物欲センサーが優秀すぎる

 僕にはモラルはないが常識はあった。


 僕はパーフェクトスライムの分泌液――合法スライム液の入った瓶を片手に首を傾げた。


 何人か奴隷で試してみたが、あまりに威力が強すぎる。並の毒よりも遥かに強力で、触れただけで快楽の虜、薄めずに使えば一滴で人を廃人に出来る代物である。強すぎて使いどころが限られてしまうのだ。表に出れば間違いなく違法認定される代物である。これがスライムの分泌液だと知られたらスライム排斥の動きは免れないだろう。それはまずいし、下手したら縛り首になるかもしれない。


 当初は王女様に盛ってめろめろにしようという案も考えてみたが、脳がめろめろしすぎてしまうし、そもそも僕には既に莫大な富と名誉があった。王女様の覚えもめでたいし、正攻法でも何とかなりそうな雰囲気になっている。

 また、武器商人に盛ろうかとも考えたが、それも難しそうな事に気づいた。奴は僕の用意した食べ物を食べたりしないし、奴は用心深い。自分に何かあったら僕が失墜する程度の仕組みは施してあるだろう。


 今はスライムがブレイクしているが、人は飽きっぽい生き物だ。いつかは飽きる。時間は僕の味方ではない。


 僕はその透明の液を睨みつけ、使った場合のメリットとデメリットを考えた。そして、一つの結論に達した。


 最大限に希釈すれば大丈夫だろう。リスクを踏まずしてリターンを得る事は出来ない。

 何よりも、この合法スライム液は間違いなく大ヒットする。何しろ麻薬の類と違って合法なのだ。まだ、の話だが。


 僕はその合法スライム液を有効活用し、一つの商品を生み出した。


 スライム酒。


 スライムに似たプルプルの食感を持つ今までにないアルコール飲料である。




§§§




 僕はその酒造を武器商人に委託した。無論、自身で製造販売したほうが利益率が高い事は間違いなかったが、いざという時の逃げ道とするためである。


 レシピは酒の専門家を雇い研究させた。必要なのは新しい食感と最低限の味である。無論、そのレシピに合法スライム液の名前はない。

 僕が手ずから考えるのは合法スライム液の希釈率だけであった。僕は水にそれを適切な量仕込み、飲酒者に最低限の依存性と廃人にならない程度の多幸感を感じさせる事に成功した。後の歴史で言う、傾国の酒の完成である。


 酒は試飲者もびっくりの美味しさを実現した。それはもはや幸せの味と呼ぶに相応しく、専門家は何故食感の違いでここまで飲酒者に与える印象が変わるのかとしきりに不思議がった。誰にもその理由はわからなった。知っているのは僕とスライムだけだった。僕はパーフェクトスライムの配合を少し変え、色を無色透明にすると、酒造用の水を蓄えたタンクにそれを配置し、一定水毎に一定量の合法スライム液を出すように命令した。


 武器商人はその酒を非常に注意深く一口のみ、歓喜した。今までにないこの食感の酒ならば国を取れると歓喜した。それは本当だったが、しかしその理由は食感ではなかった。僕は何も言わず互いの取り分を決めた。



 はてして、予定調和にその酒は一気に国で流行した。

 それまでの流行は僕の商才によるものだったが、今回ばかりは違っていた。そのあまりの美味しさに成分を分析した者もいたが、原因の究明までは至らなかった。新たな成分は見つかったが、それが何なのか誰もわからなかった。


 僕は黙ってその依存性を打ち消す薬を開発した。その頃の僕のスライムにたいする勘はまさしく冴え渡っていた。長年に渡ってスライムとばかり接していたのが良かったのだろう。僕は合成前にその合成によりどのようなスライムができるのか予測出来る域にまで達していた。

 出来上がった解毒剤。それもまたスライムの分泌液であった。僕はその分泌液を出す漆黒のスライムにアビススライムという名前をつけた。


 国全体は酔っ払ったように陽気になった。スライム酒は出せば出すだけ売れた。武器商人も酔っ払っていたので、僕に入ってくる金はかなりのものだった。

 皆が酒に溺れたため、酒以外の需要が急速に縮小した。それにより、魔法石の需要と価格まで下がっていったため、僕は魔法石を好きなだけ買い占められるようになった。


 もう魔法石の鉱山なんていらない。


 僕は一日中召喚を続ける事ができるようになり、一日中スライムを生成し続けた。

 僕はスライムの召喚し過ぎで餓死しかけ、我に返った。


 国は異様な熱気で包まれていた。誰もが異様だと気づきつつ、しかし何も出来なかった。

 僕はスライムを召喚したり、第三王女の前でスライムに折り紙を食べさせてスライムを折り紙の色に変えたりして過ごした。第三王女は度々城を訪れる僕に少しずつ気を許していった。


 やがて、ペットスライムは貴族は勿論、庶民の家にまで行き渡った。

 既に酒の使用料だけで魔法石はいくらでも手に入るようになっていた。僕の目的は贅沢ではなかったし別に商売が好きなわけでもなかったので酒以外の全ての事業を大幅に縮小した。特にペットスライムはもう既に全員に行き渡っていたため、ペットスライム業は最小限まで縮小した。


