第22話 本物と紛い物




「ルカ様だ」

「え、どこどこ?」

「本当だ、ルカ様だ!」



 ――一週間後。

ルカは町の子供たちに囲まれていた。


 旅の神官のふりをして教会に潜り込もうとしたルカはそれまでの黒装束を脱ぎ去り、純白の法衣に着替えた。

服装の違いというものは人に与える印象に大きく影響するらしく、今のルカは立派に聖職者に見える。


 光を意味するその名に相応しい出で立ちである。

一般市民の誰も、まさか彼がヴァンパイアだとは思いもしない様子だった。

そればかりか、早くも子供を中心とした市民に神官として慕われ始めていた。

これには訳がある。


 まずは格好をという事で形から入ったルカだったが、聖職者を名乗るからには少なくとも教会の信者の前では聖者であろうとし、乞われれば説教をする事も厭わなかった。

無論、教会の教えなど受けた事の無い彼のそれはディアナから断片的に洩れ聞いたものと、彼女の生き様を参考に彼自身が考えたものだったが、それが逆に信者の心を強く掴み、評判となった。


 また、最後まで話を聞いていた子供には、塩漬けにして保存しておいたローズマリーやクルミを練り込んだパンを振る舞った。

それを夢中で頬張る子供たちの様子を見ていたルカは、ディアナの焼いたパンを口にする自分もこんな顔をしていたのだろうかとぼんやりと考えた。



「ルカ様は明日にはこの村を立ってしまうんだろう? それなら、その前にもう一度お話を聞かせとくれよ」

「わかりました」


 この日も翌日に控えた出立の前にと、一人のお婆さんに話をせがまれた。

聞きたいという人が一人でもいるのなら、ルカは進んでお説教をした。

もっとも、最初は誰か一人の為であってもいつも話が終わる頃にはわらわらと人が集まっているのだが。



「……ところが彼女は教会に庇護下に入る事を拒みました」

「何で!?」

「自分は大丈夫だから、もっと他に救いの必要な者を救って欲しいと彼女は言われたのです」


 度々ルカの話に登場する彼女とは他ならぬディアナの事だ。

どの話も、嘘偽りのない真実、現実に起こった出来事で、宗教者にありがちな多弁や壮麗な語り口では無く、変に飾らぬ物言いだからこそ、人々はルカの話を信じ、聞き入ってしまう。


「その女の子ってまるで巫女様みたいだな!」


 聞き入っていた子供の一人が洩らした感想に、ルカ自身がハッとさせられる事もあった。


 彼の話の中の彼女を巫女様みたいと子供が言ったように、ルカにとってはまさしくディアナが聖女であり、女神に等しかった。

純粋で、眩しくて。

自分などが近付く事は恐れ多いと感じていたルカの懐に、彼女は自分が汚れてしまう事を厭わずに飛び込んできてくれた。


 何が正しくて、何が間違っているのか。

それは人の数だけ答えがあり、また人というものは得てして生き方を迷い、何度もブレるものだ。


 けれど、ディアナは少なくともルカの前では一度も迷う素振りは見せなかった。

いつも己の心に正直に生きていた彼女は、それが自分にとっての真理だと確信しているかのようだった。

そしてそれは、言うほど容易くは無い。


 そう思えば、教会側がディアナを新しい巫女にと浚ったのはある意味で正しかったのかもしれない。

例えそれがルカをおびき寄せる為のただの口実だったとしてもーー。



「ルカ様、行っちゃやだ……」


 短い滞在の間に子供たちには随分と懐かれたものだ。

明日にはルカがいなくなると聞いて、ルカの腰に抱きついてわんわん泣き出す幼子まで出たのは始めての事だった。


「頭を撫でてやってくれませんか?」


 その子の母親らしき人に頼まれ、ルカは戸惑う。

見知らぬ人の子にこんなふうに縋り付かれたのは始めての事だ。

首など痛めぬようにと細心の注意を払いつつ慎重に撫でてやれば母子ともに喜び、最後には笑顔で見送られた。


 旅路の途中途中で滞在する村や街でのその行いは、もちろん神官という偽りの身分を怪しまれない為のものでもあったが、そんな行いすら有り難いと言って手を合わせてくれる人がいて、少なからずルカの孤独を紛らわせてくれた。


