第13話
魔王城へ帰還した次の日、俺は魔王になったことを心底実感した。
なぜかって?誰も俺を起こそうとしないからだよ。実家にいた頃はいつまで寝てるんだって母さんがうるさかったからなぁ。
それが今じゃいつまで寝てても怒られない。それどころか、起こさないようにって気を使われるぐらいだぜ?
だから俺は十分に睡眠を取った。
起きたのは、日が昇りきって、そろそろ昼になるって時だったな。
気怠い体を起こして、部屋に備え付けの洗面所へと向かって、まだ覚醒していない頭で歯ブラシを手に取って、歯磨き粉を乗せて歯を磨く。
ちなみに、この歯磨き粉と歯ブラシは実家を出るときに持ってきた愛用品だ。
城の奴らは歯磨くのかな?同じようなのがありゃいいけど、切れちまったら城の誰かに買いに行かせるか。いや、魔王軍だし、略奪か?
歯磨きが終わってすっきりした後、パジャマの姿のまま部屋を出ると部屋の入り口のドアにメモが挟まっていた。
なになに?
『お食事のご用意はすぐに致しますので、お目覚めになられましたらお呼びください エルピナ』
「食事か」
もうそろそろ昼だし、昼食になっちまうが、言えば軽めの食事を出してくれるかな。
だけど、生憎とまだ腹は空いていないな。
「うろちょろして腹が空いたら頼むか」
メモをポケットに突っ込み、そのまま廊下を歩きはじめる。
この城の廊下は大の男が四人横に並んでもまだ余るかっていうぐらいの広さで、真っ赤な絨毯が敷き詰められてる。
等間隔の窓から差し込む光と影のコントラストが結構綺麗で、言われなきゃ魔王城って気づかないかもしれないな。
「ゲド――」
「ん?」
誰か今、俺の名前呼んだか?
つっても、廊下には俺しかいないし、気のせいか?
「ふふ、ゲド、そんなこと言ったって――」
「ッまた!どこだ?」
気のせいじゃない!誰かが俺の名前を呼んでる?
声の元を探ってみれば、一つの部屋の前にたどり着いた。
「ディアの部屋だな」
俺の部屋と同じ階にあるディアの部屋の扉が少しだけ開いていた。
どうやらディアは部屋の中にいるみたいで、中から声が聞こえてくる。
「ゲド、止めてくれ――」
間違いない。ディアが俺の名前を呼んでいる。
俺は開いたドアの隙間から部屋の中を覗いてみた。こんな姿を城の誰かに見られたらなんて言い訳すりゃいいんだ……いや、今はそんなことよりもなんで俺の名前を呼んでいるのかを確認するのが先だ。
ドアの隙間から見える位置にディアはいない。左右に視線を動かしてもその姿は見当たらなかった。奥の方にいるのか?
「ちょっとだけなら大丈夫だろ」
ドアを少し開き、顔を突っ込んでみる。
さっきよりも視界が広がった状態で左右に顔を振ってみれば――いた!ベッドに腰掛け、手には……枕?
「てっきり誰かと話してるもんかと思ってたが、ディアの奴、何やってんだ?」
「――というわけなんだ。ゲドはどう思う?」
「あん?俺?――っと」
っぶねぇ!名前呼ばれて応えちまった。バレてねぇだろうな?
……よし、ディアは気づいてねぇ。
『俺はディアが正しいと思うぞ』
「やっぱり!?流石ゲド!」
「は?」
なんでかわからないが、ディアは枕相手に話しかけて、それに対して自分で受け答えしていた。しかも、受け答えの際はご丁寧に声色を少し低くして。
しかし、枕に自分の名前を呼ばせたり、それを俺の名前で呼んだりして、一体何してんだ?
もう少しだけ様子を見てみるか。
「ゲ~ド」
『ん?なんだディア?』
「呼んでみただけ~」
『こ~いつ~』
今度は自分の右手の人差し指を自分の額に一度当て何かニヤニヤし始めた。
なんだろう。なぜだか分からないが、その光景を見ていると心の奥底からどす黒いものが込み上げてくる気がする。
「ゲド……愛してる」
『俺もだよ、ディア』
「え!?そんな、冗談はよしてくれ」
『冗談なもんか、俺はいつでも本気だ。信じられないならもう一度言おう。愛してる』
「ふん!どうせいろんな女に同じ言葉を吐いているんだろ!私は騙されないぞ!」
『そんなことするもんか。俺が愛しているのは、ディア、お前だけだ』
「ゲドったらぁ!正直すぎるぅ!」
あああああああ!なんだこれ!?なんだこれ!?
