第7話 来世への願い




「ルカ? ちゃんと起きてる?」

「うん? ……ああ」



 ――翌朝。

初めての朝よりは随分と早く起きられるようになったルカだが、それでもやはり彼はなかなか気持ちの良い目覚めを迎えられずにいた。

今もこうして、ウトウトとスープの器に顔を突っ込んで眠ってしまいそうになっている。


 そんなルカを、ディアナはテーブルの向かい側がら眺めながら自分も食事を進める。

そうして時折、危険な兆候を見せるルカに声を掛けてやっていた。


「そういえば……。どうしてこのスープは熱くないんだ? 昨日のは舌がピリピリするくらい熱かったのに……」

「それはルカが早く起きないからでしょ? 私が手抜きをしたみたいに言わないでよ」

「そうなのか……?」


 現在進行形で開店時間に遅刻しかかっているというのに、スープを温め直すなどという猶予がある筈も無く。

温かいスープが食べたいと暗に注文をつけられたディアナは、憤慨した。


 対して、ルカは起き抜けのせいかいつにも増して全ての動作が緩慢で、どこか優雅でアンニュイな雰囲気を漂わせながら、黄金の髪を揺らして首を傾げる。

要するに、彼はマイペースなのだろう。


「温かいスープが飲みたかったら、早起きする事!」

「……分かった」


 未だぼんやりとした様子でもごもごと応えるルカの姿が朝の喧噪や慌ただしさとは無縁の、どこか遠い存在にディアナの目には映った。



 この日は恋人に結婚を申し込むのだという男性がごっそりと買って行った為、いつもより早い店仕舞いとなった。


「いいなー、求婚に花束なんて素敵だな~。ねっ、ルカもそう思うでしょう?」

「そうか?」

「もう、ルカったら女の子の気持ちが全然解ってないんだから。でもあの人の求婚、うまくいくといいね」


 上機嫌なディアナは家への道すがら、薔薇の花束を買っていった男の話題を口にする。

家に着いたら、早速二人でコスモスの種を撒く予定だ。

求婚に花束は女の子の憧れだと語る彼女の横で、イマイチその辺りの情緒に欠けるルカは首を傾げる。


「ディアナがそう願いを込めて作った花束なのだから、うまくいくだろう」

「私にそんな不思議な力は無いよ。だけど、ルカがそう言うなら、そうなのかな?」


 それでも求婚が上手くといいねというディアナの言葉には、どこか確信めいた返答がきて、ディアナはカールをした長い睫を震わせながらくるりと目を瞬かせた。


「やっぱり、こういうのは男の人がやると早いね」

「ディアナが遅過ぎるだけだろう」



 家に帰ると、荷物を置いて二人は花畑へと直行した。

ディアナの家辺りは寂れていて人口があまり多く無く、土地だけなら有り余っていた為に、ルカが想像していたよりもそこは広い畑だった。


 最初はディアナが土を耕し、ルカはそれを見ているだけだったのだが、何を思ったのか途中で交代すると言い出したルカに鍬を預けると、あっと言う間に土は一面フカフカに耕されてしまった。


 早いと呆気にとられるディアナの横で、彼は汗一つかいた様子も無く、涼しい顔をするばかりだ。

夏も近いというのに、ルカは初めて会った時と同じ黒の外套を羽織ったままだ。


「ルカって背は高いけれど細いから忘れてたんだけど、やっぱりルカも男の人なんだね」

「何だ、今更?」

「すごいな~って感心してただけ。こんな事なら、もっと早くルカに頼めば良かったな」


 そんな会話を交わしながら、二人はサラサラと風に乗せてコスモスの種を撒く。


「はい、これで終わり」

「もう終わりなのか?」

「今日はね。明日から毎日、朝と夕方に水をあげるの。これはルカの仕事だからね」

「俺の……」

「イヤ?」

「嫌……ではない」

「そ。じゃあ、お願いね」


 ディアナは最近になって気付いていた。

ルカの嫌いじゃないは好きだという事に。



「今日はもう終わりじゃなかったのか?」

「他のお花のお世話もあるからね」


 コスモスの種捲きを終え、家へ戻ろうとしたルカをよそにディアナはまだ花のないレインリリーや、アルストロエメリアなどの他の花たちの世話をする。

花の世話をしている彼女は、店をしている時よりも輝いて見えた。


 一人だけ先に帰るのもどうかと思い、手持ち無沙汰なルカはそんな彼女の背中に問いかける。


「ディアナはどうして花を売るんだ?」

「花が好きだから。それじゃあ、納得出来ない?」


 ルカの方を振り向く事無く、手を動かしながら答える彼女の言葉はとてもシンプルなものだった。

出会ってからずっと疑問に思っていた事に、こうもあっさりと返されて、ルカは釈然としないものを感じる。

生活の為だとか、身も蓋も無い返事をされてもやはり納得がいかないのだろうが。


「花はすぐに色褪る。摘み取った三日の後には花弁を散らし、一週間後には枯れてしまう弱い存在だ。それに毎日両手いっぱいの花が売れたとしても裕福な暮らしは期待出来ない。何故、花なんだ? 店をするなら、もっと売り物に適したものが幾らでもあるだろう?」

「そんな弱さを含めて好きなの」


 言葉を替えて再度問いかけたルカは、目を見張った。


「花は満開こそ美しいと誰もが言うわ。私も満開の美しさは否定しない。だけど、満開以外は価値の無いものかっていうとそうじゃないと思うの」


 ディアナはゆっくりと振り向くと、まだ蕾のサンフラワーやレインリリーを両腕を広げて示した。


「蕾は、これから美しい花を咲かせるという希望の象徴。咲き初めの花には初々しさを、散りゆく花びらには移ろう命の儚い光を感じるの。未熟や衰えの時期があるからこそ、ルカの言う弱さがあるからこそ、一瞬の美しさが際だつの。人は丈夫なものや力強さに牽かれるものだけれど、命の長さや傷付きやすさなんて、生き物の価値には関係ないと思うわ」


 弱さ、儚さをも含めて全てを愛する。

それは永い時を生きてきたルカが思いもしない答えだった。


 ルカのような種族に比べ、人間はちょっとした事ですぐに傷付き、命を落としてしまう。

それだけ、人の命は壊れやすく、短い。

弱さは何時だって唾棄だきされるべきものだった。

それなのに、そんな弱さがディアナは愛おしいと言う。


「……って、私ったらつい熱く語っちゃったけど、変だよね。教会の教えでは、欲望や孤独に屈するのは弱さのせいで、だから弱さは罪だって言ってるもん……」


 夕日に頬を染めるディアナ。

その発言は教会の教えに反する内容だったが、そんなものはルカにとってはどうだって良かった。


 女神の如き慈愛。

曇り無き心に胸を打たれ、長く止まっていた時が漸く動き出したようにルカは思う。


 彼女はルカの為にそう言った訳ではない。

ルカがどれほど罪深いかを知らず、彼女の根底にある思想・主義を主張しただけに過ぎない。

それでもルカは地上のどんな存在よりも尊く輝いて見える彼女の元に在って初めて、自分が赦されたような気がした。

花に水を与えるように、彼女はルカに赦しを与えたのだ。


「もし、もう一度生まれ変われたとしたら……。それがもし許されるというのなら、俺は花になりたい」

「……え? 急にどうしたの?」


 脈絡も無く来世への希望を語るルカをディアナはきょとんと見つめる。

オリーブグリーンの瞳に宿る光はどこまでも柔らかで。

そんな彼女の元で、花として生きてみたいとルカは半ば本気で思うのだった。



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