極道さんはパパで愛妻家
はじめてのおつかい
その日、賢吾は古ぼけたビルの一室で仕事をしていた。
昭和を感じさせるレトロな字体で『姫宮ビル』と書かれた看板がかかったビルは、賢吾の所有するビルだ。名前は買い取った時に賢吾がつけた。ちなみに姫宮というのは佐知の学生時代のあだ名だが、本人はそう呼ばれていたことすら知らない。外見こそ古びてはいるが、中は高級ホテルに負けない程度の改装がされている。
ここは日々賢吾が仕事をしている場所で、言うなればオフィスのようなものだ。賢吾は現在様々な会社を経営していてビルも多数所有しているが、そちらのほうには極力顔を出さないようにしている。
暴対法のお蔭で、極道は何かと生きにくい世の中だ。こちらもそれなりに対策はしているが、目立たないに越したことはない。どんなに服装なんかで誤魔化したところで、この体に染みついた極道臭さはそう簡単には消せないのだ。
書類を片手に、机に置かれたデスクトップのマウスを操作する。今時は極道もハイテクの時代だ。それぞれの会社とのやり取りに株価の動向、ついでに佐知の現状報告、全てがこれ一つで行えるのだからありがたい。もちろん外部に漏らすことのできないものに関しては、証拠を残さないように細心の注意を払っている。便利なものにはそれなりのデメリットもあるものだ。
そんなことを考えながら仕事をしていると、端に表示させている防犯カメラの映像に動きがあった。
「伊勢崎?」
ビルに入ってくる伊勢崎の姿が映る。その足元に史の姿を見つけ、賢吾は首を傾げた。
いつもなら伊勢崎は保育園に史を迎えに行って、屋敷に送り届けている時間だ。どうしてこちらに連れてきたのかと思案している間に、伊勢崎の到着を知らせる内線が鳴った。ほどなくして、史を連れた伊勢崎が扉を開ける。
「どうして史を連れてきた」
「申し訳ありません、若。史さんがどうしても若に頼みたいことがあるそうで」
「頼み?」
「あのね、ぱぱ。ほく、ほしいものがあるの」
「欲しいもの?」
史が自分から何かを強請るなんて珍しい。片っ端からおもちゃを買い与えようとする吾郎ほどではないが、何だかんだと賢吾も史には甘い。史がどうしてもと言うのなら、どんなおもちゃでも手に入れてやろうと密かに思うが、簡単に手に入ると思われるのは教育によくないので、とりあえずすぐに了承はせずに問い返す。
「何が欲しいんだ?」
「ないしょ」
「それじゃあ買ってやれないな」
この時点ですでに金に糸目はつけない所存の賢吾だが、あまり我儘を通させる訳にはいかない。わざと真面目くさった顔で言ってやると、何故か史は首を振った。
「ううん、ぱぱはかってくれなくていいの。あのね、おじいちゃんがおこづかいくれたの。それでぼく、これでおかいものしたくて、でもぱぱとさちといくんじゃなくて、ひとりでいきたいの。……だめ?」
駄目に決まっている。そう言いたいのは山々だが、佐知譲りの上目遣いの破壊力がすごい。血は繋がっていなくとも、史からは確実に佐知の影響を感じる。
「……分かった」
「若?」
伊勢崎が、何を言っているのかという視線を向けてくる。史の立場を考えれば当然の反応だが、ただでさえ史にはやくざの息子ということで我慢させていることも多い。たまの我儘ぐらいは叶えてやりたいと賢吾は思った。……上目遣いに負けたつもりはない。
「ただし、一人じゃなくて碧斗に付き合ってもらえ。どこに買い物に行くのか、先に言っておくことも忘れるな。いいな?」
「うん!」
お願いがすんなりと通った史が、驚きと喜びを同時に表したような顔をした。賢吾に抱きついてえへへと笑う史の頭を撫でてやる。
「今回だけ特別だ。次はないからな?」
「うん! ありがとう、ぱぱ!」
言葉を交わす親子をよそに、伊達に何年も仕えている訳ではない賢吾の片腕が、賢吾の言いたいことを先回りしたように電話をかけ始める。
