第8話  一年が終わり、智絵の一年と恋の一年が始まる

高校入学から数か月が経ち、夏。

私、佐藤美香(さとう みか)は変わらぬ日々に何とも言えない嫌気を感じていた。この真っ黒に染まった、演劇の舞台に。

 舞台設定はこうだ。

クラスの女子はやたらとグループを作りたがり、そのグループを行きかう八方美人が数人、リーダー的存在が各グループに一人。

 そして、グループの中で浮いている子が一人。

女子グループは常に行動を共にし、行動を共にしない子が一人いるとその子はイジメの標的となる。 

 しかし、これには例外が存在する。

行動を共にしない人が複数人グループで居るとイジメの標的にはならないのだ。

 だが、今言った中のグループに私は属していない。

例外には常に例外が存在する。

私は、どのグループにも属さず、イジメの標的にもならない。

 その理由は、私の親が警察官であることが理由。

所詮、グループの中の彼女たちは自分より下の人間しか相手にできない、

 

弱虫なのだ・・・・・・。


虫唾が走る、本当に。

 

 でも、そんな気持ちの中、私は恋をした。

あの太陽の熱気の中で・・・・薄暗い部屋の中で・・・。


―高校二年の一学期が始まった時だった、一つの噂が飛び交った・・・・。

 始業式で校長は言った、鏡先生が家庭の事情でやめることになったと。

私は絶望でいっぱいになり、その場に立ち竦んだ。

 彼女が居なくなったら、私はまたあの真っ暗な劇場の片隅に戻ることになってしまう。 ボッチという隅へと。

 私自身がそれを選んだ。だが、ボッチというのは孤独を叩き込んでいくものなのだ。


 いつの間にか、始業式は終わっていた。

彼女はその日が終わっても姿を現すことはなかった。

 別れを告げずに彼女は消えて行ったのだ。

 「ずっと、卒業しても私のそばに居るって、言ったくせに。

バカ・・・・・大好き」

 下校途中私は一人静かに泣いた。

―次の日、

 「ねえ、聞いた?明日香先生ね、加賀さんのお姉さんを襲ったんだって。」

 「えぇ~うそ、知らなかったー。由美どうしてそんな事知っているの?」

 「春休みに呼び出されて学校に行ったら、校長室で明日香先生が自分で言っていたの。」

 「へぇ~てかさ、明日香先生って、レズビアンって事になるよね。驚きー」

 「なぁ、結構美人だったけど、ねぇwwwww」

 「なんだったら、私を襲ってくれればいいのに?」

 「何言ってんのよ、バカ」

 「ちょっとバカってヒッドッイー」

 「「アハハハハハハハッ」」

 教室に入り、自分の席に着いた私の耳に虫唾の走る笑い声が聞こえてくる。

 「うっざい、どっかいけや。教室で高笑いすんじゃねーよ。

 でも、今の話。智絵に聞いてみよう。」

 軽い毒舌を吐く。だが、毒舌を吐いても誰も何も言わない。

 智絵は、同級生の間では人気も高く、成績も上の方だ。

そんな、智絵は私の「本当」の友達。したがって、私が何を聞こうと彼女は優しい態度で対応してくれるだろう。

 「きっとね」

 美香はつぶやいて、チャイムが鳴るのを待った。


 キンコ―カーンコーン


 チャイムが鳴る。そして、授業が始まる。

十分ほど経って私の黒板への視線は揺らぎ始めた。

 「あっ、やばい。また・・・・貧血・・・・」

 瞬間私は机に突っ伏す形で倒れた。


 ―チャイムが鳴る。

授業の終了を知らせるスピーカー音は私にとって目覚まし時計となった。

 大量に掻いた汗がエアコンの空気で冷え、気持ちが悪い。 

 すべすべであったであろうベッドシーツは汗でべっとりと濡れているため起き上がるのも苦痛だ。

 起き上がった美香はベッド脇を見やった。


 「はぁー、私また倒れたのね。」


 保健室のベッドの上で嗅ぐ薬品とエアコンの埃っぽい臭いは私に貧血で倒れたことを教えてくれる。

  

 「もう、この臭いにも慣れたわね」

 美香は薄ら笑った。別に自分に不満がある訳ではないけれど、ここに来ることでクラスの張りつめたような、嫌な空気から解放されたような気がするから。


 美香は貧血で倒れることがしばしばあった。

 そう、昨年の夏も・・・・・・、

隣に居てくれた人は今この時、私のそばには居ない。


 「明日香先生いないのね、明日香の馬鹿。ずっとそばにいるって約束したのに・・・・・。」

 美香は遠くの空を見つめ、喜怒哀楽どの感情にも当てはまらない表情をした。


 美香は思い出を振り返る。思い出と一緒      に出てくるのは胸の高鳴り、悲しみの感情、切ない感情。


       ***

 美香が恋をしたのは昨年の夏、あの時は体育の授業中に倒れた。

 体育の授業を初めて受ける私は少し胸の高鳴りを感じていた。

 というのも、私は血の気が少なく、

外に出での運動を控えるようにと医者から言われていたからだ。

 

 だが、先週病院に行ってみると医者から言われた。


 「そろそろ、外に出て運動をしたほうがいいかもしれません。体の発育も落ち着いてくる時期ですから」

 

 医者はそう言った。

 そして今日。美香の通う学校では夏は安全のため、体育教師と体育教師の補佐をする教員が授業を進める事になっていた。

 理由は年々授業中に熱中症で倒れる生徒が増えたからだ。

 

一人では生徒全員に目が行き届かず、教員の負担が多い。

これが一つの原因としてPTAの間で挙げられた。


私の初体育の授業を担当するのは、

体育担当教師の辻(つじ) 梨(り)那(な)先生、

数学担当教師の鏡(かがみ) 明日香(あすか)先生だ。

 辻先生はサッパリとした態度で整った容姿からお淑やかな女生徒に人気があった。

 辻先生は既婚者で明日香先生とは草連の仲だった。

 夏が終わって数か月が経ち辻先生は産休を取った。


 一方で明日香先生は嫌われていた。

キッパリとした物言いで嫌われたのだと思う。

 加えて、美人と来た。

クラスの男は明日香先生に釘付け、

クラスの女には目もくれない。

 

 まったくアホなクラスメイトだ。

 男がクラスの女子と違い、大人な雰囲気をだす年上の異性を見ないはずないのに・・・・・・。

 これは女にも言えることだ。

  

 ・・・・・・嫉妬とは醜く恐ろしいものだと気付かされる私であった・・・・・。

 

 さて時間は戻り、授業前の休み時間。

5時限目の体育に備えクラスメイト達は更衣室へと足を運ぶ。

 私は着替え終わると先生から渡された薬を水で流し込んだ。

 薬には鉄分などの栄養素が入っていると袋に入っていた紙には記されていた。

 実際にはもっと詳細に書いてあったが覚えていない。外国語のように発音しにくい上に専門用語のように難しい説明が入っているのだ。とてもではないが覚えられたものじゃない。


 薬を飲み終わり体育館へと向かう。

 体育委員が言っていたのだが、

今日の授業内容はバスケだそうだ。

 もちろん私はバスケなどしたこともない。

バスケがどういうものなのかはテレビで見たことがあるので知っているが、

やりたいと思ったこともない。

 運動をやりたいと思ったこともないのだ。

 だから私は小さい。

 別に運動だけが理由ではないけれど、

私の身長は148㎝と少し小さい。

 

 ―チャイムが鳴る。

さて、授業の始まりだ。

 

 「各自ペアになって準備運動を始めるように」


 辻先生の掛け声とともに女子たちは準備運動を開始する。

  

 「智絵ちゃん一緒にやろう」


 「何言っているの、七瀬はこの前やったでしょ」


 「してないよ」

 智絵の相手をしようと二人の女子がもめている。

 智絵の周りには誰かが何時もいる。

 何時も人が変わるから誰かは特定できないけれど。

 智絵は三組、私は四組ちょうど同じ時間に受ける。


 四組の女子は私を含めて十二人、三組が十三人。

 ちょうどペアを組んだら一人余る計算だ。

こういう時、私は唯一の友達である智絵とペアを組むのだろう。

 しかし、あの二人がいるのなら無理だ。

だって、智絵は優しいからあの二人の頼みごとを無下に断ったりしないだろう。

 「そんなところに私まで加わっては智絵の迷惑になる。」


 一人ペアが決まらず困りあぐねていると

明日香先生が話しかけてきた。


 「余ったのは佐藤か。

佳し、ペアを組もう。」


 小学生に話かけるように話してくる。

 私は子ども扱いされているのが嫌だったが、このままではお叱りを受けてしまうと思い、いった。


 「はい、ありがとうございます。」


 準備運動が終わり、ペアでのパス練習が始まった。


 「三分やったら次はゲームするぞ」


 辻先生がいう。

 

