第14話 マッチ売り




「マッチ、マッチはいりませんか~?」


 季節は早くも冬になった。

この辺りは冬になると酷く冷え込む。

そのせいか、およそどんな花も冬には咲いてくれず、売る花の無いディアナは代案として毎年冬になるとマッチを売り歩くのだった。



「マッチはいりませんか~?」


 凍えそうに寒い朝。

それでも笑顔でディアナは道行く人々に声を掛ける。

しかし、人の往来は止まる事を知らず、彼女に一瞥すらくれる事無く忙しそうに立ち去っていくばかりである。


「売れないね……」


 ディアナは白い息を細くたなびかせながらがっくりと肩を落とした。


 春から秋にかけて例年に類を見ない程の好調な売れ行きを見せていたディナアの店だが、冬になり、マッチを売るようになると気温が下がるのに同調するかのようにがっくりと客足は途絶え、商売は冷え込んだ。


 毎年ディアナはこの季節は生活に苦労する。

最初はいつものように定位置で店を構えていたディアナだったが、あまりの売れ行きの悪さにこれではいけないと考え、手編みの駕籠にマッチを入れて人通りの多い場所に自ら足を運び、声を張り上げた。

そんなディアナの隣を歩くのはルカだ。


 もとの黒い外套姿に戻ったルカは無言でディアナを見守る事に徹している。


「ほら、ルカもそんな仏頂面をしてないで声を出してよ? 笑顔、笑顔」


 売れない原因の一端は隣のルカにある。

そう考えたディアナは彼に笑顔を要求した。


 黙って立っていても容姿に華のあるルカだが、美形の無言の視線にはかなりの威圧感がある。


「俺はディアナの護衛だ、笑顔は必要無い。それに何もおかしくないのに、どうやって笑えばいいんだ?」

「楽しい事が無いから笑うのよ。楽しい事がこれから起こりますように、って」

「そうか? じゃあ、笑う」

「じゃあって……何その顔! ルカったら、可笑しいんだから!」


 笑えと言われてそれじゃあと頬をつり上げるルカ。

堅物なのか、素直なのかよく判らない男である。


 無理やりに笑顔を作ろうとして美形形無しの変顔になってしまったルカを見て、ディアナはお腹を抱えて笑った。


 自分で自分の表情が見えないルカは、何がそんなに可笑しいのか判らないながらも、結果としてディアナが笑ってくれたならまあいいかと開き直るのだった。



「今日も全く売れなかったね」

「そうなのか?」

「もうっ、ルカは暢気なんだから」



 ――その夜。


 かぶのシチューを啜りながらこのところの売り上げ不振について零すディアナの向かいの席で、ルカは静かに首を捻った。

その正面で、ディアナはカトラリーを手放して机上に突っ伏すようにうなだれる。


 このところディアナの口をついて出るのはお金の事ばかりだった。

何も彼女とてお金の亡者というわけでは無いのだが、それでも人が生きていく為にはお金が必要となる。


 ただ生き長らえるという意味では飲まず食わずでも平気で、いっそ一文無しだろうと困らないルカにはその辺りの感覚が理解出来なかった。

故に、首を傾げる。


「せめて、お花があれば気が紛れるのにな……」

「育てればいいだろう?」


 崩れた姿勢のまま、気のない手つきで蕪を掬っては戻しを繰り返すディアナの言葉に、ルカが今更な質問をすると彼女はガチャンと食器を揺らしながら勢いよく起き上がった。


「育てたくても、お花が育たないの!」


 憤懣ふんまんやるかたない。

そんな表情でディアナは正面からルカを射抜く。


 今まで何を見ていたのかと今にも噛みついてきそうな常にないディアナの様子にルカは目を丸くした。


「植物にはね、それぞれ育つのに適した季節があるの。春から夏にかけては薔薇、夏はサンフラワー、秋はコスモスがうちのお店の主力商品だけど、ここの冬は他国に比べて特に寒いからお花は咲かないの。動物だって、冬は冬眠するでしょう?」

