第3話 エレベーター

 S市にある高層タワーの展望台。

 評判を聞いて、田舎から出て来た木下三郎はあまりの高さに驚いた。

 「このぶんじゃ、ここから故郷の山々が見えるかもしれんて。ちょうど

紅葉が見ごろを迎えているしな」

 彼は遠くを見る目つきになった。

 連れはいない。

 この街に嫁に来た三女がいるが、昼間は仕事があって忙しかった。

 迷子になるのを覚悟で、彼は見物に来たのである。

 平日にもかかわらず、大勢の観光客でにぎわっていた。

 幼稚園の年長さんくらいの男の子がひとりで双眼鏡をのぞいている。

 「どうした、坊や。ひとりかい。ここはずいぶん高いから、さぞ遠くま

で見えるじゃろ。目がまわらんか」

 知らない人と話してはいけないらしい。

 三郎が問いかけたが、すぐには返事が来ない。

 小さいとはいえ都会の子だ、そんな子に俺はまるで当たり前のことを言

ってしまった、なんてまぬけなんだと、彼は後悔した。

 そんな彼の気持ちがわかったのだろう。

 男の子はレンズから目を離すと、三郎の顔を見て、うふふっと笑った。

 三郎は恥ずかしさで顔が熱くなったのに気づき、自分に嫌悪の感情をい

だいてしまった。

 くそっ、愛想のない子どもだと思ったが、世の中がわるいのだ。

 彼は気持ちを切りかえようと、歩きはじめた。

 なるべく下界を見ないようにする。

 足が地面に着いてないといやなのだ。

 高所恐怖症の気があり、なにかふわふわして、まるで魂が身体からぬけ

だしてしまいそうである。

 他人が自分を見ていないのを確かめると、彼は鼻と口を右手でおさえた。

 人間の背丈よりあまりに高い建造物は造るべきではないと、彼は昔から

考えていた。

 建物におどかされる感じがいやだったのである。

 数百メートルの塔など、神をおそれぬ仕業だと思う。

 くわばら、くわばら。

 彼は故郷にいるうち孫のために、おすすめのみやげものをひとつ買うと、

早々とエレベーターに向かった。

 扉がひらいて、箱に乗りこんだ。

 箱の中は三郎をいれて、男が三人、女がふたりである。

 空いていて良かったと、三郎は思った。

 エレベーターが下がりはじめ、次第にスピードが増して行く。

 脳天に血がすべて集まるように思えて、気分がわるい。

 このまま停まらなかったらと思うと、ぞっとしてしまう。

 あと少しで地上に着くというところで、彼は何が何だかわからなくなっ

てしまった。

 突然、ふわりとやわらかな場所に降りた気がした。

 そっと眼をあけると、野原が見える。

 花々が咲き乱れている。

 自分の思いとはうらはらに、彼は花を摘みはじめた。

 いったい、俺は何をしているんだ、こんなふわふわしたところで。

 三郎は体重が八十キロある。

 乗っかっているのが雲だとしたら、今にも落ちてしまいそうだった。

 あたりを見まわすと、人がいた。

 誰もかれも見覚えがある。

 いっしょに箱の中にいた人たちだ。

 みんなも花を摘んでいた。

 一番近くにいる男に、三郎は、

 「おい、あんた、だいじょうぶか」

 と声をかけた。

 その男は、左手を、自分の耳もとに持って行き、首をかしげた。

 聞こえないらしい。

 三郎の不安がますますつのる。

 彼はその男の目をじっと見つめ、あんたは誰だい、いったいここで

何をしてるんだいと、心の中で問いかけてみた。

 男はにやりとし、何度もかぶりを振った。

 三郎の質問の意味は、どうにかわかったらしい。

 ふいに足もとが揺れはじめ、あちこちに裂け目ができていく。

 人がつぎつぎに、そこから落ちて行った。

 三郎も、例外ではない。

 背の低い木の根っこにつかまったが、あえなく落ちてしまった。

 プシューッ。

 大きな音で、三郎は目をあけた。

 エレベーターの中である。

 全員が折りかさなって倒れている。

 三郎は自分が一番下になっているのに気づいたとたん、息苦しさを

覚えた。

 「た、たすけてくれ」

 どうにか声が出た。

 閉まっていた扉が音を立てて、開きはじめた。

 救助隊員が機械を使って扉をこじ開けている。

 ひとりひとり、助けだされていく。

 最初に助け出された女性が、

 「おおっ、まったくどうなってんだ。このエレベーターは」

 と叫んだ。

 聞きおぼえがあると思ったら、三郎自身の声だった。

 下敷きになっていた三郎が、救急隊員たちに担架にのせられた時、

 「ああ、良かった。助かってほっとしたわ」

 ほほ笑みながら、甲高い声でいった。

 救急隊員たちが驚いた表情で、顔を見合わせている。

 (了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 



  

 

 

 

  

 

 

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