第5話 孤独の花
「……それにしても、ディアナ。そんな危険な目に遭うようなら、やっぱり一緒に教会で暮らさないか? 前に話した時は断られたけれど、悪い話じゃないだろう? ディアナなら働き者だから、皆も喜んで歓迎するだろう」
ルカと握手を交わしたニクスは、すぐに再びディアナへと視線を戻した。
どうにも昨日の事件が気になるらしいニクスは、詳しい話を根掘り歯堀りとディアナから聞き出し、眉間にシワを寄せてしかめ面をする。
そうしていると、登場した時の砕けた雰囲気とは打って変わって厳めしい雰囲気が実に聖職者らしい。
そんな彼は、ディアナをなんとか自分の庇護下に入れて守ろうと必死だった。
端から見ても、彼がディアナに対して特別な感情を抱いているのが判った。
それはルカとて例外では無い。
握手の後にずっと自分の手を見つめていたルカだが、顔を上げ、二人の姿を黙って見比べている。
「嫌よ」
「何故だ!?」
「悪い話じゃないからこそ、嫌なの。だって私は教会に行かなくても、ここでこうして働いて、十分に暮らしていける。勿論、裕福な暮らしではないけれど、あまり贅沢を言っては罰が当たるわ。私よりも救いが本当に必要な人に手を差し伸べてあげてほしいの」
一考の余地も無く、にべにも無く断られたニクスは、つい感情的になって声を荒げた。
こういうところは若さゆえか、司祭らしくない。
本質的には彼は直情的な男なのだ。
それを普段はひた隠しにしているだけに過ぎない。
自分より、もっと貧しい人、より不幸な人を救ってほしい。
聖職者としての立場からなら、ディアナのその姿勢をニクスは歓迎すべきなのだろう。
だが、一方でただのニクス個人、ディアナの幼馴染みとしてのニクスが、彼女の意固地なまでの態度に不満を抱いている。
それを言われては何も言い返す事が出来ないという、まさしく急所だったからこそ、余計に苛立ちにも似た焦りを覚えているのだ。
内外から異例の早期出世だともてはやされていたが、こんな事では自分もまだまだだなとニクスは頭を振った。
ふ~っと、大きく息を吐いて、ざわつく胸の内を彼は落ち着かせ、口を開く。
「まったく、ディアナは昔から頑固だな~」
「それはお互い様でしょう? それに加えてニクス様はいつもしつこいわ」
「しつこいじゃなくて、粘り強いと言ってくれ。あと、様はいらない」
「いいえ、ニクス様はやっぱりしつこいわ。まるで鳥もちのようだって、皆が言っているわよ?」
「ははっ、それは酷いな。随分な言われ様だ。……そうだ、ルカくんからもディアナに言ってやってくれないか? 教会で私と一緒に暮らすように、って」
親しげにふざけ合うディアナとニクスの様子をぼんやりと眺めていたルカは、急に自分へと向けられたニクスの氷のような視線に反応が遅れた。
まさかそのタイミングで自分に振られるとは思っていなかったのだ。
話の内容がルカ一人関係無いというのもあるが、ルカが瞠目した原因はむしろ他にある。
今は見た目にはとても友好的なニクスだが、その視線には親しみとは別の、それこそ正反対のものをディアナの目を巧妙に盗みながらぶつけられているような気がしてならなかった。
「俺は……ディアナのしたいようにすればいいと思う」
「ルカ、ありがとう」
「参ったな、これは」
自分の意志を尊重してくれたルカにディアナは感激したように礼を言う。
その向かいで、思惑の外れたニクスは肩を竦めた。
「そろそろ礼拝の準備があるから、私は行くよ。だからと言ってまだ、君を諦めた訳じゃないからな。どうやら私はヘビのようにしつこい人間らしいのでね」
「もうっ、ニクス様ったら。私なんかにかまけていたら、信仰にそっぽを向かれるんだからね」
暇乞いのついでにディアナに意趣返しをしたニクスは、また来ると言い残し、純白の外套の裾をひらりと翻しながら去っていった。