何かを思いっきり蹴っ飛ばしたい!んで、そのあと踏みつけたい!スラ公あたりが都合よくこねぇかな?
いや、来たら来たでいろいろめんどくせぇか。あああ!だけどすげぇイライラするんだけど!?
ん?今度は何を?
――枕を締め上げて!?いや、あれは抱きしめてるのか!?
明らかに枕の耐久度の限界ギリギリまで力込めてるだろ?破裂しちまうんじゃないか!?
お?また枕を顔の前に掲げて、何する気だ?
「でも……」
『どうしたんだディア?』
自分で伏し目がちに下を向いたくせにどうしたもこうしたもないもんだが、枕が心配そうに――というか、ディア自身なのだが――ディアに問いかけた。
「私は戦うしか能が無い。こんな私じゃ、いつかお前に愛想を尽かされてしまうだろうな」
『何を言っているんだ。そんなわけないだろう。それに、お前の魅力はそれだけじゃないさ』
「もう!やだ!」
ディアは枕を抱きかかえながらベッドの上でゴロゴロ転がり始めた。
何アレ!?新手の必殺技かなんか?枕を仮想敵に見立てて殺しに来てんの?
と、枕を天井に向けて両手で掲げるように持ち上げはじめた。
なんだ?トドメの一撃を放つつもりか?
『ディア……』
「ゲド……」
なぜか枕相手に目を潤ませ始め、ゆっくりと枕を下ろしてくる。
そしてついに枕がディアの顔に――
「……もう行こう」
もう限界だった。別の意味でトドメだったよ……。
うん、俺は何も見ていないし何も聞いていない。そうだ、そろそろ朝ごはんを作ってもらうとしようか!
俺はディアの部屋のドアを静かに閉めると、何事も無かったかのように廊下を歩きだした。
心なしか大股になって、気付けば一階へ降りる階段に向けて猛ダッシュしていたが、腹が減り始めて我慢できなくなったからに違いない。うん、そう思うことにしよう!
「起き掛けに強烈すぎるだろ……お、あれは。おいイリナ!」
一階に降りた時、イリナの姿が見えた。朝食の用意をしてもらおう思ったんだが、聞こえなかったのか、彼女はそのままある部屋の中へと入ってしまう。
「ここか……相変わらず、すげぇセンスだな」
イリナが姿を消した部屋の前まで移動してそのドアを見上げる。
両開きのドアを見下ろすようにして配されているのは、左右の手にナイフとフォークを持った巨大な髑髏。ナイフとフォークがクロスした下にドアがあり、その先には食堂があるんだが、食事をとるのではなく、自分たちが食事にされてしまうのではないかとすら思える。
「ま、丁度いいわな」
中で頼めばすぐに食事が出てくるかもしれないしな。
俺はドアを片方開けて、中へと入った。
食堂は長テーブルが一つ配置され、長辺側に椅子が五つずつ、短辺側に椅子が一つずつ備え付けられている。部屋の大部分を占めるそのテーブルの上には、今は消えているが、燭台が三つ置かれ、食事の時はその優雅な光が食卓を彩ることになる。壁には誰が描いたのか分からないが、四つの風景画が飾られていた。
「いたいた、おいイリナ!」
厨房へと続くドアは食堂の入り口から左対角線上の壁にある。ドアの前に立っていたイリナを認めた俺は声をかけてみた。
と、イリナは一度ビクリと震えると、猫のような俊敏さで俺の前まで移動してその口を手でふさいだ。
「んぐ!」
「ゲド様、シィー!」
左手で俺の口を押え、自分の口の前で右手で数字の「1」の形を作っている。一体なんだってんだ?
「ぐっ、イリナ、なんだってんだよ?」
俺は抑えられた手をはがし、イリナに尋ねてみた。
「だから、シィー!」
「分かったよ。んで、なんなんだ?」
再度静かにするように言われ、声を潜めて問いかけると、イリナは先ほどまで自分がいた厨房へと続くドアへと頭だけで振り返った。
「今、ガッドがあそこで昼食の準備してるんだよ」
「あ?だからどうしたんだよ?」
ガッドはこの城の調理番だ。昼食の準備をしていたところで何ら不思議はないだろ。
「実は、アタシはこれからあの厨房に行ってあるモノを取ってこなきゃいけないんだ」
「あるモノ?」
「そう、そして、その回収作業はおそらく命懸けになる」
「なんだって?」
命がけの回収作業?
いったい何を取りに行くってんだ?
