第17話 人とヴァンパイア
ルカは自分がヴァンパイアだとカミングアウトしてしまえば何かが変わると思っていた。けれど、実際には二人の関係は以前と変わりなかった。
――少なくとも表面上は。
「ええと、私の記憶違いじゃなければヴァンパイアっていうのは血を吸うんだよね?」
「ああ」
「いわゆる主食、なんだよね?」
「ああ」
「私の知る限り、ルカって最近血を吸ってないよね?」
「ああ」
ある日の夜の食卓。ホカホカと湯気を立てる夕食を前に二人はそんな会話を交わしていた。
質問攻めにするのがディアナ、それに答えるのがルカ。
いつもと立場が逆だ。
これまでルカがヴァンパイアだと知らなかったディアナは、人間向けのいわゆる普通の食事しか出して来なかった。しかしここへ来て、とある疑問が彼女の中で首を持ち上げた。
「その……吸わなくて大丈夫なの?」
ヴァンパイアが血を吸わないという事は、人が食物を摂取しないのと同じなのではないか?
そう考えたら、ルカの栄養状況が気になったのだ。
「吸わなくても死にはしない」
「そうなの!?」
とりあえず吸わないからといって死にはしない。そう聞いたディアナは驚愕に目を見張った。
それだけにとどまらず、彼女がテーブルに手を突いて身を乗り出したせいでガチャンと皿が音を立ててスープの水面が揺れる。
人は食べなければ生きていけない。
人とヴァンパイアは異なる存在だとわかっていながらも、外見的にはそう変わらない為に、ディアナは何となく人と同じような感覚でヴァンパイアの吸血事情についても捉えていたのだ。
「ただ生き長らえるだけなら、存在し続けるだけならヴァンパイアは別段何もしなくともいいんだ。何も必要無い」
植物ですら、水と光が不可欠だというのに、ヴァンパイアはそれすらも必要無いと言う。
その寿命だけを取っても人とは大きく異なるが、ディアナにはあまり実感が無かった。
ルカが何千歳も年上だと聞いた時も、ぼんやりと大木のようなイメージを思い浮かべたのみだったのに、何も必要無いと聞いて決定的な違いを目の前に示された気がした。
けれど、そんな存在だからこそ、その昔少数種族にも関わらず世界を支配出来ていたのだろうと妙な所で彼女は納得した。
「じゃあ、血を吸わないとどうなるの?」
「力が弱まるだけだ」
「力?」
「ヴァンパイアとしての力だ。火種の無いところに火を起こしたり、氷を出したりする事が出来る。出会った日に見せたあれも力のひとつだ」
「あれもなの?」
出会った日と言われて、しおれた薔薇を見て落ち込んでいたところにルカが手を差し伸べて花を蘇らせてくれた事をディアナは思い出す。
あの時は手品か何かと思っていた。
それでも、慰めようとしてくれた気持ちがディアナは十分に嬉しかった。
だというのに、彼は本当に花を復活させたらしい。
「何だか神様みたいだね」
「人間にそう言われたのは初めてだ」
得体の知れない力を使う姿が恐ろしいと言われた事はあっても、すごいと心から関心された事は一度も無かったルカは、ディアナの言葉に新鮮なものを感じる。
自分で考えた法則や規則に当てはまらないものに人が強い恐怖を覚える事を彼は思い出していた。
人とヴァンパイア。
姿形が近しい存在だからこそ、余計に人はヴァンパイアを忌み嫌ったのだろう。
誤解されているが、ヴァンパイアは人だけの血を吸う訳では無い。
ただ、体毛が少なく、また手近な場所に暮らし、数も圧倒的に多いからこそ、たまたま吸血対象として選ぶ者が多かっただけの話だ。
実際、人間によりヴァンパイアの命が刈り取られる前にはヴァンパイア同士で吸血し合っていた者も少なからずいた。
人間がヴァンパイアを酷く憎悪したのは、吸血行為に対する人間の潜在的な嫌悪感が由来しているのだろうと遠い昔、仲間の一人が言っていたのをルカは思い出す。
人間の心理に理解を示そうとした者もいた。
だけど話を聞かず、『ヴァンパイア狩り』という名の大虐殺を始めたのは人間の方だ。
