩餐をする。
賑やかな光を遠目にパンを口にしたルカは、口の中の水分が根こそぎ奪われていく感覚に咽せそうになる。
慌てて果実酒を口に含めば、今度はコルク臭が鼻につく。
酷い味だ。
パンは薄くて固く、ディアナが焼いてくれたものには似ても似つかない。
葡萄酒も、酒場の人間がこぞって飲むものだから一番安いものを買ってみたものの、何が良いのかルカには全く解らなかった。
ディアナの作った食事を懐かしく思った。
街の賑わいに耳を傾けながらルカが思いを馳せるのは、一月ほど前に出た家の事だった。
ディアナの家に帰ったら、何をしようか。
霊峰で探してきた花を見せようか、それとも一緒にパンを焼こうか。
ルカには家でやりたい事が山ほどあった。
どれもルカ一人では意味が無くて、ディアナが浚われてしまってから余計にその存在を大きく感じる。
固いパンをコルク臭い葡萄酒で流し込んだルカは、手に付いた粉を払って空を見上げる。
今日も空に月は無い。
ここは明る過ぎるから星もよく見えず、空はただ暗いばかりだった。
そうしていつしか、ルカは座ったまま微睡むように目を閉じ、夜の闇に身を委ねた。
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