 しかし、私の耳には届かなかった。


 ボールの跳ねる音が飛び交う室内で大量の汗をかき異常といえるほどの呼吸の乱れ、私は意識が遠のいているのを感じた。

 

 「おい、佐藤大丈夫か? 」

 

 明日香先生もそんな私を見て声を掛けながらボールを投げた。

 私はそれを受け取る。

 胸の前で構えて明日香先生に言葉を紡いで返した。

 

 「はい、大丈夫です。久しぶりの運動なので少し疲れました。」


 無理をして微笑む。

 息切れが激しく喋るのもしんどい。

 でも、せっかくの初体験を終わらせたくないと思いもした。


 「休憩するか?」


 明日香先生は厳しい表情で問いかけてくる。


 しばらく考えて、これ以上の無理は禁物だと判断した。


 「休憩させてもらっていいですか? 」

 

 明日香先生は表情を緩ませて微笑む。


 「ああ、お前は無理しちゃいけない。」


 「はい」


 私は返事をし、ボールを抱えて明日香先生のほうへ足を生み出した。


 「おいっ、」


 踏み出した足には力がはいらない。

私は倒れた。

 

 そのあとに覚えているのは明日香先生の腕に抱えられ運ばれていること、ふくよかな胸が私を包み込んだ感触。リズミカルな足音が子守歌のように聞こえたことだ。


 次に目覚めるのは、

薬品の臭いとエアコンの埃っぽい空気の漂う部屋あの白い部屋だ。


 ―目覚めた。


 「おっ、起きたか」


 突然の声に私は驚く。

目に映る景色は皆横になっている。

 その景色で私は寝ているのだと感じた。

空はもうオレンジ色に染まっている。

 私はいつの間にか進んだ時間にパニックになった。

 

 「ここ何処、えっ? 」


 「なにを言っている。学校の保健室だ。

佐藤、体育の授業中に脱水症状で倒れたんだよ。」

 

 明日香先生は「ほら水」とペットボトルを差し出してくる。

私はそれを受取ろうとするが右手首に痛みが走り、受け取ることが出来なかった。

 明日香先生は落ちたペットボトルを拾い、

憎たらしく言って見せる。


 「何やっているんだよ、口開けて。ほらっ」


 躊躇する私を急かす明日香先生はどこか楽しそうで私はつられて微笑んだ。

 明日香先生の笑顔は無邪気でまるで子供のようだ、凛々しさと相まって可愛い。


 人に飲ませてもらうことに躊躇していた私の心は明日香先生の笑みに負けた、敗北だ。

 口をあけた。明日香先生はペットボトルの口を開け、私の口に流し込んだ。


 「ありがとうございます。」


 水を飲み終わり、礼を述べた。

 

 「いいよ、別に」


 「そういえば明日香先生、何時からいたんですか?」


 質問を美香は投げかける。


 明日香先生は壁にたてかけた時計を見る。

「五時ぐらいかな。」


「そうですか、何でまた?」


 (現在六時半、わざわざ起きるまで居なくていいのに馬鹿みたい。先生だったら先生らしく体育員にでも頼めばいいのにホント馬鹿みたい。)


