第10話 きつね憑き

 N市のとある整形外科。

 午前八時を過ぎたころから患者がぞくそくと来院、十分もしないうちに待合室が年老いた人や若者でこみあう。


 どこかが痛むのだろう。だれもかれも笑いもしない。

 わたしは席をゆずりにゆずり、ついに立ち上がり、最寄りの壁に体をあずけた。

 とたんにずきんと腰のあたりが痛んで、思わず顔がゆがんだ。


 「こんにちは」

 ふいに声をかけられ、相手を確かめもせず、愛想笑いをうかべた。

 「はあ?どなたでしたっけ」


 「ぼくです。かつみです」

 「かつみ、さん?いんきょの……」

 「そうです」

 ずいぶんとやせたねと言いそうになり、わたしはごくりと言葉をのみこんだ。


 ひょろりとした身体。強い風が吹けば、容易に倒れてしまいそうだ。戸惑っているわたしを一瞥するなり、彼はにやっと口のはしで笑った。

 散らかり放題の靴や雪駄の間をよろけながら歩き、受付の箱に、診察券を入れ終わると、彼は上がり框にしゃがんだ。


 脱ぎ散らかした雪駄や靴をきちんとならべ終えると、ずぼんのポケットから布の袋を取り出し、自分の履物をしまいこんだ。

 「こんこん、こん」

 とつぜん出始めた咳をとめようとする彼のひたいに、あぶら汗がにじむ。


 戸外は、枯れ葉まじりの風が吹いていた。

 「こ、こちら、いいですか、こんこん」 

 「ああ、うん、いいよ、もちろん」


 いつの間にか、ほとんどの患者がリハビリのためのトレーニング室に入ってしまっていた。

 待合室には、わたしと彼だけ。ふたりしてならんだ。

 燃えさかるストーブの火を、ようやく、意識することができた。


 彼が苦し紛れに大きく口をひらいた彼の喉の奥で、ひゅうひゅう音がした。あやうくせき込みそうになるのを、彼は両手で口をおさえてこらえる。

 頭をやや後ろにそらし、紅い顔をしながら、なんとかせきこむのをはばもうとしたが、すべては徒労に終わってしまう。


 「こんこんこん……。すみません、Kさんっ。ほんま、うちのかわっぺりの竹やぶのこんこんさんみたいでっしゃろ?」

 「いいや、それはない。せきしていいよ」


 彼は返事の代わりにこうべを一度だけ振った。

 「すみません、すみません」

 「いやいや。好き好んでせきこむわけじゃない。堂々としていろ」


 わたしはそういい、彼の背中をやさしくなでさすった。

 やせ衰え、骨の浮いた背中のごつごつした手触りに、わたしはあやうく涙をこぼしそうになった。

 

  

 

 

 

 

 

 



  

 

 

 

 

 


 

 

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