第9話
「ここに入れ」
メルディアたちの居城に着いた俺は息つく間もなく地下の牢屋へと連れてこられた。
そこは小汚く狭い部屋で、片隅にトイレが一つあるだけだった。もちろん、トイレと部屋を隔てる壁などは存在しない。
が、そんなことは今はどうでもいい。
今一番重要なこと、それは――
俺の宝が全てなくなっちまったことだ!
あぁ、輝く金貨、煌びやかな装飾の王冠、まぶしいほどの宝石、みんな、みんな俺の手からすり抜けてしまった……。
「どうした?さっさと入れ」
あんだけのお宝があればしばらくは働かなくて済んだのに……。
いや、あれを元手に金を集めて金貸しをやれば一生安泰だったのでは?
あぁ!なんてもったいないことを――ぐえっ
「入れと言っている」
いきなり目の前の世界が傾き、俺は床に倒れていた。どうやら、俺は後ろから蹴り倒されたらしい。
後ろを向けば、俺をここまで連れてきた監視番の竜人がこちらを見下ろしていた。
「ふん、少しばかり空を飛んだくらいでバテたのか?」
扉を閉めながら蔑むような視線を向ける監視番、だが俺は答えない。
あのお宝が手に入っていれば、こんな冷たい床にへたり込むこともなかった。
暖かい部屋で何不自由ない生活を約束されていたはずなのに、あぁ俺の宝……。
「やはり人間など弱いだけの――」
「……の……から」
「なんだ?」
「お……の……から」
「なんだ?言いたいことがあるならハッキリ言え」
「俺の宝ァァァ!」
「――ッ!?」
俺は鉄格子にしがみ付監視番を睨みつけた。
こいつらがいなければ俺のお宝は無事だったのだ!この恨み晴らさでおくべきか!
監視番は一旦後ずさるとすぐにまたこちらに近づいてくる。なんだ?やろうってのか?今の俺は相当機嫌が悪いぞ?
「いいか、貴様はここから出ることはできない」
「俺の宝?」
「明日、貴様には我々の長、メルディア様と一騎打ちで戦ってもらう。光栄に思うがいい」
「宝?」
「違う!宝しか言えんのか貴様は!?」
「うう、俺の宝。アレだけあればしばらく楽できたのに……」
「と、とにかく!明日、メルディア様直々に貴様に手を下してくださる。光栄に思え!逃げ出そうなどと思うなよ?この牢屋の壁はここいらで最も固い岩を削り出して作られている。もっとも、ひ弱な人間の貴様にはどちらにせよ壊せないだろうがな」
用件のみを伝えると、監視番は牢屋に鍵をかけそのままどこかへ行ってしまった。
「ううう、あ~、ちくしょう、俺の宝ぁ……」
みんなどこかへ行ってしまった……いや、一つだけ残ったのがあるか。
「……残ったのはこいつだけか」
どんなに手放そうとしても離れなかったナイフは空を飛んでいる間もずっと右手に張り付いていた。ここに着いたときに見張りの兵たちに取られそうになったが、俺自身がどうやっても取れなかったものだ。もちろん兵たちにも取ることは出来ず、仕方なくそのまま牢屋に放り込まれたというわけだ。
「売るにしたってこれじゃあな。にしても……」
手から離れないのはまだなんとか我慢できる。だが目下の悩みの種は……
血だ、血をよこせ――
この聞こえ続ける声だ。どういう仕組みか分からないが、頭の中にずっと響き続けていて、耳を塞いでも一向に収まる気配がない。それどころか、時間が経つ毎にどんどん声が大きくなっていっている気がする。
「うるせぇな、くそっ」
ただでさえこの絶望的な状況な上にこの不気味な声、気が滅入って仕方がない。
「ラグエル辺りが助けに来てくれねぇかな」
一縷の望みを胸に、俺は鉄格子の填められた窓を仰いだ。
自分の両手を上にあげてギリギリ届くか届かないかという高さの窓からは暗くなり始めた空が見えた。
そろそろ城のみんなは自分の不在に気付いただろうか。なんとかして自分の居場所を彼らに伝えられれば……。
「は~、考えるのもメンドくせぇや。あいつ等の方でなんとかしてくれんだろ」
ぐちぐち考えのはメンドくせぇ。どうせなるようにしかならねぇよ。
やる気をなくした俺は堅い床に寝転んだ。周りの壁と同じで天井もただ石が繋がっただけの何の面白味もない殺風景な見た目だ。
さっきの監視番の言葉を信じるなら、俺は明日メルディアと戦うことになる。どう考えたって人間の俺が勝てるわけないし、このまま静かに眠るように死んだら楽かもしれねぇなぁ。
俺が生きることを放棄しはじめようとした時だった。
心はすでにやる気を失っていたが、体の方、具体的に言うと胃袋が生きることを主張し始めたのだ。
「腹減ったな。そういや起きてから何も食ってねぇ……」
考えてみれば、先代魔王の息子とかいう奴の手紙のせいでドタバタしてて何も口にしていない。
「お~い、飯くれ!飯!」
外に続く鉄格子を手持ちのナイフでカンカン叩くと、ほどなくして先ほどの監視番が現れた。眉間にしわを寄せて、明らかに不機嫌そうだ。
「うるさいぞ!静かにしていろ!」
「腹減ってしょうがねぇんだよ。飯くれ」
「食事だ!?そんなものお前に出すわけないだろう!」
「あぁ!?俺は魔王様だぞ!?そんな態度で良いのか!?」
「我々一族はお前を魔王と認めていない!」
しばし沈黙のにらみ合いが続く。
「良いのか、そんなこと言って?」
静寂を破ったのは俺の方からだった。
「どういう意味だ?」
「俺は明日、お前らの大将と戦うんだろ?アイツは俺の真の実力を知りたがってる。腹が減った状態じゃ、実力の半分も出せねぇだろうなぁ。あ~あ、俺が全力出せないのは誰かさんが俺に飯を出してくれなかったからだなぁ」
「ぐっ――」
わざとらしくそっぽを向いて、視線だけで監視番を見ると苦虫を噛み潰したような顔をしている。
よし、あと一息。
「明日負けそうになったらそれ言っちゃおうかなぁ。あの大将、なんて言うかなぁ」
「わ、わかった!飯を出してやる!くそっ」
監視番がどこかへ姿を消した。
勝った!