人もヴァンパイアも、知能は高い。
同じ言語を繰り、対話をする事すら能力的には可能だったにも関わらず、話し合いが実現する事は無く、悲劇は起きた。
一人、また一人と仲間が命を落としていく悲しみに堪えられず、ルカは悲しみを心から葬り去る為に感情を忘れたのだった。
ディアナに会ってから、その忘れていた感情が一つひとつ蘇ってくる。
「ディアナは本当に人間なのか?」
「……ええと、多分?」
人はヴァンパイアに比べると何もかも劣る生き物の筈で。
それなのに自分に出来ない事、自分が知らない事をたくさん知っているディアナはルカにとって不思議な存在だった。
一方、これまで自分が本当に人間であるかなど疑った事も無かったディアナはルカの質問に意表を突かれたように思い、戸惑いを口調に乗せながら答える。
方や、ヴァンパイアなのに神様みたいで、方や人間なのに、何か別の存在のように思える。
ヴァンパイアらしくないヴァンパイアと、人間らしくない人間はどちらからともなく笑い声をこぼした。
「でも、そうするとルカがこうしてご飯を食べるのって生命活動的には何も役立ってないのよね?」
「いや、僅かながら食物からエネルギーを摂取する事も出来る」
せっかくの料理が冷めてしまわないうちにと二人は小難しい話を中断してしばしささやかな糧に夢中となった。
話を中断したきっかけが、ディアナのお腹の抗議の音だったのは二人だけの秘密だ。
ルカがポカンと彼女のお腹と顔を交互に見比べ、そしてその視線にディアナが頬を染めたのは言うまでもない。
空腹で鳴るお腹の音を聞かれただけでも恥ずかしいのに、今の音は何だったのかと訊ねられたディアナは当然の事ながら何も答える事が出来ず、頑としてルカの『空耳』で押し通した。
そんな一幕があって、ようやく二人の間に流れる空気が穏やかになったところでディアナは反撃に出た。
食べても食べなくても変わらないのなら、食べなくてもいいよねと暗に意地悪を言ったのだ。
それを知らずにルカは真面目に、受け答える。
「でも、食べなくても平気なんでしょう?」
「平気と言えば平気だが……」
ディアナの小さな仕返しに気付いたのは、彼女がルカの前の皿に手を伸ばして下げようとした時だった。
まだ皿の中には三分の一はスープが残っているし、そこには大きめの蕪の欠片だってある。
「平気だけど……?」
スープに目が釘付けになっているルカの様子をディアナは面白がるような顔をしながらニヤニヤと見守る。
「それはまだ食べかけだ。食べ物は粗末にしてはいけないのだろう?」
「そっかー。じゃあ、こっちのパンはいいよね? 明日に回せるし」
「そっ、それは……」
何とか切り抜けてスープの深皿を返してもらったとルカが安堵した瞬間に、ディアナは次なる手を繰り出した。
テーブルの真ん中に置いていた、パンの入った駕籠を取り上げたのだ。
そのパンはもちろん、ルカのお気に入りの花を練り込んだものである。
むしろ、こっちの方が本命だった。
好物を取り上げられそうになったルカは、目に見えて狼狽える。
「ぶっ……あはは! もう限界!」
「ディア、ナ……?」
「冗談だよ。ほら、好きなだけ食べていいから」
ルカがあまりにも悲壮な顔をしてパンを見つめるものだから、ディアナはすぐに噴き出し、お腹を抱えて笑った。
「いいのか……?」
「ふふっ……いいよ。だって、パンは食べる為にあるものだもん。食べ物は一番美味しい瞬間に食べるのがいいんだよ?」
そう言ってパンの駕籠をルカの目の前に置けば、彼は本人すらも気づかぬうちに紅の瞳を輝かせ、そっと手を伸ばす。
そんな姿に、ディアナの中でまたも笑いの波が沸き起こった。
行儀よく、それでも夢中でパンを口にするルカの姿をディアナは愛おしいと思った。
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