第10話
「さぁ、キビキビ歩け!」
誘拐された翌日、メルディアの言葉の通り、俺はメルディアと対決することとなった。
竜人たちの拠点である西の城の中には、鍛錬を積むための施設が複数あり、その中の一つ、障害物も何もない広場へと俺は連れてこられた。
「よく来たなゲド・フリーゲス。どうだ?昨日はよく眠れたか?」
広場の中央で待ち構えていたのは俺をこの城まで連れてきた女、メルディアだ。
コイツは昨日と同じ姿で、竜人たちのリーダーらしく腕を組み堂々と仁王立ちしていた。
対する俺はと言えば、昨日の作業のために寝不足で叶うことならベッドに直行したい気分だった。
「ふ、この期に及んでまだあくびをする余裕があるとは、流石だな」
俺は頭をポリポリと掻きながら、答えの代りに二度目の欠伸を漏らした。
「メルディア様が話しかけておられるのだ、返事をしろ!」
メルディアの横に控えた側近らしき龍人が怒鳴る。
どういうわけかこの側近も女だった。牢屋の監視と言い、この種族は女が多いのか?
「うるせぇな。こちとら寝不足なんだよ」
「寝不足?ほう、お前、さては今日のために何か準備をしていたのだな?」
「メルディア様、それが、監視の者が言うには、奴は一晩中笑いながら鉄格子に右手のナイフを擦りつけていたということです」
「なに?それは一体どういう意味があるんだ?」
「私にもさっぱり……」
「まさか!」
「何かお分かりになったのですか!?」
「分からないのか?きっと奴の作戦に違いない!一見無意味な行動と見せかけて、実は己を研ぎ澄ますための精神統一の一種なのかもしれん」
「いや、それは無いんじゃないでしょうか。どう見ても気が触れたようにしか見えなかったといいますし」
「それこそが奴の作戦なんだ――くっ、ゲド・フリーゲス、恐ろしい男だ」
なぜか勝手に勘違いしているようだが、その推察は案外的外れでもない。
俺が今手にしているナイフは、一晩中鉄に擦りつけたことによってかなり切れ味を増していた。
どのくらいの切れ味かと言うと、試しに鉄格子の端を切りつけた時には、いとも簡単に切れてしまったほどだ。
そんな状態なら逃げ出すことも出来たのだが、なぜ俺がそのまま牢屋に残り続けたかと言えば……ズバリ、復讐のためだ。俺のお宝をあんな目に遭わせてくれたこの女はどうあっても許せん。
俺が勝った暁には落とした宝全部拾ってこさせてやる。
その後はあの体を好き放題に……やべっ鼻血出てきた。
「見ろ!奴のあの顔!アレは何か秘策があるに違いない!」
「ただ鼻の下を伸ばしているように見えるのですが」
「それこそが既に奴の術中に嵌まっている証拠なのだ!」
勝手に盛り上がっているメルディアは置いておいて、俺はこの勝負のキーになるナイフに視線を落とし、小声で語りかけた。
「頼むぜおい。お前が頼りだからな」
――お任せください。今の私には何者も敵ではありません
鉄を与え続けた結果、なぜか口調が穏やかになってしまったのだが、まあ自信があると言っているし心配はいらないだろう。
「さて、ではそろそろ始めるとしようか、ゲド・フリーゲス」
「ふふふ、ついに俺の本気を見せる時が来たようだな」
「武器は選ばせてやる」
「いらねぇよ。俺にはこれだけありゃ十分だ」
右手に持ったナイフをひらひらさせながら俺は不敵に笑う。
おそらく、今のこのナイフは下手な武器よりも強力なはずだ。
「分かった。では始めよう」
「メルディア様、ご武運を!」
側近が離れ、それが始まりの合図となる。メルディアが腰に差した剣を抜き、こちらに向かって構えた。その流れるような動作は、戦い慣れしていることを感じさせる。
「では――参る!」
「――ッ!」
一瞬だった。
およそ大股二歩程の間があったにもかかわらず、メルディは一瞬でその間合いを詰め、俺の左肩を見事な刺突が貫いた。
「ってぇぇぇぇぇ!」
自分の肩から剣が引き抜かれるのを見てから、改めて自分に何が起きたのかを悟る。
そして、遅れること数秒後、燃えるような痛みが左肩に広がっていく。
「どうしたゲド・フリーゲス?本気を見せてくれるんじゃなかったのか?」
メルディアが余裕の笑みを浮かべている。
剣の動きが全く見えなかった。コイツは強い。チョロイから忘れていたが、コイツも四天王なのだ。ナイフの切れ味が増していたのと徹夜明けのテンションで判断が鈍っていた。
普通の人間の自分が太刀打ちできるのか?急に不安になってくる。
「おいナイフ、大丈夫かよ」
――どんなに切れ味が増しても当たらなければ意味がないですな
「分かってるよチクショウ」
そんなことは言われなくても分かってる。しかし、目で追えないものをどうやって捉えろというのか。
「何をブツブツ言っている、ゲド・フリーゲス」
「お前を倒すイメージをしてたんだよ」
メルディアを睨み付けたままナイフを自分の傷口へと近づける。この際だ、使えるモノは何でも使う。さらに血を与えて切れ味を増してやる。
――う~ん、マンダム
「私を倒すイメージ?倒されるの間違いだろう?」
俺が見えたのはニヤリと笑ったメルディアだけだった。
それからすぐ、見えない剣が俺の体を切り裂いていく。
手、腕、足と、わざと急所を外れるように、少しずつ切り傷が増えていく。その気になれば一発で仕留められるはずだが、遊んでいるに違いない。くそっ馬鹿にしやがって。
――手から血が滴っていますね。打つ手なしですか?私としては血が吸えて助かりますが
「うるせぇよ!攻撃が全く読めねぇんだから仕方ないだろうが!」
武道の達人でもなければ、何か特別な力があるわけでもない。
ただの人間の俺にどうしろってんだ!?
「せめてどこを狙ってるのかさえ分かれば……」
剣の動きはもちろんのこと、戦い慣れしているメルディアは狙いを目線から追わせるようなことはしない。その速度も相まって、俺には予測不能の攻撃にしか見えないのだ。
考えろ。完全に防ぐことは出来なくても、何か手はあるはずだ。後手に回っても相手の攻撃が早すぎて防ぐことは出来ない。
それなら先手を取ってはどうか?いや、ダメだ。どうせ避けられるのがオチだ。攻撃は出来ない、しかし後手にも回れない。
一体どうすれば――
その時、一つの作戦が浮かんだ。
「……よし」
軽く息を吐き背筋を伸ばし、胸を張り両手を脱力する。
もう煮るなり焼くなり好きにしろ、そう主張する体勢だ。
「何のつもりだ?」
「もう疲れたわ。いっそ一思いに殺ってくれや。心臓は
ナイフの先で体の中心を差す。心臓を一突きされれば普通の人間は一溜りもない。
「また私を騙すつもりか?」
「そんなつもりはねぇよ。武器は……事情があって手放せねぇが、抵抗はしない。それとも何か?怖いのか?」
「何?」
メルディアの眉間がピクリと動き、目が鋭さを増した。
かかった!
これまでの発言から判断するに、コイツはおそらく負けず嫌いだ。少し挑発すればすぐに乗ってくる。
「良いだろう。願いどおり一思いに殺してやる!」
――何か名案でも?
「黙ってろ!」
「またブツブツと!」
メルディアの剣がゆっくりと高さを変え、その切先を俺の胸へと向けた。まるで弓を引くように剣を持った腕が後ろに下がり、そして――
「死ね!ゲド・フリーゲス!」
空を切る剣。その切先は真っ直ぐに俺の体へと伸びて行く。
ブレることのない刺突が俺の胸に命中する。
その場に響いたのは肉を裂く鈍い音――ではなく、鉄同士がぶつかる鋭い音だった。
「ッ!」
「っぶねぇ!」
メルディアの剣は見事に俺の体の中心を刺した――が、その切先は体に届くことはなく、体と服の間で止まっていた。
その状況を予想していた俺は安堵の声を、予想していなかったメルディアは驚きに目を見開いている。
「貴様!何か仕掛けを!?」
なぜメルディアの剣が止まったのか、その秘密は俺の胸の所にあった。
「ふぅ、苦労して詰めといた甲斐があった」
「――ッ!それは!」
破れた服から覗いたモノ、それは数本の鉄の棒だった。
それは俺が放り込まれた牢屋の鉄格子。ナイフの切れ味を試すために切ったモノを拝借しておいたのだ。
さすがモンスターを放り込むための牢屋の鉄格子だけある。見事にメルディアの攻撃を防いでくれた。
思わぬ状況に、メルディアの手が止まる。この瞬間こそ、俺の待ちわびたものだ!