俺が勝利の優越感を味わっていると、苦虫を噛み潰したままの監視番がトレーらしきものを持って帰ってきた。
「ほら、食え」
木で出来たトレーに乗っていたのは、手のひらほどの大きさの丸焦げのトカゲに、同じく木で出来た器によそわれたスープらしき緑色の液体だった。
「なんだこれ?」
「食事だ」
「これが食事!?ウソだろ?」
俺の村で出てきたらこれは間違いなく嫌がらせでしかない。
ママごとだってもう少しマシな見た目のもん出てくるぞ?
「文句があるなら食わなくて良い。食べ終わったら食器はそのまま置いておけ」
それだけ告げて監視番は再びどこかへ行ってしまう。
「食えつったって、トカゲはまだしも、スープの方はスプーンも無いのにどうしろってんだよ。手で食えっつうのか」
――血を寄越せぇ!
あぁ、そういやコイツがあった。うるせぇだけだから少しは役に立ってもらおう。
「う~ん、そこまで匂いは強くないな」
器を顔の前に持ってきて匂いを嗅いでみたが、嫌な臭いじゃない。なんだろう、牛乳を煮詰めたような、少し甘い匂いだ。
恐る恐る器に口を付けて一口含んでみる。
舌の上で転がすと、ドロドロとしているが、やはり牛乳のような甘い味だ。
「意外といけるな」
緑色の液体にナイフの先を入れて中を探ってみると、中には何か具が入っている。ナイフで刺してみたが、すんなり刃が入った。緑色になってしまっていて何かは分からないが、とりあえず口に放り込んでみるか。
「お、なんだ?これ、芋みたいだな」
具そのものにはそこまで味はなく、歯ごたえはジャガイモに似ている。
とりあえず、この緑の液体は食えるってのがわかった。
「さて、次は問題のコイツだな」
俺は目の前のトカゲの丸焼きを見据えて深呼吸した。トカゲの肉を食べたことはあるが、そのままの姿丸々というのは初めてだ。頭からしっぽまで完全に生きた姿そのままが残っていて、少々覚悟がいる見た目だな。
「う……ん?お、コイツも中々」
トカゲの尻尾に噛り付いてみたが、カリカリとした歯ごたえと、しっかりとした触感がある。少し苦みがあるが、スープが少し甘いのでちょうど良い。
一度食べてしまえば後はそこまで躊躇することはない。空腹なのも手伝って、どんどん食が進んだ。
「牢屋にしてはちゃんとした食事出すんだな。見直したぜ」
トカゲを少しかじってはスープを口に含む、途中でスープの中の具をナイフで口に運ぶ。
「――ッて」
三口目のスープの具を口に運ぼうとした時、ナイフで唇を切ってしまった。
結構深くやってしまったようで血がポタポタと地面に垂れる。
「てぇ、くそ――あれ?」
左手で唇の傷を触ろうとした時、俺はあることに気が付いた。
先ほどまでやかましいほどに騒いでいた声が、止まったのだ。
「なんだ?いい加減騒ぎ疲れたのか?」
が、油断したのも束の間、再び声が響き渡る。
――血だぁ!もっとよこせ!
しかも、先ほどよりも声が大きくなっている。
「うるせぇな。そんなに飲みたきゃくれてやる――お?」
地面に落ちた自分の血にナイフの刃を近づけると、見る見るうちに血が消えて、いや、ナイフに吸い込まれていった。
「どうなってんだ?」
――うめぇ!もっとだ!もっと血をよこせ!
「このナイフが血を吸った、のか?」
とても信じられないが、目の前で起こったのだから信じるしかない。そもそもが魔王の城にあったナイフだ。血を吸った所でおかしくは……ない、か?