「ニクス様はね、あんなだけど私たちの期待の星なの。教会の祭壇に立つと、さっきとは詐欺か別人かって思うくらい、全然違う雰囲気で、立派な司祭様になるの。急に聖職者になるって言い出した時には驚いたけれど、助祭から司祭になるまであっという間だったわ。司教様になる日も近いって言われているのよ」
ニクスの背中が通りの向こうに消えるまで見届けてから、ディアナはお節介な幼馴染みについてポツポツと語る。
自分の事のように誇らしげに、それでも過去を懐かしむような、少し寂しそうな顔をする。
「私たちとは?」
「ああ。私もニクスもね、孤児院で育ったの。ニクスの方が二つ年上でね、だからかな? いつも私の事を子供扱いして、ああしろ、こうしろってうるさいの」
もう、うんざりと言いながら柔らかく微笑むディアナはスズランの花のようだった。
彼女の表情と言葉の不一致に、ルカはもやもやとしたものを胸の内に抱く。
それが何かは彼には判らなかったが、それでも快・不快でいえば不快の方である事では無い事は明らかで。
彼女の語る過去よりも、彼女の表情の方がルカには気になった。
「そんな悲しそうな顔しないで。孤児院での暮らしだって悪い事ばっかりじゃなかったのよ?」
「悲しい……?」
「悲しいっていうより、寂しそうなのかな?」
「寂しい? 俺が?」
「うん。違いを何て説明したらいいのかな? 悲しいっていうのは、つらい事があって泣きたくなるような気持ちで。寂しいっていうのは失った何かや足りない何かを求めて、それでも手に入らなくて切なくなる気持ちかな。今のルカはそんな顔をしてるよ」
「寂しい、か……」
「私の代わりにルカがそんな顔をしなくてもいいんだよ」
自分の重い過去を聞いてルカが表情を曇らせたと勘違いしたディアナは気にしないでと微笑む。
その笑みにルカはほんの少しだけ足りないものが満たされたような気がした。
足りないと感じた事は数え切れないくらいあった。
常につきまとわれていたと言ってもいい。
それがディアナの言うように寂しかったのだとしたら?
自分はずっと耐え難い孤独を抱え、いつしかそれが当たり前となり、何も感じなくなってしまったのだろうか?
それならどうして起きてからの自分は、こんなにも色んな事を考え、思い、感じるのだろうか?
ルカは静かに自問する。
「だけどもし我が儘を許してくれるなら、私の弱さを赦してくれるなら……。今日、さよならするんじゃなくて、おやすみ、また明日って言ってくれないかな? 私と一緒に暮らしてくれないかな? 今日も、明日も、明後日も……」
ニクスが現れる前にしようとした話。
唐突な話で驚かれるだろうとディアナが思った通り、ルカは言葉を失って目を見開いている。
それを見てディアナは慌てて言葉を継ぐ。
「昨日、家に泊めたのはお礼でしょう? だから今日からは、私のお願い。……なんて、都合良すぎるかな?」
「でも、どうして俺……。彼は? ニクスは……?」
「ほら、私ってニクスによると危なっかしいらしいし? ニクスはこの街の皆の……、ううん、神様のものだから、一緒に暮らせないって言ったけど、ルカは違うでしょ? 一緒に暮らせばルカは住むところができるし、私は寂しくない」
「ディアナも寂しい、のか?」
「うん、寂しいよ。すごく寂しいんだ。だから、お願い」
ディアナは孤独を感じる事を己の弱さだと言った。
それなら、孤独に囚われたままの自分は何だと言うのだろうかとルカは考え込む。
ディアナと一緒にいればそれがわかる日が来るのだろうか?
「ディアナがそう望むのなら」
もう少し彼女の傍にいるのも悪くないと、ルカは低く頷く。
「ありがとう、ルカ」
ルカの厳めしい表情を固唾を呑んで見守っていたディアナは、緊張から解放されるなり、ふわりと頬を弛める。
薔薇の花が風に揺れていた。
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