第18話 ルカの望んだモノ




「ルカは人の血を吸わないの?」

「ああ、吸わなくても生きていけるからな」

「でも、吸わなければヴァンパイアとしての力は弱まってしまうんだよね?」


 ディアナにヴァンパイアだと告白して以降、ルカは以前よりも多く自分について語るようになった。


 ヴァンパイアのあれやこれやなんて、教会の人間ですら知らない事だらけだろう。

元来、好奇心は強い方のディアナはそれらを積極的に訊ねた。


 誰も知らないヴァンパイアについて知りたかったのはもちろんだが、それよりももっと彼女はルカについて知りたかったのだ。


 そうして本人から聞き出した情報により、あれやこれやと細かい情報が揃い始めた頃、彼女は根本的な部分について自分が知らない事に気付いた。


 ルカは血を吸わないのだろうか?

吸わないからといって、死にはしないとは聞いた。

 けれど、死なないからといってその行為自体を否定する絶対的な理由には成り得ない。


 人間だって、生命維持の為に必要か不必要かでいえば水分補給は真水を飲めば事足りるのに、世の中には紅茶やコーヒー、果実水、果てはぶどう酒やエールなど、様々な思考飲料が溢れている。


 それと同じ事をヴァンパイアが求めてはいけないという道理は無い筈だ。


 力が弱まったヴァンパイアはどうなるのか?

あと四、五日もすれば新月だろう夜空の下、相変わらず売れ行きの芳しくないマッチの駕籠を片手にディアナが遠回しに訊ねると、ルカは押し黙った。


「血を吸わなくても生きていられるって事は、突然消えていなくなったりはしないんだよね?」


 不安がディアナの口をついて出る。

勿論、そうなる事を望んでいるわけではなく、他ならぬルカ自身にはっきりと否定して欲しかったからだ。


 真っ先に出てきたのは、彼女が一番恐れている事だった。


「消えない。ディアナのいないところで、勝手に消えたりはしない」

「じゃあ、力が弱くなるとどうなるの? まさか、昔、それで他のヴァンパイアさんに虐められたりしたの? だからトラウマになっているとか?」


 一つの不安が消えれば、また別の不安がディアナの内で浮かび上がってくる。


「虐められたりもしていない。これでも俺は、同族の中では力が強い方なんだ」

「でも、ずっと血を吸っていないんでしょう?」

「ああ。だけど、嘗ての俺はこれまで存在していた他のどのヴァンパイアよりも力が強かったんだ」

「……どういうこと?」


 深紅の光彩を細めるルカの様子は、ただ嘗ての栄光に縋っているようには見えなくて、言葉の意図が汲み取れずにディアナは聞き返す。

すると、ルカは薄い唇を開いて答えた。


「俺は、世界最初で最後のヴァンパイアなんだ」

「最初で……、最後?」


 呆然と復唱する彼女に、ルカはしっかりと頷く。


 最初のヴァンパイアという事はすなわち最古、始祖を意味する。

最初に生まれたヴァンパイアが、最後のヴァンパイアだなんてそんな事があり得るのだろうか?


 気の遠くなるような話に、ディアナの思考は追いつかなくなっていた。


「俺は人間の母親から生まれて、最初は自分の事を普通の人間だと思っていた。俺自身の感覚では何か特別な事をしたわけでもなく、血を好んで啜って、たまに不思議な事が出来るだけだった。だけどそんな姿を気味悪がられ、いつしかヴァンパイアと呼ばれるようになったんだ。俺には子孫はいないから、他のヴァンパイアの中にも俺と同じように人から生まれてきた者もいるのだろうな」