「くらえ!」
「くっ!」
大きく縦に振りかぶったナイフを受け止めるべく、メルディアは咄嗟に剣を横に構えた。お互いの刃がぶつかり合い、鋭い音がその場に響く。
俺の攻撃は無効。メルディアはそう思ったに違いない。
が、それこそが俺の狙いだった。
「うそ!?」
メルディアの剣が小枝のようにポッキリと折れてしまったのだ。もちろん、こちらのナイフは無傷。一晩中鉄分を摂取し、さっきも俺の血を吸ったナイフは相当に切れ味を増していた。メルディアの剣を折ってしまうほどに。
「よっしゃ、作戦通り!」
目の前の信じられない光景に目を白黒させるメルディアを見て、俺は勝利の優越感に浸った。
この状況はまさに作戦通り、と言いたいところだが半ば賭けでもあった。最も防御力のある胸に攻撃させるように仕向けはしたが、メルディアが思惑通りになる保証はなかったし、そもそもこの女の剣が胸の鉄格子を貫かないという確証もなかった。
だが、メルディアは俺の挑発に乗り、しかもその前までの感触からこちらをただの人間と見くびり、あまり力を入れていなかった。
その結果が今のこの状況だ。
「武器が無くなって圧倒的に不利になったなぁ?」
相手は丸腰、こちらのナイフの切れ味はお墨付き。思わず笑みがこぼれちまう。
が、メルディアは狼狽えない。
当然か、あっちにはまだ切り札があるからな。
「ふふふ、こうでなくては面白くない。私も本気でいこうじゃないか!」
メルディアの体が白く発光する。
その姿にドラゴンに変身する予兆を感じ取り、俺は後ずさった。
メルディアの体がみるみる姿を変えていき、そして、そこに真紅のドラゴンが現れる。
『さぁゲド・フリーゲス、ここからが本ば――』
「あぁ!なんだアレは!?」
『え?』
「嘘だよマヌケ!」
メルディアが喋っている途中に俺はこの女の後方を指差し、振り返った瞬間に一気に距離を詰めそのまま一閃。
切れ味の増したナイフは見事にメルディアの左肩――と呼んで良いかは分からないが、左の腕の付け根のあたり――を切り裂いた。
ポタポタとナイフから滴る赤い血が、その威力を物語っている。
剣だけじゃない。ドラゴン相手でもこのナイフは通用する!
『お、お前!騙し討ちなんて卑怯だぞ!』
「戦いに卑怯もくそもあるか!勝てば良いんだよ勝てば!」
戦いにいちいち意味を持たせようとする奴の気が知れん。相手を屈服させ、勝利すればそれで良い。卑怯だろうがなんだろうが知ったことか!
『お前がそのつもりなら!』
メルディアが大きな翼を広げ、そのまま空中高く飛び上がる。
巻き上げられた土に混じってポタポタと血が垂れてきた。
空を飛ぶ術など持ち合わせていない俺は、左腕で埃を除けながらその姿を見上げるしかない。
くそっ、こっちの射程距離外に逃げる作戦だな。
「空飛ぶとか卑怯だぞ!」
『お前に言われたくないわ!』
メルディアの怒りの声と共に口が赤く発光し、そこから火球が生み出され、こちらめがけて容赦なく吐き出される。
「おっとやべぇ!」
ある程度予想はしていたが、ただの人間の俺に火球を受け止められるはずなどなく、ただ全力で逃げることしか出来ない。後方で着弾と共に爆発する音を聞き、速度を上げて逃げる間にも、背後でさらに何度か爆発音が響いた。
「くそがぁ!こっちが対空手段持ってないと思って好き放題やりやがって」
――私に考えがあります。私を奴めがけて放り投げてください
「何言ってんだお前!?第一、お前俺の手から離れないだろうが!」
――もう十分血は吸いました。手放せるはずですよ?
「え?お、マジだ!」
ナイフを握っている手を恐る恐る開いてみると、すんなりと指からナイフが離れた。
「だけど、お前どうする気だよ?」
――先ほどの攻撃を見たでしょう?大丈夫、見事に奴の体を貫いて見せますよ
「いや、だけど……」
――良いから!私を信じて!
その力強い言葉に俺は賭けてみることにした。
もう逃げ回ることはしない。
上空のメルディアの位置を確かめると、右手を思い切り振りかぶり、そして――
「オラァ!」
ナイフを上空のメルディアめがけて放る!
真っ直ぐにメルディアに向けて飛んで行くナイフ!
ただ目標を刺突せんがためにナイフは空を切った!
その距離がどんどん縮まっていく!
あと少し!あと少しでメルディアに一矢報いることができる!
が、ナイフは途中で勢いを無くし、メルディアに届くことなく地面へ落下してしまった。
「あ~、やっぱり届かなかったか。だから言ったのに。しゃあない、拾ってやり直しか」
この状況はある程度予想できていた。自慢じゃないが、生まれてこの方一度も力仕事なんてまともにやったことがない。いくら軽いナイフでもそこまで遠くへは放れない。
ナイフは信じていたが、自分のことは自分がよく分かってるからな。ま、もう一度やり直せばいいさ。今度はメルディアを挑発してこっちに近づかせよう。
俺がナイフを拾いに向かおうとした、その時だった。
巨大な影がナイフを黒く染め、そして――
「え?」
一瞬の出来事だった。
地面に落ちたナイフの上にメルディアの巨体が着地し、その場に砂埃を巻き上げる。
砂埃が消えた後、その場にいたのはメルディアだけ。ナイフは?ナイフはどこへ行った?
俺はあまりに突然の出来事に思考がついていかなかった。
ナイフが落ちて、その上に巨体のメルディアが着地してきて……その衝撃から判断するにおそらくナイフは……。
「ナイフゥゥゥゥ!?」
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