オオカミさんと授業参観
今日は授業参観。父の日を間近に控えたこの日の教室は、普段よりもお父さんの出席率が高い。ちらりと背後を振り返って、宙は少し肩を落とした。
落ち込んじゃ駄目だ。だって、今日誰も来ないことは初めから知ってたんだから。
お父さんは海外赴任中で来られる訳がないし、りっちゃんと海里ちゃんは、どうしても抜けられない打ち合わせがあるって言ってたし。
土下座する勢いで平謝りしていた陸人と海里を思い出し、仕方ないよねと自分に言い聞かせるが、後ろに並ぶお父さんの姿にそわそわしている友人達が目の端に映ると、どうしたって寂しい気持ちになってしまう。
こういうことが当然あると分かった上で、両親についていかなかったのは自分なのに、勝手だなあと思う。だけど、こうして密かに落ち込むぐらいは許して欲しい。家に帰るまでにはちゃんと皆に笑いかけられるようになっているはずだ。
「さあ、授業を始めますよ」
先生が声をかけると、「きりーっつ、れーい、ちゃくせーき」と日直の号令がかかる。その通りに体を動かして、どうせ誰も来ていないのだから、今日は手を挙げなくてもいいよねと、半ばふて腐れた気持ちで考えていた時だ。
「すまない、遅れた!」
大きな声で言いながら、教室の前の引き戸から飛び込んできたのは、何と慎だった。
「馬鹿、そっちじゃないよ、後ろから静かに入りなって」
「ああ、そうなのか。邪魔して悪かったな」
後ろからやってきた斉木に怒られ、慎は悪びれない様子で軽く手を上げて謝って、後ろの引き戸から入り直す。会社からそのまま来たようで、きちんと髪をセットしてスーツを着た慎は、その場にいる誰よりも恰好よかった。つい振り返って慎の姿を確認してしまうと、目が合った慎はいたずらが成功したような顔でにっと笑い、隣の斉木もにっこり笑って手を振ってくれた。
「おい、あれ誰の父さんだよ? すげえ恰好よくねえ?」
「芸能人みたーい!」
皆がこそこそと話をするのが聞こえると、宙の胸は優越感でいっぱいになる。後ろにいるお母さん達だって、担任の今日子先生だって、皆が慎に見惚れていた。隣に並んだお父さん達は、何故か居心地悪そうな顔をしている。
慎ちゃん、来てくれたんだ。昨日は何にも言ってなかったのに。
陸人と海里が平謝りする横で、知らん顔でテレビを見ていた慎が、まさか来てくれるとは思わなかった。でもそれは嬉しい驚きで、宙は思わずにやけてしまいそうになる口元を隠す。
「そ、それじゃあ、この問題が分かる人」
ようやく慎から視線を外した今日子先生が、黒板に問題を書いてそう言った。せっかく来てくれた慎にいいところを見せたくて、宙は「はい!」と張り切って手を上げる。
「はい、じゃあ鈴木くん」
だけど当てられたのは自分ではなくて、宙は残念な気持ちをで手を下ろした。ちらりと後ろを振り返ると、慎がふっと笑って頷いてくれる。その調子で頑張れ、と言ってくれているのかなと思って、宙は俄然張り切った。
「じゃあ、次の問題ね。……この問題が分かる人」
「はい!」
誰よりも早く、誰よりも大きな声で手を挙げると、今日子先生はびっくりした顔で宙を見て、それから「じゃあ、穂積くん」と言ってくれた。やった、と慎のほうを見ると、慎と斉木がこっちを見てガッツポーズをしてくれる。
そうして張り切って立ち上がり、さあ答えを言うぞ、という時だ。
がたがたがた! と後ろがうるさくなり、もう一度後ろを振り返った宙は目を丸くした。
「お、宙が当たってる」
「いいタイミングだな」
小さな声でそう言いながら入ってきたのは、陸人と海里だった。二人は宙と目が合うと手を振ったが、すぐに慎に気づいて「ええええ⁉」と声を上げ、慌てて小さく「すいません」と周囲に謝る。それから少し声を落として、「何でお前がここにいるんだよ」と慎に詰め寄った。
「お前らこそ、来られないんじゃなかったのか?」
「どうしても来たかったから、打ち合わせ超特急で終わらせてきたんだよ。そした
ら、門のところで陸にぃに会ったから、一緒に来たんだ」
小さな声で話しているものの、その声は十分に宙の耳にまで届いた。慎と斉木だけでも十分に目立っていたが、陸人と海里が加わったことで、一気にその場が華やかになって、生徒も保護者も、授業そっちのけで教室中がざわざわし始める。
「なあ、あれって皆お前の知り合い?」
隣の席の友人に話しかけられ、宙はくすぐったい気持ちになりながら答えた。
「うん、僕の家族なんだ」
声に、少し自慢する響きが滲んだのは仕方ない。だって本当に、自慢の家族なのだ。
海里は、慎とつき合うことになったと正直に話してくれた。その時に何度もごめんと謝ってくれたけど、宙は海里に謝ってもらうようなことを、何もされていない。それどころか、慎が家族になるんだと思ったら、すごく嬉しくて、海里ちゃんありがとう、とお礼を言いたいぐらいだった。
「皆、静かにしましょう」
今日子先生の言葉に、教室のざわめきが一瞬で静まる。今日子先生の視線が促すように宙を見たのを確認して、宙ははっきりと大きな声を出す。
「答えは三十六です」
「はい、正解です」
先生がにっこり笑ってくれる。それと同時に、後ろからぱちぱちぱちぱち、と手を叩く大きな音がした。
振り返ると、宙の大好きな家族が、笑顔で手を叩いてくれている。宙がそれにガッツポーズで応えると、全員がガッツポーズを返してくれた。
それに思わず笑ってしまいながら、宙は、今が授業中でなければ大声で皆に言いたいな、と思った。
僕の家族最高でしょ? と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます