第8話
「ふぅ、ここまで来りゃ大丈夫だろ」
魔王城が襲撃されてから三十分ほど経った頃、俺は一人外にいた。
そこは魔王城から少し離れた場所にある森の中で、木々が生い茂り、道らしい道は無い。
ただし、そのおかげで好き好んで入る者も多くはなく、今の俺にはもってこいの場所だった。
「ふふふ、これだけありゃ、しばらくなんとかなるだろ」
俺は肩に担いでいた袋を地面に下ろすとその口を覗き込んだ。その袋の中には、金貨に銀貨、宝石のちりばめられたネックレスや装飾の施された腕輪など、煌びやかな宝の山が溢れている。
そう、俺は魔王城の宝を持ち逃げし、この森の中まで逃げてきたのだ。
なるべく派手に戦うように言ったから、城を攻めてきたドラゴンたちもそっちに気を取られてるはずだ。ほとぼりが冷めたら戻るのもいいし、最悪、この宝があればなんとかなる。
「城の方は、まあアイツらに任せときゃ大丈夫だろ。最悪、生首もいるし、そこまで酷いことにはならんはずだ。そんなことより今はコイツらだよ。おほ~、綺麗な金ピカだなオイ?王冠被ったりして王様気分ってか?いや、俺王様だったわ、なんつって……ん?なんだこれ?」
それは、宝石がちりばめられた金の鞘に収められたナイフだった。柄も金で出来ていて、何やら細かい装飾が施されている。引き寄せられるように右手を伸ばし、気付けば俺はそのナイフを抜いていた。
ナイフの刃は鏡のように澄んでおり、覗き込むこちらの顔がそのまま写り込むほどだった。刃の厚さは人差し指の先ほどで、手にずっしりと掛かる重さは装飾品だけのものではないだろう。観賞用としてだけではなく、武器としても頼りになる。
「なかなか良いナイフだな。さて、いくらで売れるか……」
――血をよこせ
「なんだ?」
頭の中に何か声が聞こえてきた。
辺りを見回してみるが、自分の他には誰もいない。
――血だ、血をよこせ
「誰だ!?どこにいる!?」
その呼びかけには誰も答えない。どこかに隠れているのではないかと、ナイフの先で茂みを突いてみたりしたが、やはり周りには誰もいない。
「気持ち悪ぃな。ったく」
気を取り直し、宝の物色を続けるためにナイフを鞘にしまって袋に戻そうとした時だった。
「ん?なんだこれ?」
ナイフを手から放そうとしてもなぜか手が開かない。力を入れようとしているのだが、なぜかそれが上手く右手に伝わらない。それどころか、放そうとすればするほど、ますますナイフを握る手に力がこもってしまう。
「どうなってんだよこれ!?」
手を振り回して放り出そうとするが、ナイフはビクともしない。まるで見えない糸で括り付けられてしまっているかのようだ。
「くっそ!手から離れなきゃ売れねぇじゃねぇか!」
「何をしている?」
「――ッ!」
背後から聞こえる声、さきほどまで周りには誰もいなかったはず。いつの間に自分に近づいた?そして、近づいてきた声は果たして俺の味方なのか?
もし敵であったなら?一瞬で血の気が引いた。
「お前がゲド・フリーゲスだな?」
ゆっくりと振り返ると、赤髪の女が立っていた。年は二十歳かそこら、髪と対照的な青い瞳が印象的だ。エルピナと同じように肩まで髪を伸ばしているが、こちらはざっくばらんに切りそろえられ、エルピナとはまた違う印象を与えられる。
そして、頭から伸びた二本の角、間違いない、コイツは竜人だ。
「ゲド・フリーゲス?誰それ?人違いじゃね?」
なんとしても白を切る。もし正体がバレたら何をされるか分からん。
「誤魔化しても無駄だ。お前の顔は魔王様の後継として決まった時に魔界中に流布された」
くそっ、余計なことを。
「お前に直接の恨みは無いが……ここで死んでもらう」
竜人が腰の剣を抜き、切っ先をこちらへと向ける。
「わぁぁぁぁ!待て待て!話を聞け!」
「なんだ?命乞いなら聞かん」
相手は明らかに好戦的、だが、言葉が通じるだけマシか。
「安心しろ、死体は持ち帰って生き返らせられないように灰にしてやる」
全然安心できないんだが?
「待て!ここにうちの城から持ち出した宝がある。それをちょっとやるから」
「いらん」
「ちっ、じゃあ、あれだ!俺が魔王として世界征服をしたら世界の半分をやる!」
「いらん」
くっそぉぉぉぉ!この女には欲望がないのか!?
「じゃあ何が欲しい!?」
「お前の命」
「ダァァァァァ!だから!それ以外だっつってんだろうが!」
まったく、なんて強情な女だ。
「仕方ない。お前を俺の側近にしてやる。それで手を打とう」
「世界の半分より規模が小さくなっているが?」
「細かいことは良いんだよ。う~ん……それじゃあ、お前美人だから俺の愛人でも良いぞ」
正直こんな言葉で靡(なび)く気はしないが、ダメで元々だ。
「び、美人……」
「お?」
なんだ?さっきまでと少し様子が違うぞ?
「み、見え透いた嘘を言うな!」
「いや、嘘じゃねぇよ。顔は整ってるし、それに……うは」
視線を落とした先、その竜人の首から下は鎧なのだが、体に対して明らかに覆っている面積が小さい。肩や膝などきちんと守っている個所もあるのだが、へそは出ているし、胸も少し開き過ぎているように見える。う~ん、けしからん。とてもけしからん!
「――ッ!お、お前!何を見ている!」
俺の視線に気付いて慌てて両手で体を隠すようにしているのだが、もちろんそんなもので覆いきれるわけがない。
「なんだ?結構可愛い反応するな、お前」
「かっかわ――」
ついに竜人は顔を真っ赤にしてしまい、体を隠すのも忘れて両手で顔を覆ってしまった。
何だか分からないが、このままいけば隙を突いて逃げだせるのではないだろうか。
「とにかく、俺はここで死ぬわけにはいかん。悪いが見逃してくれや。じゃあな!」
逃げるなら今しかない。
俺は荷物を抱えて踵を返して走り出した。
「まっ待て!」
「待てと言われて待つバカがどこにいる!俺はこのまま逃げて――あれ?」
一瞬、風が顔の横を吹き抜けた気がした。そして――
「逃がさない」
いつの間にか竜人が目の前に立ちふさがっている。
今の一瞬で追い抜かれたってのか!?
「くそ」
「ふふふ、私から逃げられると思うな」
「あ!空飛ぶ生首!」
「え!?どこ!?」
竜人の気が逸れた瞬間再び走り出す。が、やはり回り込まれてしまう。
「ちっ」
「お、お前!私をバカにしているのか!?」
「いや、普通あんなのに引っかからねぇよ」
今時子供でもそんなものに引っかからない。
この竜人、褒め言葉に顔を赤くしたり、簡単に騙されたりと、案外素直なのかもしれない。
「どうしたもんか……ん?」
突然辺りが暗くなった。
急に夜になったのか?いや、まだそんな時間じゃないはず。見上げればまだ太陽が――
「うぉぉぉぉぉぉ!?」
頭上を巨大な何かが通り過ぎていく。そして、その何かは背後に音を立てて落下、いや、着陸してきた。
振り返り、その姿に俺は仰天した。
太陽の光を鈍く反射する全身を覆った魚のような鱗、それぞれが体一つ分はあろうかという大きさの対になった翼、頭の横から生えた二つの角、そして、何ものも噛み砕いてしまいそうな鋭利な牙、話でしか聞いたことがなかったが、その姿を見て一瞬で理解した。今、目の前にいる巨大な生物がドラゴンだ。
だが、衝撃はそれだけでは終わらなかった。唖然とする俺の目の前で、ドラゴンはこちらを一目見ると、体を薄い光に包み込み、見る見るうちにその姿を小さくしていったのだ。
そして、その姿はやがて、巨大なドラゴンから一人の女の姿に変わった。
「でけぇ」
身長は俺の頭二つ分ほど高く、顔には何かの入れ墨が入っていた。髪を荒縄のように縛り上げて後ろに垂らしている。
その眼光はとても鋭く、一睨みされれば大の男でもすくんでしまうだろう。鎧は先ほど俺が会った竜人と同じように面積が少ないのだが、見える体は鍛え上げられ、腹筋は六つに割れていた。
間違いない、コイツが四天王のひとり、メルディアだ。
「ゲド・フリーゲスだな」
「あ、あぁ」
女にしては低い声が俺の名を口にした。
この相手におそらく説得は通じない。逃げる素振りを見せたら後ろから容赦なくやられる。
「やはり。メルディア様、こやつがゲド・フリーゲスのようです。どうしますか?」
「え?なに?」
なぜか目の前の大柄な竜人は俺の背後に声をかけた。
メルディア様って、お前がそのメルディアじゃないのか?
ゆっくりと視線を後ろへ送れば、そこにいるのはあのちょろい竜人だけだ。
「うん、とりあえず、ここで倒すぞ」
指示を出していたのは、先ほどのちょろい竜人だ。
はて?なぜコイツがそんな指示を?