「下手をすれば帰って来れないかもしれない。それでも、やらなきゃいけないんだ」
「一体なんなんだ?」
「それは……」
「それは?」
「三時のおやつ用にガッドが作ったプリン!あべっ!痛いよゲド様!」
俺のチョップがイリナのデコを直撃した瞬間だった。
「何かと思って聞いてみれば、ただのおやつか!バカらしい」
「ゲド様は事態の深刻さが分かってないんだよ!」
「別に厨房行っておやつ取ってくるくらいだろうが、何も深刻じゃねぇよ。なんなら俺が行ってやる」
「あ!ちょ!ゲド様ダメ!」
まったく。真面目に聞いて損したぜ。
俺は厨房へと続くドアへと向かった。ノブに手をかけて、それを回そうとした瞬間、イリナが腕に巻きつくようにして止めに入った。
「なんだよ」
「行っちゃダメだよ!良い?見てて」
そう言うとイリナはメイド服の袖のボタンを一つむしり取り、それを扉の隙間から厨房へと投げ込んだ。
弧を描きボタンが宙を舞う。そして、地面に着いた瞬間――ボタンは真っ二つに割れた。
「――ッ!」
「ナンダ?ボタン?」
ボタンを真っ二つにしたナイフを投げたのはガッドだった。正確無比な投擲で仕留めた獲物を拾い上げると、興味などないとばかりにそれを放り、ナイフを拾い、また調理の続きへと戻ってしまう。
「おい!どうなってんだアレ!?」
「ボタンの物音に気付いたガッドがナイフ放り投げたんだよ。ボーンナイトだからね、刃物の扱いはお手の物って感じ?」
「何考えてんだ!もし俺が入ってったら死んでたかもしれねぇじゃねぇか!」
もし俺が入って行ったら……考えたくもねぇ。
ちくしょう、眉間にナイフが刺さった姿想像しちまったじゃねぇか!
「だから言ったじゃん。事態は深刻だって。調理中のガッドには誰も近付けないよ。厨房はシェフの戦場なんだってさ」
「本物の戦場より厄介だぞ」
事前に覚悟が出来る分、逆に戦場の方が何倍も安全だ。
鎧を着た兵士じゃなく、コック帽被った料理人に殺されるなど誰が予測できようか。
「これで分かったでしょ?ガッドの目を盗んでおやつを頂くのは命懸けなんだよ」
「なんでそこまでするんだよ?」
「そんなの決まってんじゃん。上手くいけば三時にももう一回食べられるんだよ!?」
「アホらし……」
真面目に聞いて損した。たかがおやつのために命を懸けていられるか。
「ゲド様、怖気づいたの?」
「あん?」
去ろうとする俺は足を止めた。
怖気づいた?誰が?誰に?
「おいイリナ、今なんて言った?」
「怖くなって逃げ出しちゃうの?」
「良いだろう!プリンだろうがババロアだろうが俺が取ってやるよ!」
「頼もしい!流石魔王様!」
「当たり前だ。俺は他人をコケにするのは大好きだが、自分がコケにされるのは大嫌いなんだ。魔王の威厳を見せてやる!」
天下の魔王、ゲド様に不可能はない!
見事プリンを手中に収めてやろうじゃないか!
「で、作戦はあるのか?」
「ゲド様が協力してくれるおかげで人数が増えたからね。まずアタシが厨房に入ってガッドに気付かれないように冷蔵庫に近づくから、そのタイミングでゲド様が音立てて厨房のドアを開けてくれる?流石のガッドもドアが開いたくらいじゃ攻撃してこないと思うんだよね」
「もし攻撃してきたら?」
「……」
「おい、なんでそっぽ向くんだ。こっち見ろ」
「もし攻撃してきたら、その時は……魔王的なパワーでどうにかして?」
「バカ野郎!魔王的なパワーなんてねぇよ!そんなもんあったらとっくに使ってるわ!てか、そんなもんあったら四天王に喧嘩売られてねぇんだよ!」
「え~無いの?……魔王使えねぇ」
「お前今なんつった!?」
コイツ、誰が自分の主人かわかってないだろ!?
いや、わかっててこの態度なのか!?