「もしもし、俺だ。今すぐ画質の一番綺麗なビデオカメラを買い占めてこい」
かくしてここに、史の初めてのおつかい大作戦が始まったのだ。
「いってきまーす」
休日のその日。賢吾は佐知と並んで、史と碧斗の二人がこちらに手を振りながら出かけていくのを見送っていた。
うさぎの耳がついたパーカーを着た史と、くまの耳がついたパーカーを着た碧斗。お揃いの恐竜モチーフのリュックを背負って歩く後ろ姿が見えなくなると、賢吾はおもむろに耳にイヤホンをつけ、スマホから繋がっているイヤホンマイクに話しかける。
「てめえら、準備はいいか?」
『こちら、八百屋前、オッケーです』
『こちら公園、大丈夫です』
『三丁目の角、オッケーです』
スマホからは、何人もの声が聞こえてくる。同時通話ができるアプリを使って情報を共有しながら、記録用にムービーを撮る準備も万端に整えていた。
「ほら、賢吾! 史に見つからないように俺達はあっちから先回りするぞ!」
佐知と賢吾に内緒にしたいという史には悪いが、保護者としてはやはり子供を一人でうろうろ出歩かせる訳にはいかない。許せ史、と心の中で謝りながら、賢吾はいそいそと佐知についていく。結局のところは面白がっているのである。
『こちら三丁目の角です。今史坊ちゃん達が見えました。二人で手を繋いで歩きながら歌を歌ってます』
見なくても光景が浮かぶ。ふふっと笑う佐知と一緒に電信柱に隠れながら、史と碧斗が最初の目的地に着くのを待った。
「お、来た」
最初の目的地は、商店街の中にある花屋だった。
「おはなください!」
外にいても、史の大きな声が聞こえる。その後は店の中に入ってしまって声が聞こえなくなったが、そこでチューリップを一輪、綺麗にラッピングしてもらった史は、首から下げていた財布の中から金を払って、意気揚々と外に出てきた。
「ぼくたちすごいね!」
「おう! もうおとなだな!」
チューリップを史のリュックに差し、二人はうししと笑ってまた歩き出す。
『……碧斗ってば』
思わずと言った様子でくすりと笑った舞桜の声が耳に届く。碧斗の様子を心配した舞桜も、もちろんこの作戦に参加していた。賢吾達とは違った場所から、二人の様子を確認しているはずだ。
舞桜だけではない。今回のことは商店街の店主達にも話を通してある。そのため、賢吾達がこそこそと行動していても誰も何も言わないが、店主達も気になるのか、不自然なほどに店先に出てラジオ体操をしていたりする。
そうして皆に見守られながら、史と碧斗が次に向かったのは洋菓子店だった。時々、賢吾が史へのお土産としてケーキを買って帰る店だ。しばらくして大きな箱を二人で一つずつ抱えて出てきた姿に、賢吾はふっと笑みを零す。あそこのショートケーキは史の好物なのだ。あんなに買って食べきれると思っているんだろうか。
二人は箱の中のものを潰さないように慎重に歩く。賢吾が史から聞いていた買い物をする場所はこれで終わりだ。後は先回りして屋敷に戻り、史達を出迎えてやるだけ。……そう思ったところで、佐知が「あれ?」と小さな声を上げた。
「方向が違わないか?」
「……確かに。どこに行くつもりだ?」
買い物を済ませた二人は、話をしながら屋敷とは別の方角へと向かっていく。これ以上何を買いに行くつもりなのかと、賢吾と佐知も、そしてスタンバイしている組員や舞桜にも緊張が走ったが、途中で佐知が「あ」と声を上げた。
「この先は、史の母親の墓だ」
「……なるほど。チューリップか」
花屋で買ったチューリップは、母親のためのものだったのか。賢吾と佐知は顔を見合わせて、史らしいなと笑みを零す。
史が屋敷での生活に慣れた頃を見計らって、史とは母親のことについて改めて話をした。聡い史は母親が亡くなったことをちゃんと理解していて、墓参りに行くかと聞いたら行くと言ったので、それ以来月命日には必ず賢吾か佐知と一緒に墓参りに行っている。
