第19話 花を求めて
「ねえ、聞いて、ルカ!」
今日も今日でなかなか売れないマッチを売り歩いていたところ、少し離れた場所で話し込んでいたディアナがルカのもとに戻ってきた。
何も走らずともすぐに合流できるだろうに、何か余程急ぐ理由があったのかダダダッと音をさせて彼女は駆け寄るのだった。
外気の寒さのせいか、それとも興奮のせいなのか、滑らかな丸い頬は赤らんでいる。
そんなディアナの様子にルカが、はてと首を傾げれば、彼女はそれを先の自分の掛け声に対する返事と心得て口を開いた。
「さっきのお客さんに聞いたんだけどね、ここから見えるあの霊峰の山頂付近に、冬でも咲く花が自生しているんだって」
「冬でも咲く花……?」
「そう。ちょうど今の時期に開花するみたい」
西の方角に聳える大きな山を指さしながらディアナが語って聞かせるのは、彼女の念願の情報だった。
この辺りの冬場の冷え込みは特に酷いらしく、冬に咲く売り物となりうる花が見つからず、困っていたのだ。
そこへ、今の時期に咲く花の情報が舞い込んだとあっては、調べてみないわけにはいかなかった。
「場所は霊峰の山頂付近か……」
「そう、問題はそこなのよね……」
神が宿る山として崇められているその山は険しく、神官たちの修行の場としても知られていた。
もっとも、冬の今は雪が深く、踏み入る事すら難しいが。
「俺が行く」
「え、ダメだよ! 二人で行こうよ?」
「それこそダメだ」
「どうして……?」
「ディアナが危ない」
ルカはディアナに対して過保護だった。
雛鳥を守る親鳥のように、大事に大事に翼の内にディアナを囲い込む。
ディアナはそれが嬉しくもあり、煩わしくもあった。
二人で行く。
そんな可能性を真っ先に排除して、ルカは自分一人で行くと言う。
「それを言うなら、ルカだって危ないでしょう?」
「俺は大丈夫だ」
「それ、説得になってないからね。私も行く」
「俺一人で行く」
「二人で行く!」
「一人で行く」
ディアナは頑固だった。
けれど、それ以上にルカもまた頑固で、その意志は固かった。
何度説得してもルカは意志を曲げない。
先に折れたのはディアナだった。
「わかったわ。山へ登るのは、ルカに任せる」
「ああ」
「でも、花は出来れば土ごと持って帰ってね」
山から持ち帰った花は、今年売る為だけでは無い。
育てて、種子を採取し、翌年にその命を繋げるのだ。
「ああ、わかった」
その晩はルカが花を摘みにいく為の準備で大忙しだった。
防寒具や土を掘る為の道具、霊峰の麓までの地図などを用意し、鞄に詰める。
春にルカと一緒に暮らすようになってから、明日は初めて一人で過ごす一日だ。
そう思うと、遅くにベッドに入ったディアナがなかなか眠れなかった。
――翌朝。
「気をつけてね」
ようやく山際が白み始めた頃に、ディアナは玄関先でルカを見送っていた。
「ああ、ディアナも俺のいない間は外に出るな」
「もうっ、ルカったら過保護なんだから。大丈夫だよ、ルカと出会う前はずっと一人で街に出ていたんだからね」
「だが……」
「大丈夫だよ、私にはルカのくれたお守りもあるし」
ほんの一日、二日離れるだけだというのに、随分と名残惜しげに二人は言葉を交わす。
互いに、言葉にはしないが離れがたい気持ちが声や表情に溢れていた。
そんな中、ディアナが掲げたのはルカが作ったしおりだった。
無地の長細い紙の隅に、
そう、あのコスモスだった。
ルカが初めて育て、最初に花開いたコスモスの花びらだった。
生憎、あの花はすぐに花びらを散らしてしまったけれど、散り落ちた花びらを拾って、こうして押し花にしたのだ。
桃色と、白色。
一対のように作られた押し花のしおりを一方はルカが、もう一方はディアナが持つ事になった。
それをディアナはお守りとして大事にしていたのだ。
ルカがいない間は、白いコスモスの花びらがルカの代わりだ。
「ああ、そうだな」
誇らしげにしおりを見せてくるディアナに、ルカは朝に相応しい穏やかな微笑みを浮かべる。
「お弁当は持った?」
「ああ、ちゃんとある」
家を出て行く誰かの背中を見送るなんて、ディアナには久しぶりの事で。
ルカは食べなくても平気かもしれないが、それでも道中の退屈は紛れるだろうし、何かの役に立つかもしれないからと早起きして作った弁当をディアナはルカに持たせた。
中には、ルカの好物のパンも入っている。
それをルカは嬉しそうに受け取っていた。
「それじゃあ……」
「ああ、行ってくる」
遂に、ルカはディアナに背中を向けて歩き始めた。
だんだんと遠ざかっていく背中に、ディアナは早くも寂しさを覚える。
「早く帰ってきてね、ルカ!」
「ああ、そのつもりだ」
名前を呼ぶディアナの声に振り返ったルカはゆっくりと首肯する。
その言葉に偽りは無く、ルカは一刻も早く花を手にディアナの元へ戻るつもりだった。
しかし、二人の再会は二人が思っていたよりもずっと後にずれ込む事になる。
ルカの背中が豆粒ほどの大きさになって見えなくなるまで、ディアナはいつまでも見守っていた。
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