極道さんはパパで愛妻家&オオカミさんの過剰な求愛

極道さんとオオカミさん

東雲組の若頭としてそれなりに忙しく働いている賢吾が、一人でぶらりとその店を訪れたのは、愛しい嫁のご機嫌取りのためだった。

 老舗の和菓子屋のみたらし団子は、佐知の大好物だ。限定百個のそれは店の閉店を待たずに完売してしまうのが常だが、賢吾に限って言えば、いつ店に行っても手に入れることができる。

 何故なら、毎日五本、必ず取り置きをしているからだ。佐知と恋人同士になる前、時間を見つけては佐知に会いに行っていた賢吾の手土産として伊勢崎が始めたことだが、佐知が賢吾の屋敷で暮らし始めた今も、その習慣は続いている。むしろ、そばにいる時間が増えた分、怒らせることも増えたので、みたらし団子が大活躍だ。

 老舗らしい趣のある外観を眺めて、賢吾は思わずといった様子で苦笑を零す。この店を見ると、自分の一途さの象徴なような気がして照れ臭くなってしまうのだ。

 この店は一度、倒産寸前にまで追い込まれていた。今この店が繁盛しているのは、賢吾がこの店に融資をし、再建までの道しるべをつけたからだ。

 いくら地元で昔から知っている店だからといって、慈善家でもあるまいし、普段ならこんなことは絶対にしない。

 何故そんなことをしたのかと聞かれたら、答えは一つ。この店のみたらし団子が、佐知の好物だったからだ。ただそれだけだ。

 佐知は本当に、賢吾にらしくないことばかりをさせる。相手の機嫌を気にするのも、毎日顔が見たくなるのも、ずっとそばにいて欲しいのも、全部佐知だけだ。佐知だけが特別で、賢吾を振り回す。佐知にはそんな自覚はないのだろうが。

 今日も朝からぷりぷりと怒っていた佐知の綺麗な顔を思い出しながら、店の引き戸に手をかける。するとちょうど中から出てきた男とぶつかった。


「おっと」

「ふぎゃ! すいません!」


 ぱふん、と賢吾の胸元に飛び込んできたのは、日本人離れした顔立ちの青年だった。思わず抱きとめて顔を窺うと、佐知を見慣れた賢吾でさえ一瞬目を奪われたほどに、整った顔立ちをしている。

 やれやれ、ここに佐知がいなくてよかった。意外とヤキモチ焼きの恋人は、こういうことにやけに目聡い。一瞬でも賢吾が自分以外の誰かに目を奪われたなどと知ったら、みたらし団子程度では許してもらえないに違いなかった。


「いや、俺のほうも確認しないで悪かった。怪我はねえか?」


 青年は賢吾よりも大分小さく、高い鼻が賢吾の胸板にぶつかって赤くなっている。折れてはいないかと鼻先を突くと、青年は顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を振った。


「だだだ、大丈夫です! 本当にすいま――」

「何やってんだ」


 青年の後ろから、新たな男が現れる。タイプはまるで違うが、こちらも派手な見た目だ。さりげなく身なりを確認すると、どうやらこちらはかなり金の匂いがする。おそらくは何らかの経営者、それもかなりの大企業に違いない。賢吾のこの手のカンは、あまり外れたことがない。

 男は、賢吾達の姿を見るなり低く唸る。


「てめえ、海里に気安く触ってんじゃねえよ」


 言われて、自分が海里と呼ばれた青年を腕の中に囲ったままだということに気づいて、賢吾はすんなり体を離した。


「慎! 俺の不注意でぶつかったのに、何言ってるんだよ!」

「いいや、こいつ今お前のこと可愛いと思ってた、間違いない」


 すんすんと鼻を鳴らして、慎と呼ばれた男が自信ありげに言う。確かに、可愛いとは思ったが、賢吾は佐知以外の男には微塵の興味もない。どちらかと言えば、史を見ている時の感情に近かった。誤解だ。


「いちいちそうやって誰彼構わず突っかかるのはやめろって、何度も言ってるだろ⁉」


 いつも賢吾が佐知に言われているのと同じようなセリフが聞こえて、思わずぷっと吹き出してしまった。なるほど、何となく分かってきた。今会ったばかりの慎に、同情心が湧く。

 佐知ほどではないが、これぼどの美形なら周囲が放っておかないだろう。慎も苦労するなと思って視線を向けると、ぎっと睨まれる。


「何で、お前に同情されなきゃいけねえんだよ」


 何故同情されていると分かったのかと少し驚く。なかなか鋭い男だ。


「いやいや、俺にもなかなか心配をかけてくれる嫁がいてな。お前の気持ちはよく分かる」

「……お前、嫁がいるのか? いや、でもこの匂いは――」


 また、すんすんと鼻を鳴らした慎が何かを言いかけた時、背後から聞き慣れた声がかかった。


「賢吾? お前、仕事はどうしたんだ」


 振り向かずとも声の主は分かるが、声を聞くと早く顔が見たくなる。すぐに振り向いた賢吾は、視線の先にお目当ての顔を見つけてふっと笑みを零した。


「佐知、五時間ぶりだな、愛してるぞ」


 途端にぶわりと佐知の顔が真っ赤になる。涙目でつかつかと賢吾のもとまで走り寄ってきて、「黙れっ」と上目遣いで睨んでくるが、可愛さしかない。うちの嫁は今日も愛おしいなと思っていると、それを見ていた慎が顔を顰めた。