 一日中召喚を続けられるようになっても、僕の手元に来るのはスライムのみだった。それは不幸でありそして幸運でもあった。もし僕が召喚し続けるのがスライムではなく他の低級魔物だったのならば、スペースはとっくになくなっていただろう。

 ペットスライムとして売り物にならなくなったせいで、スライムは大量に余るようになっていた。僕は面倒だったがまたスペース確保のためにスライムを徹底的に合成し始めた。 


 エネルギーは混ざりに混ざり合い、やがて僕の合成するスライムはスライムならざる姿を取るようになっていた。


 そう、新種のスライムだったのでランク付けはされていなかったが、ランクで表現するのならばSR+に間違いなかっただろう。

 だがそれは僕が欲しい物ではなかった。僕が欲しいのは別にレアな魔物ではなく竜であり、僕がしたいのは合成で新種を作り出す事ではなく召喚する事なのだ。


 十数年が過ぎても、僕の瞼には従兄弟がドラゴンを召喚した際に発生した黄金の光が染み付いていた。僕は合成で生み出した禍々しい邪悪な光を放つその生命体を見てため息をつき、適当にダークマターと名付けた。


 その頃、僕は土石流の如く届く大量の魔法石に辟易としていた。

 召喚したい思いは微塵も変わらないし、魔法石は貴重なものであるという事も理解していたが、こうも大量にあると気が滅入る。そもそも、既に召喚速度よりも魔法石が届く速度の方が早い。



 僕はこれが永遠か。つまらないな、とアンニュイな笑みを浮かべた。




 僕が竜を引けないという最大の問題を除けば、全て順調に回っていた。だが、どんな幸運にも終わりは来るものだ。




 ある日僕は、酒の製造と販売を任せていた武器商人が馬鹿げた商いを始めていた事に気づく。

 全て順調に回っていた。監視の目が緩んでいたのが僕のミスであった。




 馬鹿げた商い。そう、スライム酒の大規模な輸出である。






§§§





 僕は、武器商人との契約で、スライム酒の輸出を厳禁としていた。それは僕の今までのポリシーである、『分をわきまえる』という奴であった。


 僕の住む国は千年続く程の大国ではあったが、技術的な面においてそれほど優秀というわけではなかった。スライム酒の人気の秘密は合法スライム液である。その成分は今の所、合法ではあったが、詳しく解析されれば違法に分類される可能性が高いという事を僕は痛い程わかっていた。


 国内で楽しむ分には問題ない。希釈に希釈を重ねたその成分を分析出来るだけの科学力がない事を僕は既に知っていた。だが、外に出てしまうとなるとまた話は別である。

 国中が熱狂する酒など常識的に考えたらありえない。輸出とは破滅への序章であった。そして、僕が気づいた時酒は大量に外部に輸出されていた。

 武器商人は愚かであった。そしてそれ以上に、そいつをパートナーに選んだ僕は愚かだったのだろう。既に数十代遊んで暮らせるだけの財産を持っている癖に更なる飛躍を望むなど、武器商人の物欲は僕の想像を超えていた。



 僕はあらゆる伝手を辿り、既に酒の回収が不可能になっている事を知った。それは僕の破滅を意味していた。

 依存性の高い物質が混入した酒を大量に輸出したのだ。知らぬ存ぜぬでは通せないだろう。それは下手をしたら国の終わりを意味している。


 僕に残された時間は少なく、ショックのせいか不思議と今まであった召喚欲も薄れていた。

 僕は迅速に行動を開始した。


 僕は王に直談判し、第三王女と結婚する権利を得た。


 富があった。名誉があった。

 率いていたダークマターは誰が見てもスライムに見えないやばい魔物であり僕の召喚魔導師としての腕はそれだけで分かったし、紳士的に接していたので王の覚えもよかった。

 僕は第三王女を愛していたし、その頃には彼女も僕を好いてくれていた。


 式は盛大に行われた。国の英雄と姫の結婚は、国を挙げての祝儀であった。その時ばかりは国民はスライム酒から離れ僕達二人を祝ってくれた。


 竜こそ召喚できなかったが、僕はその時、今こそが人生の最盛であると思った。召喚と姫こそが僕の人生で得た二つの生きがいだったのだ。さすがの僕もその時ばかりは召喚の事を忘れた。


 そして、幸福な新婚生活が始まった。僕は商売から完全に離れ、ほとんどの時間を召喚と妻といちゃいちゃするのに使った。


 しかし、幸福は長くは続かない。破滅の足音は既にすぐそこまで迫っていた。

 いや、破滅するとわかっていたから僕は迅速に行動していたのだ。



 合法スライム液についてバレた。国中を熱狂させた代物だとは思えない程あっさりとバレた。

 流石にどれだけ希釈しても成分自体液体の中に残っているのである。科学力と根気さえあれば解析可能である事は自明であった。

 それは僕にとっては必然ではあったが、僕以外の全員にとっては青天の霹靂であったのだろう。

 