「バカいえ、今日の佐藤のパートナーは私だったんだ。責任がある。」


 誇らしそうなその笑みは私の心を奪った。

夕日に揺れる渚のように彼女は美しかった。

どこか儚げなのにしっかりとした感情、意思そのどれもが美しく感じた。


 ***

 美香は噂の正否を確かめるため友人である智絵の家へと足を運んでいた。

―午後四時三十分、学校。

「智絵」

 明るい声で智絵を呼ぶ美香がいた。

美香の声は明るいが表情は硬かった。

いつも硬い表情の美香だが、今日はより硬い。

 智絵には美香の少しの変化が分かった。

声は明るいが身の奥に誰かへの怒りを感じられたから・・・・・・。

 だから美香への返答に躊躇(ちゅうちょ)する。

「な、何? 美香。そんなに怖い顔して」

 智絵の言葉の意味が分からなくて、

美香は問い返す。

 浅はかな笑みをその無垢な顔に浮かべながら。

「怖いって、何が? いくら友人でもそれはひどいよ。と・も・え。」

「いえ何でもないわ、どうしたの? 」

 智絵は薄く口角に笑みを作った。

美香の笑みに恐怖を感じたから。

 この子は今何を考えているのだろうか。

いつもミステリアスな雰囲気を醸し出している美香ではあるが、今日だけは分からない。たとえ、成績優秀で美香の友人である智絵にも、分からない。

「実はね。明日香先生について智絵のお姉さん、唯さんに聞いてみたいの。噂の正否を確かめるために」

 美香は俯き加減に言った。

その様子は第三者の目から見れば怖く映っただろう否、泣いているようにも映ったかもしれない。

 智絵からは明日香という名前から逃げ出したい気分だった。

 唯を美香に合わせたくないと強く思った。

 彼女は明日香のことが好きだと智絵は知っているから、合わせたくなかった。

 だが、彼女は絶対に引き下がらないだろう。いくら智絵が言い訳並べて今日を過ぎたとしても、次の日はたまた次の日。

美香は自分の大事な物、人のことになると引き下がることはない。

 だから智絵はいう。

「分かったわ。じゃあ今日の放課後家に来て、唯も家に居るだろうから」

 美香は顔いっぱいに笑う。

「ありがとう。ねえ、「お姉ちゃん」じゃなくて「唯」なんだね」

 智絵は耳を赤くした。まったく、この子は無駄に賢すぎる。

「うっ、うるさい。ほっ、ほっといて」

「珍しく噛んだね」

「ふっん」

―そんなこんなで放課後

「智絵」

 今度は緊張気味の声が智絵を呼ぶ。

白く広々とした家の中で智絵は美香の声を聴いた。

 インターホ越しに見る美香は小さく、可愛らしかった。美香の身長は智絵より十センチも低く、唯よりも五センチも低い。

 おまけに壁に取り付けられたカメラは美香より五センチ高い場所にある、それゆえ

智絵から見たら十分に小さく映るだろう。

「いらっしゃい、入って玄関は空いているから」

「わかった」

 美香は智絵に言われて門を抜け、玄関へと向かう。

 智絵も考えて欲しいが、一般家庭の娘がこの家に入れと言われて、ずかずかと入って行くのは中々厳しいことだと思う。

 お金持ちとはいかなくても一段上の世界だ。

「お邪魔します」

 玄関に触れることに躊躇しながらドアノブを引く。

 智絵は玄関で迎えてくれた。唯さんも

「「いらっしゃい」」

 智絵は白いワンピースにパーカー姿で、

唯はジーンズにシャツ、パーカーだった。

 そして、部活が終わって加賀宅へ来た私は制服にサックスバッグという姿だった。

「初めまして、唯です」

 唯さんが手を差し伸べてくる。

美香は手を拭い握手した。

「初めまして、佐藤美香です」

 加賀宅へ来るのはこれで二回目、前に来たときには唯さんは病院で眠っていたので会ったことは無かった

 初めて会う人にこれから傷つくようなことをいうのだと思うと気が引けるが早速聞いてみよう時間もない。

「あの、今日は時間もないので早速お伺いしたいのですが・・・・・・」

 ―ピンポーン

ふいにインターホンが鳴った。

 智絵はすぐにリビングへと確認に向かう。

「はい」

「智絵、私だ。話したいことがあって来た。」

インターホンでの会話は美香には聞こえない。

「帰ってください。」

 智絵が声を張り上げる。

悲憤慷慨とした声に美香は驚き、誰だろうと思った。あの智絵が起こるほどの人とは誰だろう。

「入ってください」

 智絵が玄関へと戻ってくる、険しい感情を浮かべながら。

「美香、ごめんなさい話は出来なさそう。唯、何があってもここにいて」

 玄関口が開く。

 現れたのは明日香先生だった。