「お前がガッドの気を引けばいいだろ!」
「別にいいけど、ゲド様、足音立てずに歩ける?冷蔵庫の位置とか分かる?なるべく早くやらないと、ガッドにバレちゃうよ?ガッド、ああ見えて料理に関しては厳しいから、つまみ食いしようとしたのがバレたらゲド様でも容赦しないと思うよ?」
ああ見えてというか、正直見た通りなんだが。
「……俺がヤバそうになったらすぐ助けろよ?」
「合点!」
こうして、俺とイリナのプリン奪取作戦が始まった。
イリナが厨房の扉を潜り、慎重に一歩を踏み出す。つま先の方からゆっくりと足をおろし、踵を地面に着ける。
おぉ、すげぇ、音がしないじゃん。
反対の足を持ち上げ、同じ要領で足を下ろす。辺りに響くのはガッドの調理をする音だけだ。おそらく、まだ気づかれていない。
厨房は入口のドアを真ん中にして、正面の壁側に鍋などに火を入れる炉、中央に調理用の長テーブルが二つ配置された間取りとなっている。
テーブルは大人の男一人がが通れるほどの幅を置いて配置されているため、ドアから炉までは一直線で通れるようになっていて、あとは両側の壁側に同じように人二人通れるほどの通路がある。
ガッドが入口に背を向けて炉をいじっているため、イリナはテーブルに隠れるようにして二歩、三歩と歩みを進めて行く。
目指す冷蔵庫は入口から見て左手側、部屋の最奥の左角にある。
静かな厨房内に調理の音だけが響く中、イリナは順調に進行していく。そして、部屋の端までたどり着き、曲がった。後は正面にある冷蔵庫まで一直線だ。
「良い感じじゃねぇか」
これなら案外すんなりと手に入るんじゃね?
俺が安心し始め、そしてイリナがゆっくりと歩を進めようとしたその時――
「ム、サカナヲダシワスレタナ」
「――ッ!」
このタイミングでガッドが動いた!
真っ直ぐに冷蔵庫へと歩を進めていく!このままじゃイリナと鉢合わせちまう!戻れイリナ!
事態を悟ったイリナも慌てて元来た道を戻った。大急ぎで、しかし静かに。
ガッドが冷蔵庫に辿りつき、扉を開ける――その時、イリナは角を曲がり、長テーブルに体を隠した所だった。
間一髪、身を隠すことに成功したイリナ。
ふぅ、心配させるんじゃねぇよまったく。
少し戻ることになっちまったが、また歩けば良い。
イリナが再び一歩を踏み出した時だ――何か固いものが割れる音がした。
「ナンダ?」
ガッドも、そして俺も音の発生源を探す。それは部屋の左側、イリナのいた位置からだった。イリナの顔からみるみる血の気が引き、ゆっくりと足を上げる。その下にあったのは、先ほどガッドが放り投げたボタン。よりにもよって、今それを踏み潰してしまったのだ。
くそっ!よりによってなんであんなところに!?
発生源を確かめようとガッドが歩を進める。
まずい、このままじゃ見つかっちまう!
……くそ!しかたねぇ!
俺はすぐに行動を開始した。
ドアに手をかけ――それを勢いよく開け放つ!
多少乱暴なくらいの勢いで開いたドアは相応の音を立て、それと同時に部屋に飛び込んだ。
「ようガッ――」
その瞬間は俺自身にも何が起こったのか理解できなかった。踏み出したはずの自分の視界が一気に高さを失って、段々と視線が上に動いて行くさ中、目の上ギリギリを鈍い光を纏った、斧と見紛うような巨大な包丁が回転しながら通り過ぎていった。
次の瞬間には、後頭部をしこたま床にぶつけ、仰向けに倒れていた。どうやら、床に滑って転んだらしい。だが、そのおかげで頭をかち割られなくて済んだってわけだ。
俺の頭を素通りした包丁は、勢いそのままに食堂の椅子の背もたれに刺さっていた。
「は、はは、やべぇ、チビるかと思った」
「ゲドサマ?ナニヤッテルンダ?」
呆然と天井を眺めていた俺の視界の中にガッドが現れる。
まさかつまみ食いしに来てますと言うわけにもいかない。
俺は平静を装うと、体を叩きながら立ち上がった。
「いや、今目が覚めたんだけどな、軽く何か食おうかと思ってな」
「ソウダッタノカ。ジュンビモデキルガ、モウスコシデチュウショクダゾ。ドウスル?」
「そ、そうか。だったら待っておくかな」
視線を軽く動かせば、イリナはすでに冷蔵庫を開けて中からプリンを持ち出していた。両手に一つずつ持つと、それを嬉しそうにこちらに掲げている。
「もう少しで出来るなら、どっかで時間つぶしてくるかな。楽しみにしてるぜ」
作戦完了を確認した俺は踵を返して厨房を出た。
もちろん、戻り際のイリナとガッドが出くわさない様、食堂の包丁を引き抜いてガッドに返すことも忘れない。
てか、この包丁クソ重いんだが?こんなもんをぶん投げたのかアイツは?マジで殺しに来てるじゃねぇか。
* * *
「やった!作戦大成功!」
厨房を後にして食堂での戦果を確認しながらイリナは満面の笑みだった。
苦労して手に入れたそれは何の変哲もないプリンのように見えるが、今の彼女にとってはこの世のどんな財宝よりも高価なものに違いない。
「あ~、死ぬかと思ったわ」
イリナのフォローのため、文字通り命を懸けた俺は受け取ったプリンを片手に、もう一度自分の頭が半分になっていないことを確かめるため、両手で顔を押してみた。
うん、パックリ割れたりはしないようだ。
「それにしても、ゲド様すごかったよ!ガッドの攻撃を避けちゃうなんて!」
「あ?ま、まあな」
「良く見てなかったんだけど、一体どうやったの?」
「う……それは、な……」
「それは?」
なんて綺麗な目で聞いてくるんだコイツは?