 僕の住んでいた国は人類の敵に認定された。

 何の成分かは不明だが人を魅惑する成分の入った酒を大量に輸出する国。僕の住んでいた国は釈明の余地なく多数の国の連合軍に囲まれた。


 既に終わりだった。国中が阿鼻叫喚の嵐に包まれる中、武器商人はその酒の製造元且つ販売の元締めとして縛り首になった。

 武器商人は僕の名をしきりに上げ糾弾したが、僕は生み出したレシピを既に広く公表しており、そこに変わった材料はなかったので無意味であった。僕の名は国中で英雄の名として知れ渡っており、武器商人は強欲で知れ渡っていた。

 そして、無意味であった事実もまた無意味であった。連合国軍にとって、僕の住む国は既に神敵として認定されていた。囲んだ軍の中には従兄弟の所属する軍もあり、その先頭には金色の竜が悠々と飛翔していた。


 彼我の戦力差は歴然であった。僕の住む国は大国であり、軍備も整っていたが、同等以上の国が組んだ連合国軍に敵う程ではなかった。豊かな土地とスライム貿易による富もあったが、それもまたここに至っては侵略を後押しする餌でしかなかった。


 そして、ぎりぎりでなされた交渉も効果がなく、戦火が切って落とされた。

 僕は新婚の妻を抱きしめ、王であり義父の下に跪いた。敗北は既に誰が見ても明らかであった。良くて奴隷だろうが、王族が生き残れる可能性は極めて低い。王は新婚の僕たちを哀れみ、お前たちが戦う必要はないと言った。


 軍部の予想では、戦線は最大限好意的に見て、保って三日であった。それも、連合国軍が消耗戦を挑んできた場合である。もし総力戦をかけてくれば、国は一瞬で瓦解してしまう。


 僕は残された時間を妻を愛する事に費やす事にした。逃亡は無駄である。心優しい王女がそれを認めるとも思えない。


 僕は自分の屋敷で震える妻を抱きしめた。

 自分勝手な事だが、僕はある程度は自分の生に満足していた。初恋の姫も娶れたし、竜こそ召喚出来なかったものの、並の召喚魔導師の何万人分もの召喚も出来た。これでまだ未練があるなどと言ったら罰があたる。


 僕は妻にキスをして、眼を閉じた。そして押し倒そうとした時、ふと硬いものが指に当たるのを感じた。


 僕はそれを手で握った。

 それは一個の魔法石だった。それを知った瞬間、まるで禁断症状であるかのように手が震えた。妻はそれを見て吹き出し、召喚してきていいと言ってくれた。第三王女は僕には勿体無い女性であり、僕の事を知り尽くしていた。



 僕は目を瞑り深呼吸すると、震える手で既に何回描いたのかもわからない召喚魔法陣を描き、その中央に魔法石を置いた。


 僕は、これが僕の生涯最後の召喚になるだろうと思った。残りの時間は一秒残らず妻を愛するのに使おう。ここから先、他に魔法石が見つかってもそれは召喚するまい、と誓った。


 そして、僕は何万回も繰り返した召喚魔法を行使した。







§§§







 召喚したのは小さな悪魔であった。悪魔のようなスライムではなく、小さな悪魔であった。

 レア度はスライムと何ら変わらない、ただの最下級の悪魔であった。だが、それはスライムではなかった。


 生まれて始めてスライムではなかった。僕はその瞬間、自分にツキが来ている事を悟った。


 僕は引きつった表情で妻の方を見た。




 愛は微塵も変わらなかったが、それ以上に召喚熱が燃えあがるのを感じていた。

 僕は震える手で妻を抱きしめ、生まれて初めて言った。




 ――死にたくない。




 影のように付き従っていたダークマターがそれに呼応するように咆哮した。

 大地が揺れ、空気が震え、空が鳴いた。咆哮はまるで怪物のようで、しかしスライムマスターである僕にはその音源がスライム独自の器官によるものだという事がわかっていた。



 ツキが来ている。竜まであと一歩だ。



 召喚がしたい。




 召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚がしたいッ!!




 煮えたぎる情念に焦がれる僕を妻が抱きしめてくれた。



 視界が揺れた。いや、視界が揺れたのではない、地面が物理的に揺れていた。

 僕があらゆる理由で適当に撒き散らしたスライムたちが皆、僕の命令を待っていた。液体生物ジェリー・スライムが這いずりまわる気持ち悪い音が聞こえてきそうだった。僕にとってスライムたちはゴミ以下だったが、スライムたちにとって僕は神だった。


 足元が膨れ上がり、視界があがった。獣のような硬度を持つダークマターが僕と妻を背に立ち上がったのだ。その形はどこか僕が焦がれていた竜に似ていた。だが、それが竜でない事は僕が一番知っていた。


 僕は唇を舐め、初めて殺意というものを抱いた。


 全滅させる。全滅させねばならない。あらゆる手段を使って全滅させねばならない。




 そう、全ては――召喚をするために。


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