「にしても不気味なナイフだな。ま、だからって役に立つわけじゃねぇけどさ」
血を吸った所で自分をここから出してくれるわけでもない。それよりも今は目の前の食事の方が大切だ。
「あれ?」
さっきと同じ要領でスープの中の具をナイフで突き刺そうとしたんだが、なぜかナイフがすんなり通っちまって具が二つに分かれてしまった。火が通りすぎた具だったのか?
「仕方ねぇ、じゃあこっちの具を、くそっ、こっちもか」
別の具をナイフで突き刺そうとしたが、やはり具はすんなりと切れてしまった。
それから何度か試したが結果は同じ。
ここに来て一つの疑問が湧いてくる。
「もしかしてこのナイフ、血を吸って切れ味が増してるのか?」
その疑問を晴らすため、俺は切先を自分の指先へと近づけた。
この後のことを思うと躊躇してしまうが、謎を謎のまま放っておくのもなんとなく気分が悪い。
俺は意を決して切先を左手人差し指に押し付けた。
「――ッ!」
鋭い痛みが指先に走り、そこから玉の血が滲みだす。
それをナイフに近づければ、みるみるうちに血が吸い込まれていった。
「ん~、どうだ?」
心なしかナイフの光沢が良くなった気がする。
切れ味を確認するため、俺は食器の乗っているトレーにナイフを押し付け――切れた!それも力を全く入れずに!間違いない!このナイフは血を吸って切れ味を増している!
「この調子で血を吸わせれば、この鉄格子も切れるようになるかもしれねぇな」
問題はどれだけ血を吸わせれば鉄格子が切れるかだ。指先一つで木のトレーは切れた。じゃあ鉄を切るにはどれくらいの血を吸わせればいい?手一つ?腕一本?どちらにせよ自分が受ける被害は甚大、脱出できるかもしれないが痛いのはごめんだ。
「さっきの監視番呼び出して切りつけるか?」
ダメだ。一回切りつけたくらいでどれくらい切れ味が増すか分からないし、下手すればその場で殺される。
「あぁ、くそっ!いったいどうすりゃいい?」
――血だ!血を!
「なんとかして俺の被害を最小限にして」
――血ぃ!血をよこせ!
「血が滴る生肉でも差し入れさせるか?いや、そう何度も飯がもらえるとは思えねぇし」
――血!血!血!血!血!
「ネズミでも紛れ込んでくれば――あぁ!うるせぇ!人が考え事してんだ!静かにしてろ!」
――――。
「あれ?」
黙った?こちらの意思が通じたのか?
「おい、ナイフ」
――――。
先ほどまであれほどうるさかったのにナイフは全く喋らない。いや、そもそも喋らないのが普通なんだが。
「おい」
――――。
「だんまりか。そっちがその気ならこっちにも考えがある」
俺は立ち上がり、牢屋の壁にナイフを突き立て、石の壁を少し削り出した。
血を吸わせたおかげで思ったより簡単に壁は削れ、手のひらより少し小さいくらいの小石が手に入る。
それを地面に置き、その上にナイフの刃の腹を置いた。そして、切っ先に自分の左足を置く。
「ここの壁は相当固い岩で出来てるらしいぜ。切れ味は上がったみたいだが、耐久度はどうかな」
思い切り左足に力を込めた。ナイフの中心には相当な力がこもっているはず。
だが、ナイフの反応はない。
「結構頑張るな。それ、もう一丁!」
今度は力だけではなく自分の体重を込めてみる。これで反応がなきゃ、おそらくポッキリだ。
――ま、待て!折れちまう!
「やっぱり喋れんじゃねぇか。だんまり決め込みやがって」
――こっちから話しかけることはあってもそっちから話しかけられることなんて無いんだよ。普通の人間のくせに、何なんだアンタ?
「あぁ?俺は魔王だよ」
――とりあえず頭がイカれてるのは分かった。あっ!止めろ!それ以上体重掛けるな!
おっといかんいかん。つい本気で折りにいってしまうところだった。
「で、お前にちょっと聞きたいことがあるんだが?」
――誰が人間なんかの質問に答えるかよ
「短い付き合いだったな。せめてもの情けだ。折れたらそこらへんに埋めといてやるよ」
――分かった!分かったから!それで、何が聞きたい?
「とりあえず、血以外にお前の切れ味を上げる方法があるか教えろ」
――ねぇよそんなもん。俺は血を吸って切れ味を増してんだ
「さーて、どれくらいまで保つかなぁ」
――う、嘘じゃねぇ!俺は血を吸ってその中の鉄分で切れ味を増してんだ!
「鉄分?なんだそりゃ?」
――名前の通り鉄の成分だ!血に入ってんだよ!
「へぇ。鉄の成分ねぇ、なんだ。だったら問題解決だな」
――へ?何を?
その日の夜、俺は時間が許す限り鉄格子にナイフをこすり付け続けたのだった。
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