「うわ、臭え。何だよお前ら、こんなところで盛るんじゃ……むぐっ!」

「慎‼」


 慌てた顔で、海里が慎の口を塞ぐ。その後一生懸命「すいませんっ」と頭を下げたが、慎はその手を振り払ってまた口を開いた。


「何だ、お前つがいがいたのか」

「つがい?」

「まあそれなら、海里に色目を使ってたのは見逃してやる」


 賢吾の疑問には答えず、慎は勝手に一人で納得した顔をする。その頭をぱしんと軽く叩いて、また海里が「すいませんっ」と頭を下げた。


「いや、別に構わないが――」

「へえ……色目、ねえ」


 全然構わなくなかった。冷たい視線が賢吾に突き刺さり、どうやらこれは、みたらし団子では許してもらえなさそうだと賢吾は悟る。


「確かに、君はすごい美人だねえ」


 佐知の言葉に、海里が慌てて顔の前で手を振った。


「いやいや! 美人なのはあなたのほうで……っ」

「何言ってんだ、海里。お前のほうが美人に決まってるだろ」


 どうやって佐知の機嫌を直そうかなと考えていた賢吾だが、そのセリフは聞き捨てならない。


「おい待て。うちの佐知より美人なんかいる訳がねえだろうが」

「ああ? てめえ、目が腐ってんじゃねえのか? 海里のどこが負けてるって?」

「まだ尻に卵の殻くっつけてるようなお子様とうちのじゃ、色気が違うんだよ。小僧には分からねえかもしれねえがな」

「誰が小僧だ! 海里の色気は半端ねえんだぞ! 善がって啼いてる時の顔が絶品で――」

「はっ、お子様に色気ねえ。うちのはちょっと舐めてやっただけで自分から腰振って――」

『やめろっ‼』


 佐知と海里、二人同時にそう言って、賢吾と慎は思い切り頭を叩かれた。

 いてえ、と叩かれた頭を擦りながら佐知に目を向けると、さっきまでより目を潤ませた佐知が、羞恥で耳まで真っ赤にして唇を噛みしめていた。そういう姿もそそるな、佐知。


「お前はっ、公衆の面前で何を考えてるんだ!」

「んー、お前のこと?」

「……っ! 少しは反省しろっ!」


 怒って賢吾に背を向けて歩き出した佐知の背中を眺める。やべえな。今日の夜は抱かせてくれねえかもしれねえな。


「おい」


 慎に声をかけられ、振り返る。


「あいつ、何か機嫌いいぞ。今追いかけたら一発やれそうだぞ?」

「いっぱ……っ! 馬鹿っ、慎!」

「お、そうか?」


 なかなか鋭いこの男がそう言うのなら、そうなのだろう。どうして佐知の機嫌がいいのかは分からなかったが、助言には素直に従うことにした。

 数歩歩いて、ふと思いついて振り返る。


「おい小僧」

「……俺は小僧じゃねえ」

「お前の嫁さん、馬鹿にして悪かったな。俺はどうにも、佐知のことになると頭に血が上っちまうんでな」

「まあ、お互い様だ。俺も、あんたのつがいを馬鹿にして悪かった。あんた、あの人大事にしたほうがいいぞ。あれはあんたの生涯に一人だ」

「……そうか。はは、やっぱり、あれは俺の生涯に一人か」

「ああ。つがいは大事にしろよ」

「そうだな。お前も、大事にしろよ」

「余計なお世話だ」

「違いねえ」


 はは、と笑って、賢吾は楽しい気分でずんずんと離れていく佐知との距離を埋めるべく走り出した。

 ……つがい、か。気に入った。俺は嫁じゃないといつも怒っている佐知にも、これならきっと怒られないんじゃないかと思う。嫁よりずっと対等で、いい響きだ。


「さーち、愛してるぞ」


 追いついた佐知の肩に腕をかけ、そのまま一緒に歩き出すと、佐知は振り払うこともなく、「ばーか」とだけ小さく呟いた。

 どうやら本当に機嫌は悪くないらしい。慎の言う通り、一発、いや二発はやれそうだ。一体、何で機嫌を直したのだろうか。

 密かににやついた賢吾が、その後連れ込んだホテルのベッドで散々佐知を啼かせて聞き出したのは、大変可愛らしい理由だった。

 賢吾が何度も繰り返した「うちの」という言葉に喜んだことを聞かされて、二発どころか賢吾が三度四度とはりきってしまったのは、大いに佐知のせいだ。

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