墓は吾郎が手配した。史の母親は身寄りがなかったようだから、吾郎なりの罪滅ぼしのつもりだったのだろう。
史を産んだ人だ。それだけで賢吾にとっても佐知にとっても大事な人で、史にとって母親の存在が特別であるということは理解している。史がそうしたいなら、いつまでも付き合うつもりだ。
通い慣れた道だから、墓に向かう史の足取りに迷いはない。あっという間に墓の前に辿り着き、史は持っていたケーキの箱を墓の横に置いて、リュックに差していたチューリップを取り出す。
「ままのすきなちゅーりっぷかってきたよ! それからね、ぼくのあたらしいおともだちのあおと!」
そう言ってチューリップを墓前に供えた史が、「あおと、ぼくのままだよ」と碧斗に言うと、自身も複雑な環境に身を置いている碧斗は素直に頷いて、持っていたケーキの箱を下に置いた。そうして墓の前で姿勢を正す。
「よしわらあおとです! えーっと、えーっと……ふみはおれがしあわせにするのであんしんしてください!」
『……結婚の挨拶か』
イヤホンから、思わず漏れたといった風の伊勢崎の声が耳に届く。どうやら伊勢崎もこの場に来ているらしい。そう思って辺りを見回すと、予定外の史の行動に驚いた組員達や舞桜も皆、あちらこちらから史達を見守っていた。過保護なことだ。……もちろん自分達も含めてだが。
そうして見られていることも知らず、二人はそろって手を合わせる。
「きょうはね、ままにおねがいがあってきたの」
お願い? 月命日に参りに来ている時には、嬉しそうに近況報告をしているだけでそんなことをしていたことはなかった。珍しいなと首を傾げている間にも、史の言葉は続く。
「ぼく、ぱぱとさちがだいすきなの。ぱぱとさち、ここにもくるからしってるでしょ? それでね、ぼく、ずっとぱぱとさちと、それからくみのみんなといっしょにいたいの。おじいちゃんが、ままはかみさまになってぼくをみまもってるっていったんだよ? そしたらこのまええほんでね、かみさまはひとつだけほんとうのおねがいをかなえてくれるってかいてたの。だからまま、ぼくのおねがいかなえてくれるでしょ? ぼくのひとつだけのおねがい、かなえてください!」
「かなえてください!」
二人が両手を合わせて拝む姿に、思わず賢吾も鼻がつんとしそうになった。佐知の目にはうっすらと涙が浮かんでいるし、イヤホンからはむさ苦しい男共の啜り泣きが聞こえてくる。気持ち悪いが分からんでもないので我慢した。
二人はしばらく神妙な顔で両手を合わせ、それから満足した顔でへへっと笑う。
「あ、そうだ。あおともおねがいしたら? ぼくのまま、きっとあおとのおねがいもかなえてくれるよ?」
「いい。ふたつもいっしょにおねがいしたら、ふみのままがこまるかもしれないだろ? ふみのままに、ふみのおねがいぜったいかなえてもらわないとだめだからな」
「あおと、ありがとう」
「きにすんな。そんなことよりはやくかえろうぜ。ふみのぱぱとさちがまってるだろ?」
「うん!」
そうして二人がそれぞれ置いていたケーキを持ち、帰ろうとしたその時、事件は起こった。
「あ……っ!」
歩き出した史が、躓いて転んだのだ。賢吾と佐知、そしてイヤホンの向こうから、おそらくここにいる全員が思わず声を上げる。それどころか、全員が史を助けようと駆け寄ったが間に合わず、史はそのまま転んでしまった。
「あ……」
今度は隠れていたのに出てきてしまったことに気づいて、全員が気まずい声を上げる。
「あれ? みんななんでここにいんの?」
当然とも言える碧斗の疑問に答えられる者はおらず、全員がさっと碧斗から目線を逸らした瞬間、地面に突っ伏した史が「うわあああん!」と大きな声で泣き始めた。
「ふ、史⁉ 大丈夫か⁉」