そんな顔されたら……カッコつけずにはいられないな!
「ガッドの動きを先読みしたんだ。動きを読んでいれば、後から動いても攻撃は当たらない」
「先読みぃ?」
あれ?この反応は……ハッタリだってバレたか?
「すげぇぇぇ!ゲド様、そんなこと出来るの!?」
さっきよりもさらに目を輝かせながら、イリナがこちらに詰め寄った。
どうやら杞憂だったらしいな。
「ゲド様!アタシにも出来るかな!?先読み!」
「あ~、いや、それはちょっと難しいな。先読みが出来るようになるには相当修行しなきゃいけないからな。いっぱい修行して、達人の域に達して初めて相手の動きが読めるんだ」
「おぉ!」
ここまで信じられると今更ウソだとは言えねぇな。いや、逆に夢を見させてやるのは俺の義務ではなかろうか?
「ゲド様――いや、師匠!アタシも先読みが出来るようになりたいです!教えてください!」
「習練の道は厳しいぞ。ついて来られるか?」
「はい!どこまでもついて行きます師匠!」
俺は腕を組み目を細めた。
うん、我ながら雰囲気出てるんじゃないの?
「途中で投げ出したくなるかもしれないぞ?それでもやるか?」
「もちろんです!何でもやります!」
「そう、なんでもするの。ではまず、この城の廊下の床を隅々まで綺麗にしてもらいましょうか」
「え?――ッ!」
横からしたその声の方に視線を移すと、そこにはこの城のメイド長、エルピナが立っていた。
その声は怒気を孕み、彼女の目の代わりの頭部の蛇たちは怒りに揺れるようにゆっくりと、しかし、しっかりとイリナを捉えていた。
お、おおぅ。俺と同じように腕組んでるのに迫力が違う……。
「ね、姉さま?」
恐怖に声を震わせながらイリナがエルピナを見る。
「仕事を任せて一人にしてみれば、こんな所で何をやっているのかしらイリナ?私は貴女に廊下の掃除を命じたはずよね?」
「あ、あの」
震える声に、その両目には微かに涙が溜まっていた。
よっぽど怖いんだろうな。
「ゲド様、おはようございます」
「あ、ああ、おはよう」
イリナの声など聞こえないとばかりにエルピナが俺の方へと体ごと向きを変え、丁寧に頭を下げる。
「お食事はいかがなさいますか?」
「そ、それがガッドからもう少しで昼だから待ってくれって言われたよ。それまでこれで我慢しろってさ」
この状態でも咄嗟にプリンの言い訳を出来たのは、今までの人生経験の賜物だろう。
いや、まあそもそも言い訳する必要もないのかもしれんけど、この迫力を見ちゃぁなぁ。
「そうでございましたか」
そう言ってエルピナは優しく微笑んだ。
よかった、どうやらそれほど怒ってないらしい。
「そ、そうなの姉さま!アタシもガッドにプリンもらって!それで――」
「貴女は仕事の最中でしょう!」
これ幸いと便乗しようとしたイリナを一喝する声にこっちまで震え上がってしまう。
やっぱり相当怒ってたみたいだ。
「貴女には話があります。一緒に来なさい」
「で、でも姉さま、アタシ仕事が――」
「言い訳しない!」
「はい!」
エルピナに引き連れられ、イリナは食堂を出て行った。
その後ろ姿はこれから起きるであろう事態を予想しているのか、まるで死刑執行される罪人のようだった。
「……これも修行だ、弟子よ」
俺はその後ろ姿に同情せずにはいられなかった。
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