「ちょ、ちょっと待て、アンタ、メルディアじゃないのか?」
俺は恐る恐る筋肉竜人に尋ねてみた。
「何を恐れ多いことを。メルディア様は貴様の後ろに居られる方だ。私などメルディア様の足元にも及ばん」
「嘘だぁ!四天王がこんな美人の姉ちゃんなわけあるか!」
「ま、またしてもそんな甘言を!」
メルディア――らしい竜人――はまた顔を赤らめてしまう。そんな姿を見ていると、ますます四天王というのが信じられないのだが。
「それに四天王にしてはちょろ過ぎんだろ!?さっき空飛ぶ生首で騙せたぞ!?」
「う、うるさい!と、とにかく!お前にはここで死んでもらうぞ!ゲド・フリーゲス!」
再びメルディアが剣を構えた。あまりにちょろ過ぎるので信じられないが、これでも一応四天王らしい。やられればただでは済むまい。
「ま、待てって!」
「もう貴様の口車には乗らん!」
メルディアの体が薄い光で包まれ、その姿がたちまちドラゴンへと代わっていく。
筋肉竜人は黒いドラゴンだったが、メルディアが姿を変えたドラゴンはまるで炎を身にまとったかのような真っ赤なドラゴンだった。
ちなみに、剣は足元に放ってある。
『さぁ、覚悟しろゲド・フリーゲス』
「いや、構えたんだから剣使えよ」
『こ、細かいことは気にするな!』
う~ん、万事休す。このままこのドラゴンたちにやられてしまうのか。
俺はどうやってこの窮地――いささか緊張感に欠けるが――を乗り切るべきか頭をフル稼働させた。
前方には馬鹿デカいドラゴン、後方には馬鹿デカいマッチョ。前門の竜、後門の筋肉とはまさにこのことだ。
それにしても、主のピンチにラグエル達は何をしてんだ。全く使えない奴らだ。
『せめてもの情けだ。一撃で終わらせてやる』
メルディアが口を開ける。その向こう、喉の奥から何か一層赤いものが見えた。それは段々とこちらに姿を現し、口の半分くらいのところでやっとそれの正体が分かった。
それは、俺を焼き尽くさんとする炎だ!
「ちょ!ヤバい!」
『骨ごと丸焼きにしてやる』
見た所相当な温度のように見える。丸焼きどころか、骨も残らないんじゃなかろうか?
「く、くそっ!本来の俺の実力が出せれば!」
どうせ死ぬ直前だ。出まかせでも何でも言ってやれ!
俺は目をつぶり死を覚悟した。丸焦げになったら相当苦しいんだろうか、くそぅ、儚い人生だったな。こんなことならもう少し我儘に生きておけばよかった!
そう、とりあえず好きなものを毎日食って、夜は全力で夜更かしして、好きなだけ寝て、そんな生活を毎日繰り返しておけば。それだけじゃない、綺麗な姉ちゃん侍らして、好き放題やりたかった!そういや、まだシスター侍らせてない!
う~ん、それから、それから……てか、まだかよ?
なぜか炎はいつまでも俺の体を包み込むことはなかった。
恐る恐る目を開けてみると、炎を吐き出す直前だったメルディアは口を閉じ、こちらをじっと見ている。
『今、何と言った?』
「あ?ヤバい?」
『違う、その後』
「綺麗な姉ちゃん侍らして?」
『違う!なんだそれは!?』
「あ!本来の実力が出せれば?」
『それだ!お前、この期に及んで本気を出していないのか?』
「あ?あ~……うん、そうだ!俺はまだ本気じゃない!」
もちろん隠している実力など皆無だし、今まで生きてきた中で本気などほとんど出したことが無いが、なぜか相手がそれを気にしている以上、白を切り通すしかない。
「あ~おしかったなぁ!今日はちょっと無理だったけど、明日だったら俺の本気見せられたのに」
『それは本当か?』
「あぁ、大マジだ」
メルディアが何か思案するように口を閉じ、首をかしげた。
しめた!あと一息!上手くすればとりあえず寿命を延ばせるかも。
『よし、決めた。お前をここで殺すのは止めだ』
よしキタァ!あとは隙を見て逃げ出せば。
『お前を我らのアジトに連れて行く。そして、明日、改めてお前の力を見せてもらおう』
「よしよしそれじゃあお前らのアジトに……え?何!?アジト!?俺が行くの!?」
『そうと決まればさっそく戻ろう』
「待て!俺はまだ行くとは!あ!オイ!咥えるな!」
俺を無視し、メルディアは服を咥え、そのまま上空へと飛び上がった。
本気で俺を連れ去る気だ!くそっ、こんなことなら一週間後に本気出すとか言っておけばよかった!
「くそ!放せ!あ!やっぱダメ!放すな!」
あっという間にかなりの高さまで飛び上がったメルディアに、俺は成す術なく咥えられるしかなかった。 しかし、不幸はここで終わらない。
「あああああああ!ちょ!待て!俺の宝!」
咥えられながらもしっかりと掴んでいた宝の入った袋の口が風で煽られた為に開き、そのまま次々に中身を吐き出したのだ。
「くそぉぉぉぉぉ!降ろせ!降ろせえぇぇぇぇぇぇ!俺の宝ァァァァァ!」
俺の声は遥か彼方の山にまでこだました。
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