出てきてしまったものは仕方がない。開き直った佐知が史に駆け寄って声をかける。史は地面に這いつくばったままえぐえぐと泣きじゃくった。
「けーき……っ、けーきがこわれちゃったっ……うわあああああんっ」
「ケーキ? ケーキは……あー、確かにちょっと崩れちゃってるか」
史が落としたケーキの箱を開けた舞桜が、中を覗いてあららと苦笑する。賢吾も覗いてみたが、確かに中のケーキはぐしゃぐしゃになっていた。
それにしてもすごい量だ。ショートケーキばかり十個は入っている。碧斗も同じような箱を持っていたから、おそらくこの倍はあるのだろう。二人でどれだけ食べるつもりだったのか。それ以前にあのじじいは史に一体どれほどの小遣いを渡したんだと呆れる。後で説教だ。
「そんなにケーキが食べたかったのか? だったら帰りにもう一度――」
「ちがうの……っ、ぼくがたべるんじゃないんだもん……ひっ……おじいちゃんがこれですきなものかいなさいっておこづかいくれたから、ひくっ、だいすきなものをかって、だいすきなみんなにたべてもらおうとおもったの……っ、でも、ぐちゃ、ぐちゃぐちゃで……っ」
「皆って?」
しゃくり上げる史の背中を優しく撫でて佐知が促す。史はしばらく泣いていたが、ようやく起き上がってぐしゃぐしゃの顔で、ズボンを握りしめて言った。
「ぱぱと、さちと、いせざきさんと、あおとと、まおちゃんと、おじいちゃんにきょうかちゃん、それからくみのみんな。おどろかそうとおもったの。でも……ぼくがおとしたから、たべてもらえな――」
史が言い終わる前に、賢吾はおもむろにケーキの箱に手を突っ込む。形の潰れたショートケーキを手掴みして、そのまま口に入れた。普段ならさすがにこんな行儀の悪いことはしないが、今日は特別だ。
「美味え。ほら佐知、お前も食え」
佐知の口元にも持っていくと、佐知も素直に口を開けてケーキを食べる。
「うん、美味しいな」
それに続くように、伊勢崎と舞桜、そして組員達も、次々に手掴みでケーキを食べ始めた。
形はぼろぼろだし手はべとべとで最悪だが、それでもケーキは最高に美味かった。きっとこれまで食べたどのケーキより美味いに違いない。何せ、史の気持ちがこもっている。
「ありがとうな、史」
賢吾がにっと笑うと、きょとんとした顔で皆を見ていた史の顔に喜色が広がっていく。
「……うんっ!」
「よし、早く帰って他の皆にも食べさせてあげないとな」
佐知がそう言って史の頭を撫でると、くすぐったそうな顔で笑った。
組員全員となるとこの程度の数では到底足りないが、碧斗が持っていた無事なほうのケーキを一口ずつでも食べさせればいいだろう。大事なのは気持ちだ。それだけで組員達も皆、十分に嬉しいに違いない。
「それでは屋敷に戻りましょうか」
ケーキ塗れの手を墓地の水道で洗ったところで、伊勢崎に促されて全員が歩き出す。はりきって先頭を歩く史の姿を一番後ろで眺めながら歩いていると、隣を歩く佐知につんと腕を引っ張られた。
「どうした?」
何だと佐知のほうに顔を向けると、すっと佐知の顔が近づいて唇に触れる感触。
「生クリームついてたぞ」
してやったりの顔をするくせに、赤くなる耳が照れを隠せていない。
「…………おい、今のもう一回」
「馬鹿、調子に乗るな」
「調子にぐらい乗らせろよ。こんなこと滅多にねえんだから。何事だよ」
「いや、お前のことすごい好きだなって再確認しただけ」
「何だそりゃ。まあ何にしろお前からキスしてもらえてラッキーだからいいか」
「そうそう。ラッキーだからいいんだよ」
「お前が言うなよ」
「違いない」
はは、と二人で笑っていると、一番前を歩く史が不意に振り返った。
「ねえ、そういえばなんでみんなあそこにいたの?」
真実を知った史が拗ねるまで、後数分。
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