第9話 異星人

 左手に黒のハンドバッグを持ち、階段をか

け下りてきた礼服姿の中年の女性。

 プラットホームに足をつけたとたん、急に

動きをとめた。

 視線を前に向けたまま、しばらく歩きだせ

ないでいる。

 (急ぎの法事が待っているのに、ああなんて

ことよ)

 彼女はそう思い、プラットホームの天井を

見つめた。

 心臓の鼓動が高まり、ついには顔が紅潮し

てくる。

 列車の最後尾のハコに彼女は乗っていた。

 あの列車から降りたのは、自分がいちばん

最後だと思っていたがもうひとりいたらしい。

 彼女の背後で階段を降りてくる人の靴音が

した。

 心の動揺を、その人に知られてはまずいと

思うのか、彼女は居ずまいを正した。

 右手のこぶしを口の前にもっていき、こほ

んとひとつ、せきばらいをした。

 前方には行けそうもないが、わきならだい

じょうぶ。

 左の方によろけるように歩いて行き、女子

トイレに身をひそめた。

 ほかの人が、あのあられもないかっこうを

した若者たちに、どんな反応を示すのか、大

いに興味がわいた。

 革靴の音、高く、階段を下りて来たのは、紺

のスーツを身に付けた若い男性。

 前方に展開する、外国映画のラブシーンも

どきの若者の行動に、べつだん驚かない。

 ちらと見ただけで、彼らのわきをまっすぐ

通りぬけて行った。

 階段を降りてくる人が、もうひとり。

 古武士ぜんとした年輩の神士。

 ちょっとやそっとで、ものごとに動じない

ように見える。

 紳士は、彼らのもとに、つかつかとあゆみ

よると、しげしげと彼らの行動を観察した。

 だが、若者ふたりは、少しもあわてない。

 自分たちの世界を楽しんでいる。

 「おっさんよう、そんなにおれたちにきょ

うみあんかよう」

 男の若者が、ふいに、女の唇に吸いついて

いた彼の唇をはなし、すっとんきょうな声を

だした。

 年配の紳士はにやりと笑い、だんごのよう

な鼻の下にたくわえたひげを、右手の指でし

ごいた。

 「おまえたちは、じつにふらちなまねをし

ておる。それがわからないか。その行為をや

めて、どこかに立ち去るまで、わしはうごか

ぬぞ」

 と低いが、おごそかな声で言った。

 「よおし、それならいいんだな。どうなっ

ても、おれは知らんぞ」

 若者はそう言うと、その年配の紳士につか

みかかった。

 いつの間に、爪が変形したのだろう。

 長くて鋭い刃で、紳士の身体を、ギリギリ

ときざんでは、小片になった彼の身体を、ワ

二に似た口に放りこんでいく。

 そのたびに、紳士の絶叫が、プラットホー

ムにひびいた。

 きれいに掃除されていたホームは、たちま

ち、赤く染まった。

 トイレのものかげで身をひそめていた中年

の婦人。

 あまりの恐ろしさに声も出せず、かっと目

を見ひらいたままだ。

 タイル張りの壁に寄りかかり、自らの失禁

に気づきもしない。


 

 

 

 

 

 

   

 

 

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る