第9話 買い物




 二人は手を繋いだまま、人の往来を躱しながら通りを駆け抜けていった。

そんな彼らの姿を見た人々は、二人を戯曲に登場する手に手を取り合って駆け落ちをする恋人のようだと思った事だろう。



「はぁ、はぁ……。ここまで来ればもう大丈夫かな?」


 久々に全速力で走ったディアナは、立ち止まると苦しげに呼吸を繰り返した。

汗を掻いた額に、銀色の前髪が張り付いている。


 対するルカはそれまで彼女に手を引かれるがまま一緒に走っていたにも関わらず、息ひとつ乱れていない。

そればかりか季節外れの重苦しい外套を羽織っているというのに、その額にもこめかみにも汗はだたの一筋も見当たらなかった。


「いいのか? あんなふうに放り出して来たりして」

「いいの! それより、行くよ」


 状況がわかっていないながらも何かぎこちなさを感じたルカが問うも、果物屋に並んでいたプラムのように赤い頬をしたディアナは一切の反論を受け付けなかった。

先程まで、とにかくあの場から離れたい一心でジグザグと無茶苦茶な走行していた自覚のある彼女は、辺りを見回して現在地を確認し、だいぶ目的地への道を逸れてしまったと呟きながら、歩き始める。


 何処へ行くつもりなのかというルカの質問に彼女が答える事は無く、そこに到着するまでの道中を二人は無言で過ごした。



「いらっしゃいませ~」


 そこはこれまたある一件の店だった。

考えてみれば、花畑でも彼女は買いたいものがあると言っていたとルカは思い返す。


 食料品街に並ぶ店と違うのは、あちらが建物の軒先に商品を並べていたのに対し、こちらは大きなテントの中に所狭しと陳列されている事だろう。

若い女性の売り子の声に導かれるように奥に進むと、目に入るのは大量の衣服だ。


「本日はどのような商品をお求めでしょうか?」

「ええと、彼に似合う夏物の普段着を探していて……」

「え、俺の?」

「あら? 恋人同士でのご来店ですか、お客様! まあっ、とってもお似合いの美男美女カップルですわね!」

「あ、あの……違っ」

「それにとっても仲が宜しいのですわね。手を繋いで恋人同士でお買い物だなんて、羨ましいですわ」


 ここでも売り子の女性にあらぬ誤解を受けた二人。

手を聞いた瞬間に、ディアナが慌てて繋いだままだったそれを振り解いたのは言うまでも無い。


「あの、これはそういうのじゃなくて、成り行きで……」

「少々お待ち下さいませ。彼にぴったりのお洋服をわたくしきっと見つけて参りますわ」


 根っからの商売人というものは、往々にして自分のペースに持ち込むのが得意な人種らしい。

お似合いだの、素敵だのと煽るだけ煽っておいて、売り子はさっとルカの方に向き直ると、上から下まで殺人光線が出そうな視線で彼の全身を舐め回した。

先程までのが接客モード、ここからは仕事人の顔のようだ。


「お客様、こちらへどうぞ。お嬢様はそちらの椅子にお掛けになってお待ち下さい」


 そう言うと、売り子はルカを伴って店の奥へと姿を消していった。



「お嬢様! こちらでいかがでしょうか?」



 ――数分後。


満面の笑みで店員が引っ張ってきたルカは、華やかな色合いとフリルをあしらった貴族のような出で立ちで現れた。

背中では深紅のマントがひらめき、なんともド派手な装いだ。


「ええと……。注文と全然違うような……」

「あら、イヤだ、わたくしったら。でも、お似合いじゃございませんこと?」

「何だか変に似合ってるけど、それ普段着でも夏物でもありませんよね?」

「そうでしたわね。少々お待ち下さいませ」



 ――さらに数分後。



「こちらはどうでしょうか?」

「これは……?」

「こちら大陸の果ての、そのまた東の海に浮かぶというとある島国の伝統のお衣装だそうですわ」

「ええと、通気性はさっきより良さそうだけど、普段着とは違うような……?」


 今度のルカはドレスのようなヒラヒラとした袖のついた、ペラペラの下着のような服を身に纏って姿を現した。

先ほどと違って確かに涼しげではあるけれど、見慣れない型の服にディアナは戸惑いを隠せない。

弛めに合わされた前からルカの白い鎖骨が覗き、得も言われぬ雰囲気を醸し出している。


「確かに珍しいお衣装ですけれど、とってもお似合いですわ。もしやと思ってお出しして参りましたが、まさかここまで着こなされるとは私も思いもしませんでしたわ」


 そう言ってしきりに推してくる店員の言葉は嘘では無い。

そこらの男が着れば、ただだらしないだけに見える服だが、ルカが着るとどういう訳か、神秘的に映る。


 そんな空気に当てられたディアナは花が恥じらうように、みるみる頬を赤らめていった。

ルカもまた、それにつられたようにうっすらと頬を染めて俯く。


「素敵ですわ! これが青春というものですわね! そんなお二方の、初々しさに免じて、こちらのお衣装、なんと八十アウルムでご提供致しますわ!」

「高っ!」


 同居人の姿を正視出来ずにちらちらと目を向けては逸らしてを繰り返していたディアナだったが、店員が代金を言うなりさっと我に返った。


「あら、これでも破格ですのよ? 正規の代金でしたら、百アウルムは下りませんわ」

「高っ!」


 さらっと恐ろしい事を言ってのける店員に、ディアナはもう一度叫んだ。


 金貨百枚なんて、とても庶民がおいそれと出せるお金では無い。

ディアナの一日の稼ぎがせいぜい、アルゲントゥム銀貨三枚から五枚。

銀貨百枚で金貨一枚だから、八十アウルムは八千アルゲントゥム。

四年かかっても買えない計算になる。


 ほとんど一枚で作られたその衣装のどこにそんな価値があるのか、ディアナにはさっぱり理解出来なかった。

何の変哲も無さそうだけれど、腰で結わえられた布製のベルトが意外と高価だったりするのだろうか?


「もう少し露出を抑えた服がいい」

「そうですか? 残念ですわ、とてもお似合いでしたのに……」


 ディアナが高くて買えないと言うよりも先に他ならぬルカ自身がダメ出しをし、店員は肩を落としながらもルカを連れて店の奥に引き返していった。

どうやら、ルカを人形代わりにして遊んでいただけではなく、本気で売りつけるつもりでいたらしい。


 その様子に空恐ろしいものを感じながら、それでも先程のルカの姿を思い出して空気の余韻に浸り、胸をトクトクと高鳴らせるディアナ。


 その後もディアナと店員は不毛な議論を繰り返しながら、結局モデル本人が肌触りがいいからという一点のみで決めた、ガーゼ生地のチュニックを購入する事となった。



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