第6話 赤いスープとルカ


「今日も完売したな」

「うん、ルカが来てくれてからこっち、売れ行きがいいの」

「そうなのか?」

「そうだよ。ルカがいると、女性客の人気が全然違うんだから」


 今日も商売を終えた二人は店仕舞いをしながら、そんなとりとめのない言葉を交わしていた。


 このところは、日が暮れる頃まで粘らなくても、花が売り切れるようになった。

これはディアナの言う通り、ルカの存在が大きい。


 売り子をする訳でも無く、接客をするでも無く、置物のようにただディアナの隣に黙って座っているだけなのだが、それでも調った面差しに華のある容姿をしているルカがそこにいるだけで、自然と女性が集まってくるのだった。

そこへすかさずディアナが花を売りつけるという手法である。


 ルカの憂いを含んだ雰囲気に心を奪われて財布の紐の緩んだ女性客たちは、促されるままに花を買っていった。


「この調子なら、一日あたりに売る花の量を増やしてもいいんじゃないのか?」

「残念だけど、それは出来ないのよね」


 今日も売れたと言って、ささやかな売り上げの入った駕篭を嬉しそうに抱えるディアナの隣を歩きながらルカが提案をすると、彼女は一変して表情を曇らせる。


「何故だ?」

「花だって、種を撒いてから一瞬で咲く訳じゃないのよ。今日、たくさん摘んでしまえば、明日の花が無くなってしまうわ」

「あれをわざわざ育てていたのか? 花など、その辺りにどこでも咲いているだろう? なくなれば、次の場所を探せば良いだけの話ではないのか?」

「そんな事言って、国中の花売りが毎日好きなだけ摘んでいたら、すぐに国中の花がなくなってしまうわ。だから自分で育てて、その日に売れる数だけ摘んで、花の命をいただくの」


 ディアナが当たり前のように語るそれは、ルカには何とも奇妙な思想に思えた。

その辺りに生えている草花と、ディアナが毎日販売している花では、確かに店売りの花の方が華やかだし、見栄えも香りもいいが、それもほんの一瞬の事だ。

少し時間が経てば、色褪せてしまう。

何故、その辺りの花ではいけないのか、色褪せた花ではいけないのかと首を傾げる。


「花だって、小さな生き物にとっては住処であり、その蜜や種子を求めて集まってくる生き物たちにとっては大事な生きる糧なのよ。無闇に摘んでしまうなんて、罪深い行いだわ」

「そういうもの、なのか……?」

「私たち人間だって、パンやお肉を食べるでしょう? パンは小麦、お肉は動物の命を毎日少しずついただいて生きているの。それと同じよ。私も、最初にお花を育て始めたのは自分が生きる為に摘み取ってしまった命への償いのつもりだったの。だけど、段々と育てるの自体が楽しくなってしまって。明日はどの子が咲いてくれるのかなって、毎日楽しみなの」


 摘み取る為の命を育む。

その行為の意味がルカには釈然としなかった。


 ルカの知っている同族は凶暴なまでに、欲望に忠実な怪物だ。

欲しいと思えば、最後の一滴、最後の一欠片まで食らい尽くし、後の事など考えない。


 永遠の時を生きる同族は刹那に生きたがり、二百年にも満たない命の人間は未来を生きたがる。

どんな皮肉なのだろうか?