 一つの種族の始まりの謎は大抵、既存の生き物からの進化・枝分かれで説明がつく。

花だって、違う種類の花を掛け合わせる事で、新たな種類の花が出来たりするのだ。


 ルカの話が本当なら、ヴァンパイアは枝分かれした人間の可能性の一つに過ぎなかった。

本人の意志とは関係無く、偶然その可能性を最初に引き当てたのがルカで、ヴァンパイアも広義では人間と言えなくもない。


「力が弱まれば、火や氷を操ったりする能力が衰えるだけだ。ただ……」

「ただ?」

「力が弱まれば、吸血行為への衝動・欲求が高まる。そこで見境なしに人を襲ってしまう同族も多かった」

「時々、苦しそうにしていたのはそれが原因?」

「ああ。その衝動を俺は渇きと呼んでいる」

「吸おうとは思わないの?」

「俺は……他の全てが手に入らなくても、何を失っても、たった一つ欲しいものだけ手に入って、守り抜ければそれでいいんだ」

「どういう事?」


 家まであと少しというところで二人は足を止めた。

細い月の真ん中に、薄い雲が掛かっている。


「血を吸っても満たされないものがあるとしたら、ディアナはそれが何だと思う? かつて、人間の抱くヴァンパイアのイメージに相応しく、毎日浴びるように見境無く人間の血を呑んでいたヴァンパイアがいた。渇く間も無い、そんな毎日だ。だが、次第にそのヴァンパイアは血を呑んでも渇きが癒えぬようになっていき、吸血をやめた。それが俺だ。……いや、ディアナに会うまでの俺だった」

「今は違うって事?」


 確認するように問う言葉に、ルカは静かに頷いた。


「ディアナを見ていると、尽きる事の無い欲望を思い出す。それは俺の意志とは関係無く、俺の中で暴れ回るんだ。かつて無い程満たされているというのに、欲しがる声は止まない」

「だったら、私の血を呑めばいいわ」

「それは出来ない」

「どうして!?」


 どうして、ルカばかりがいつも苦しむのか。

どうして、ルカはいつも自分が傷付く道を選ぼうとするのか。

昂った感情そのままにディアナは大喝する。


 腹立たしいのか、悲しいのか色んな思いが混じってディアナ自身にもよく判らない。

けれど、その声は慟哭にも似た響きを持っていた。


「傷つけたくないからだ。俺はディアナを傷付けたくない。だから、絶対にディアナの血だけは呑まない。それがどんなに欲しくても、だ」


 ルカにとって、ディアナの血を呑まないという事は、今後いっさい誰の血も口にしないという事に等しかった。

他の誰かの血を啜ったところで、それによって力が戻ったところで、何の意味も無い。


 ディアナだけが、ルカの心を強く揺さぶる。

ディアナでなければダメなのだ。


 ディアナだけが欲しくて、ディアナだけは傷付けたくなくて。

自分自身からもディアナを守ろうとしたルカは、もう片一方の願いを諦める事にした。


「ルカはバカだよ……。大バカだ。自分ばっかり物分かりがいいふりをして、我慢して……。私ね、ルカがこのままずっと吸血をせずにいれば、いつかは人間に戻れるのかな、なんて考えていたの。ルカが苦しんでるのに、他の誰かの血を吸って欲しくないって思った。ずるいよね。私はこんなずるい人間なんだよ? だから、そんなふうに必死になってルカに守ってもらわなきゃいけない程、私は大事な人間じゃないのに……」

「大事だ。俺にとっては、ディアナが世界で一番大事な人間だ」


 ディアナは唇を歪める。

彼女の緑色の瞳は、温かく滲んでいた。

揺れる緑の瞳をルカは正面からまっすぐ見据える。


「ディアナは俺に温もりを与えてくれた。どこまでも冷たかった俺に、感情を思い出させてくれたんだ。今、俺の胸に溢れる感情は何というのだったか……」


 温かな感情。

その感情にルカは覚えがあった。


「そうだ。これは好き、というのだろう」

「ルカ!」


 ディアナは温かく大きな胸に飛び込む。

そうして、二人して道端に立ち尽くしたまま、彼女はルカの胸に顔を押しつけて子供のように泣いた。


 そんな彼女に何度も馬鹿だと罵られながら、ルカはそれを睦言のように思い、唯々頷くばかりだった。



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