「そういうものなのか?」


 いまいちディアナの話がピンとこないルカは首を傾げる。

植物は寒さに弱いものという感覚が根本的に抜けているのだ。


 そもそも、ディアナに服を買ってもらうまで年がら年中黒の外套を羽織っていた彼には、気温に合わせて服装をかえるという考えも無かった。

長らく一人で過ごしてきた弊害だろうが、自分や周囲への配慮というものがルカには著しく欠如している。


 それでもディアナの事だけは壊れ物のように気遣う辺り、彼にとって彼女が唯一の存在なのだろう。

その辺りの事情を知らないディアナはため息をついて、椅子に腰を落ち着けた。


「多くの植物は冬を越せないの。多年草と呼ばれる種類の植物は、地中で根だけ生き残って翌年に芽を出すけれど、それでも地上の草や花は枯れてしまうものがほとんどよ」

「そうか、だから冬は荒野に……。だが、木は?」

「木も、幹や枝は残るけれど、真冬に花を咲かせてくれる花はこの辺りにはないの」

「そうなのか……。それを聞くと逆に人は何故、冬でも姿形を変えないんだろうな?」

「直接姿形が変化しない代わりに、私たちは服を着るんでしょう」

「ああ、そうか……」

「まったく、ルカは色んな事に無頓着過ぎるわ。今までどんな生き方をしてきたのかしら?」


 一連の問答を経てやっと花の生態について納得がいきながらも、新たに生まれた疑問に再び首を傾げたルカは、肩を竦めるディアナに何やら盛大に侮辱された気がする。

花が無い暮らしの不満に対する腹いせだろうか?


 どんな生き方と問われ、直近の数百年間を眠って過ごしており、それ以前はかなり自堕落な生活をしてきたとは言えず、ルカはただ黙々とカトラリーを繰り、シチューを食べる事に専念した。




*****



 場所は変わって、教会本部。


「……して、手筈は整っておろうな、ウェリデ司祭?」

「はい、もちろん万全を期しております、枢機卿」


 そこには傲慢にふんぞり返りながら酒の並々と注がれた杯を呷る枢機卿と、冷たい床に片膝をつきながら恭しく頭を下げるニクスの姿があった。


 凡そ聖職者らしからぬ枢機卿の実態を知り、彼を本心から敬う神官など一人もいない。

強欲と傲慢が服を着て歩いているような男、それが枢機卿だ。


 だが、各地の貴族たちと裏で癒着し、教会の祝福を餌にお布施という名目で大量の金品を貢がせる彼は教会の財政のみならず、国の権力をも握っている。

中身が伴っておらずとも、彼のもとには大勢の野心家が集ってくるのだ。

ニクスもまた、その一人だった。


 気性の荒い枢機卿は人使いも荒く、【儀式】の下準備をするべく頻繁に本部へと赴くようになってからは、ニクスは小間使いが如く枢機卿にあれこれと用事を言いつけられる事が日常茶飯事となった。

枢機卿の身の回りの世話をする者は別にあてがわれているのだが、それでも枢機卿は好んでニクスにくだらない用事を言いつけた。


自分の声一つ、身振り一つでプライドの高い野心家が屈辱に顔を歪めながら動くのが愉快でたまらないとでも言うように。


 それでも司祭に位が上がって早々に枢機卿に目をかけてもらえるようになったのは運が良かったとニクスは思っていた。

欲しいものの為ならばこのくらいの苦労が何だ、と。


「漸くだな。漸く、そなたはあの空にかかる月を手に入れる事が出来るのだ」

「はい、それも枢機卿のお力添えがあっての事です。本当に感謝してもし切れません」


 ディアナを手に入れる為ならば、心にも無い言葉を口にして自分を貶める事すらニクスは厭わなかった。


「ふははははっ! そなたも口が巧くなったものだな、ウェリデ司祭よ」


 でっぷりと腹の突き出た枢機卿は、柔らかな闇を切り裂くようなけたたましい笑い声を立てる。

上機嫌で再び杯を呷り、酒が無くなったと知るや彼は杯で椅子の肘掛けを叩き、おかわりを要求する。

その姿はさながら高慢な独裁者のそれだった。


「仰せのままに」


 すっと細められたニクスの瞳は冷たい光を帯びている。

明るい未来だけを見つめていたつもりの彼が、しかし実際には全く見当違いの方向を見ていたのだと気付くのはずっと後の事だった。



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