 ただ一つ、彼女の話の中でルカが深く納得したのは、自分のような怪物も人も、生きているというだけで罪深いという点のみだった。

誰かの、何かの命を糧にする事でしか、生きる手段を見いだせないのだから。

それでも、何千年も生きて他の答えを見つけられない彼らは、人間などよりずっとずっと浅はかな存在なのかもしれない。


「そうだ、今度はルカも早起きして一緒にお花の世話をしようよ? 種撒きをするのもいいね。今からの季節だと……、そうだな。コスモスの種が丁度良いかな?」


 帰途につきながら、ディアナは腕を組んで、何の花が良いか、考えを巡らす。

荷物運びは、居候のルカの担当だ。

夕日に髪を煌めかせながら跳ねるように歩くディアナの横に並び立つルカの動きは、落ち着いてゆったりとしたものだった。


「コスモスとはどんな花なんだ?」

「それは咲いてからのお楽しみ。ねっ? 興味が沸いてきたでしょう?」

「興味……」

「もう、またルカったら。こういう時は嘘でもいいから、うんって言うの!」


 肝心なところでいつも首を傾げてしまうルカに、ディアナは頬を膨らませる。

尖って突き出た唇が、ルカの目にはユリの花のように見えた。




「もうすぐだから、少し待っててね」

「ああ」

「ほら、出来たよ」

「これは……?」

「レンズ豆のスープだよ。熱いから、気をつけて食べてね」


 家に帰った二人は、同じテーブルを囲んで夕食をとっていた。

この日のメニューはレンズ豆のスープに、保存しておいた胡桃くるみを混ぜて焼いたパンだった。

豪勢なものでは無いが、どちらも腹の膨れるメニューである。


「今日も大地の恵みに感謝致します」


 ディアナは自分の席につくと毎食ごとの祈りを捧げてから、木製の匙を手に取る。

それを湯気の立つ赤いスープに沈め、レンズ豆を二粒ほど掬った時だった。


「くっ……」

「ルカ!? どうしたの!?」


 向かいの席で珍しく焦った様子で表情を歪め、びくりと身体を震わせるルカの声に、ディアナは弾かれたように顔を上げる。


 いったい彼の身に何が起こったのか?

さっと顔色を変えるディアナにルカは訳が判らないとひどく困惑した表情で訴えた。


「このスープを口に含んだら、舌がピリピリした」

「スープ……、舌……? ……もう! おどかさないでよ! ただの火傷じゃないの」


 眉を寄せて困っているというのに、自分の状況を説明するルカの声はやけに低く、穏やかで。

数秒掛かって、彼が火傷をしたのだと理解したディアナは、心配して損をしたと不満げに言う。


 実を言うとここのところディアナは、今日こそ美味しいという言葉を彼の口から聞き出そうと、手を替え品を替え躍起になっていたのだ。

今日のスープには、今年の初物のある野菜を使ったのだが、これがなかなか癖のある食材で、人によってかなり好き嫌いが分かれてしまう。

味がどうのという以前に、熟す前のその野菜には中毒症状を起こす毒が含まれているからと言って、食すのを嫌がる人もいるくらいだ。

そこへ来てあの反応を見てしまえば、口に合わなかったのか、それとも万が一にでも自分が食べ頃を見誤って毒のあるものを使ってしまったのだろうかと、慌ててしまってもおかしくない。


「火傷?」

「熱いから気をつけてねって言ったでしょう?」

「……ああ。そういえば、これが火傷というものだったな。そうか、じゃあ、この間のあれも……」


 席に着く前にきちんと注意を促したにもかかわらず、アツアツのスープを無造作に口にしてしまったルカを、ディアナは子供みたいだと思った。

聞いていなかったのではなく、熱いという概念そのものを失念していたかのような口振りが可笑しい。


「独りでブツブツ何を言っているの? ほら、口の中を見せて。アロエを塗らなきゃいけないかもしれないから」

「いや、それはいい。このくらい、すぐに治る」


 口の中を見せるのを強情に拒絶し、嫌がるルカの姿は、医者を嫌がる子供そのもので、頑ななその様子にディアナは肩を竦める。


「もう、後で痛くなって皮が剥けても知らないんだからね。ほら、早く食べないと、せっかくのスープが冷めちゃうよ?」

「しかし、このままでは食べられないだろう? ディアナは平気なのか?」

「ルカよりは平気かも……。熱いものを食べる時はね、こうするのよ」


 この間の、などと一人でうんうん頷いて納得しているルカの意識をどうにか目の前のスープに向けさせると、ディアナは手本を見せるように自分の皿から匙でスープを一掬いし、ふうふうと息を三度吹きかけ、赤い液体を口に含む。


「うん、美味しい」


 自画自賛するディアナの目の前で、ルカは見よう見真似で、それでも念を入れて五度程息を吹きかけてから、そろりとスープを口に流し込んだ。

熱する事で柔らかくなったトマトの程良い酸味と微かなスパイスとミントの香りが、鼻に抜ける。


 最初のひと口をじっくりと味わい損ねたルカは、それはもうたっぷりと口の中で転がすように豆の表皮の艶やかな舌触りや、初夏を思わせるトマトの酸味を確かめる。

鋭い牙に当たってぷつりと皮が裂けたレンズ豆は、為す術も無くルカの口内で押しつぶされ、どろりと溶けて消えていった。


「美味しい……」

「え……?」

「もっと食べたくなる。この感覚を美味しいと言うのだろう?」

「ええと、多分?」


 ぽつりと自然にルカの口から零れ落ちたそれは、ディアナの鼓膜に小さな振動を与えた。

それがじわりじわりとディアナの内側に浸透していく。


「そっか……、美味しいのね。良かった」


 漸く聞けたその言葉をディアナはゆっくりと噛み締めながら、ルカは猫舌だと脳内に深く刻み込んだ。



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