第12話 願いと契り
「起きたのね。具合はどう?」
「……何ともない」
「本当に?」
「ああ」
ルカの発作が収まるのを待ってディアナはふらつくルカに肩を貸して支えながら、家へと戻った。
平気だと言い張るルカを強引に押し切って彼を自分のベッドに寝かせたのはもう何時間も前の事。
すっかり外は暗くなり、ランプの明かりの元に照らされたルカの顔は、あんな事があったとは思えない程、平静に満ちていた。
実際に見ていなければころっと騙されてしまいそうだ。
「すまない……」
「起きちゃダメ!」
「しかし、店が……」
「今日はもう終わったの。外も真っ暗だから」
身体の横に手をついて起き上がろうとするルカをディアナは慌てて制した。
もう夜だと言われ、ようやく周囲の暗さに気付いたルカは浮かせかけた腰を再度ベッドに預ける。
「ほら、飲むと落ち着くよ?」
「すまない」
ディアナが温かいお茶を淹れたカップを差し出すと、ルカは短く謝りながら両手でそれを受け取った。
座り込んだまま、手元のカップから白い湯気がゆらゆらと立ち上るのをぼんやりと無言で見つめる。
一方のディアナは、自分の分のお茶を淹れるとベッドの脇に置いていた椅子に腰掛けた。
部屋の中には、カモミールの爽やかな香りが満ちていた。
高ぶった神経を沈める効果のあるそれを彼女は大きく吸い込む。
彼女がカモミールディーを選んだのはルカを落ち着かせる為だけではなかった。
自分の激しい動揺を悟って、自分を落ち着かせるために淹れたのだ。
そっとカップを傾け、夏の残り香のするそれを少し口に含んで嚥下し、ほっと一息ついてからディアナは沈黙を破った。
「少し、聞いてもいいかな?」
「ああ」
お伺いを立てるディアナに対して、ルカはカモミールティーの水面を見つめたまま頷く。
まるで何もかも諦めて忘れ去ってしまったかのような、無気力なうわの空の彼の様子に胸をざわつかせながらディアナは再び口を開く。
「ルカは病気なの?」
「違う……と思う」
「じゃあ、今朝みたいな事はよくあるの? これまでにもあったの?」
「昔に……何度か」
質問の許可を出しておきながら、本心では答えたくないのか?
核心に迫るディアナの質問に対して、ルカの返答は常に曖昧だった。
思うだとか、思わないだとか煮え切らない返事に、ディアナは苛立ちを募らせる。
いつものだんまりよりもずっと腹が立つのはきっと、嘘を吐かれているとわかっているからだろう。
「一度、お医者様に診てもらおう」
「しなくていい」
「いいえ、診てもらうべきだわ」
「必要ない。俺は病気じゃないんだ」
「そんなの、それこそ診てもらわなくちゃ判らないじゃない!」
「必要ないと言っているだろう!」
カッと紅玉の瞳が燃え上がる。
ルカがディアナの前で大きな声を出したのはこれが初めてだった。
ビクッと身を竦めるディアナを見て初めて、ルカは自分が叫んだ事に気付いた。
そして、まだ自分はこんなふうに怒りを覚える事が出来たのかと、自分自身に驚く。
「……すまない」
「ううん。私の方こそ、ごめんなさい」
一周回って落ち着きを取り戻したルカは、ディアナに怯えさせてしまった事を謝罪した。
「でも、本当に医者はいいんだ。あれの原因は判っているから」
「原因がわかっているなら、どうして治そうとしないの?」
「治せないんだ」
「そんな……」
愛する者の命を喰らい尽くすまで、ルカの渇きの衝動は消え去る事は無い。
けれど、愛したが為に傷付ける事を厭うようになってしまった。
花や人を傷付ける事などルカには造作も無いが、傷付けたくないと思うようになってしまった。
ルカがディアナに出会うまでに感じていた渇きと、今朝の感覚は同じようで大きく違う。
比較にならない程、今回の衝動は強かった。
それを不治の病と勘違いしたディアナは言葉を失う。
指先がひどく冷たい。
とくん、とくんと心臓は懸命に全身へと温かい血液を送り込んでいるのに、指先は凍ってしまいそうなほど冷えたままだ。
先程まで確かに感じていた筈のカモミールディーの温もりが全くわからなくなってしまった。
「それでもここのところはずっとは落ち着いていたんだけどな」
「ごめんなさい、私……」
「……ディアナ? どうしてディアナがそんな顔をするんだ?」
「だって、私何も知らずに……」
「話さなかったのは俺だ。だから、ディアナは何も悪くない」
苦しそうで、今にも泣き出しそうな声にルカが振り向けば青ざめた顔をしたディアナがそこにいた。
ひどくショックを受けた様子の彼女が心配になったルカは、サイドテーブルにカップを置くと、手を伸ばす。
「大丈夫だ」
そっと触れたルカの手は、冷たいのにディアナには温かく思えた。
ルカは触れた肌の柔らかさを感じ、ディアナは頬を擦り寄せるようにして温もりを享受する。
「少なくとも、命に関わるものじゃないから安心しろ」
「いなくなったりしない?」
「ディアナが共にある事を望むなら」
「本当に?」
「ああ」
一方的に望むばかりで、望まれた事の無かったルカは、与えられた喜びを静かに噛みしめた。
望んで、望まれて。
与えて、与えられて。
そんな関係が彼には夢物語のように思える。
現実的に考えれば、ずっと一緒にいる事など不可能だ。
死ぬが早いか、縁が途切れるが早いかに差はあれど、出会いがあれば別れが必ずやってくるのが世の常だ。
それなのに、到底守れそうに無い約束も願いも、言霊に乗せれば叶う気がして――。
ディアナの綺麗な緑の瞳があまりにも寂しげで、大丈夫だと何の根拠も無い言葉をルカは口にし、頷いていた。
彼女の事、そして自身の為にも、影が彼女に移る前にこの場を去るべきだと理解しているというのに。
ルカは人が何故やたらと契りを交わしたがるのか、初めて理解した気がした。
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