 ディアナに出会った時もそうだ。

まず最初に自分が気まぐれで助けて、それから助けられた。


 ルカにとって神の名を口にする事はヴァンパイアとしての己の身を蝕む行為だったが、それでも望まれれば断る事はしない。

彼女の話を語って聞かせる時間は彼にとって、一番苦痛でありながらも幸福な時間でもあった。


 次の町でもルカは人気者だった。

ルカを追いかけ、追い越すように旅の神官の噂が広まっていた為だ。

旅路が進めば進む程に、ルカの人気と彼の話を望む声は高まっていく。


 今日もルカは人を集めて、ぽつりぽつりと思い出しつつ自分自身に言い聞かせるように彼女の話を始める。


「彼女は弱さをも愛しいと言いました。花も人もいずれは枯れゆく存在で、人は特にその盛りの時期に価値を見出します。しかし、彼女は蕾はこれから美しい花を咲かせるという希望の象徴だと言いました。咲き初めの花には初々しさを、散りゆく花びらには移ろう命の儚い光を感じる、と。弱さがあるからこそ、美しく輝けるのだ、と」

「私がすぐ泣いてお母さんにいつも叱られちゃうのにも、意味があるのかな? ただ弱いだけじゃないのかな?」

「きっと」


 ルカの正体はヴァンパイアで、本物の神官では無い。

けれど、偽物の神官の彼に心を救われた人は少なからずおり、そんな彼の事を多くの人が本物の神官よりも神官らしく、聖人よりも聖人らしかったと後に語った。


 そうして、ルカは町や村への数日間の滞在と移動を繰り返し、ついに目的地・教会本部大聖堂のある町へと足を踏み入れた。



*****



「失礼致します、枢機卿」


 入室の許可を得て枢機卿の部屋に足を踏み入れたニクスは途端に顔を顰めた。

酒と、煙草の匂いがする。


 それも今回だけの事では無い。

枢機卿は室内に匂いがこびり付く程に酒・煙草、そして女を嗜んでいた。

どれも俗物にまみれた金持ちの道楽だ。


「いったいどうしたというのだ、ウェリデ司祭?」

「実は一つ、お耳に入れておきたい事がございまして」

「何かね?」


 半裸の状態で豪奢な椅子にどっかりと腰掛ける枢機卿は、醜く突き出た腹を隠す事もなく、不機嫌そうに鼻から煙草の煙を吐き出す。

大方、女と良い感じのところだったのだろう。


 ニクスにとって枢機卿は人としてはこれ以上無いくらいに嫌いな人物に分類される。

神官になって始めて、聖職者のヒエラルキーをまざまざと見せつけられてしまったニクスも最初は聖職者が聞いて呆れると嘆いた。


 けれど、そんな大嫌いな男にヘコヘコと頭を下げてでも守りたい人物がいたからこそ、目の前の豚のような男の事も、教会すらも利用してやろうと考えたのだ。


「例の……ヴァンパイアが罠に掛かったようです」

「それは確かな情報なのかね?」

「はい。門番の者に小金を掴ませて彼が来たら知らせるようにと言い含めておりましたので。その者によると、彼は恐れ多くも神官に扮しているとの事でした」

「はっはっはっ。化け物が神官だと? これ以上、愉快な事はないぞ!」


 椅子の上で枢機卿はふんぞり返って不機嫌が一変、高笑いを始める。

強調されたでっぷりとした腹を、ニクスは酷く冷めた目で見つめていた。


「どうされますか?」

「ふんっ、向こうが神官のフリをしているというのなら丁度良いではないか。明後日、【儀式】を執り行おうではないか。小賢しい化け物も特等席で招待してやるのだぞ?」

「はっ、仰せのままに……」


 ニクスは深々と礼をし、退室した。

興が逸れた枢機卿は女に自分の衣服を整えさせると、自室を出てある部屋へと向かう。


「さあ、新しい巫女様。明後日はいよいよ貴女のお披露目の日ですぞ」

「まあ、楽しみだわ」


 猫撫で声の枢機卿に、生気の籠もっていない瞳をした少女がにこりと微笑んだ。



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