美香は嬉しくて、悲しくて感情が入り乱れ心が麻痺しそうになるのを堪えた。

「明日香先生、どうして、どうして」

 美香は感情が沸き上がるのを我慢できず声を荒げようとした。

「佐藤悪いが少し黙っていてくれ」

 美香は厳しい教師の声に声を詰まらせた。

明日香は美香を一瞥して加賀姉妹へと視線を向けた。

「唯、加賀。急に来て悪かった。お前に

謝ってから行きたくて、申し訳なかった。」

 明日香は頭を深く下げた。

 智絵が明日香を鋭く睨みいう。

だが、唯が制止する。

「なんで、あんなことしたんだ。短い間だったけど貴女が理由なしにそんなことするとは思えない。理由を教えてくれないと貴女を許すことはできない。」

 唯は眉に皺を寄せる。

 美香は何のことを言っているのかと考えた。状況を理解するのに美香は時間を取らなかった。学年一位二位を争う美香だ。時間を取ることは無いだろう。

「唯の側にいることが、智絵の側にいることが辛かった。」

 明日香が語りだす。涙をこらえ、嗚咽を堪えて。

「十年前の事故でトラックを運転していたのは私の義理の弟だ。」

 明日香は言った。美香は智絵から聞いていた話を思い出す。

 トラック事故のせいで唯さんが十年間、昏睡状態に陥った。

 トラック事故のせいで智絵と唯の時間が失われたこと。

 智絵が明日香先生のもとへ歩む。


「今のこと本当? ねぇ。」


 恐ろしい顔だ。智絵は正気を失い怒り狂っているようであった。

 こんな智絵を見るのは初めてだった。

美香は明日香先生に危険を感じ、明日香先生のもとに手を伸ばしたが、美香が明日香先生に触れる前に唯が智絵の肩に触れた。

「離して唯、こいつのせいで唯は」

 智絵は力を籠め囁く。

「落ち着いて、事故の人は関係ない。今はなぜ、明日香があんなことをしたのか、その事実が大事だ。」

 そういって唯は明日香の目を見つめる。

智絵は険しく明日香を睨みながら動きを止める。

「二人に、何も知らない二人に優しくされるのが辛かった。でも、二人が好きで離れたくなかった。だから、いっそのこと嫌われてしまえばって」

 明日香先生はそう言って加賀宅を出て行った。

 唯は明日香の後姿を見送り、智絵は唯のもとへと泣き崩れた。

 美香はそんな二人を見て、明日香の後を追った。

「唯さん私の話は終わりました。智絵のこと頼みます」

 数秒遅れて加賀宅を出た美香は明日香を追って走った。

 そうしないと歩くのが早い明日香先生には間に合わないから、走った。

「明日香先生、待って」

 声を整えながら叫ぶ。

 数秒しか経っていないのに明日香はかなりの距離を歩いていた。

「どうした・・・・・佐藤」

「なんで、黙って行くのですか」

 整った息を吐きながら美香は必死に訴えかける。

「どうしてって、お前に何か言う義務があるのか? 恋人でもないのに」

 その言葉に涙があふれた。

「どうして、そんなこと言うんですか。

あの時、ずっと一緒だって言ってくれたじゃないですか。」

「何も言った覚えはない。」

 美香の涙ぐんだ言葉に冷淡な言葉が帰る。

「好き、好きなんです。だから、黙ってなんていかないでください。」

 突然の生徒からの告白に明日香の冷淡な表情、口元は緩む。

「さっ、さっきの話を聞いていなかったのか? 私は・・・・・・最低な人間だ。」

 明日香は薄く笑うが、明日香の声は鳴き声を上げ始めていた。

「ちゃんと聞いていました。でも、先生と義理の弟さんは別の人物です。」

 美香は涙を流さんとしている明日香に歩み寄り、頬に優しく手を添えた。

「しかし、私は自分の感情に任せて二人を・・・・・傷つけた。」

「二人を思ってのことです。先生の優しさがあっての行動だったのだと思います。」

 美香は明日香に向け愛しい人への微笑みを向ける。

「ありがとう、美香」

「はい」

 明日香も美香への微笑みを浮かべた。

(そんな顔しないでくれ)

 私は唯のことは好きではなかった。自分が認めたくない現実から目をそらして、救いを求めただけなのだ。十六歳の私が恋した《あの人》凛に似た唯に救いを求めただけ、そして結果的に傷つけたのだ。

 別に性格や顔が似ていたわけではない。十六歳の凛が希望に溢れていたように唯も希望に溢れていた。そういう一面があの人の面影を重ねたのかもしれない。

 私と凛の関係は大学四年の時に終止符を打った。事故のせいだった。凛は救えなかったことを公開して、犯人の肉親である私に辛くあたった。

 私は身内が仕出かしたことを認めたくなくて、逃げた。逃げて、逃げて、にげて・・・・逃げて、逃げまくった。

 そして戻った時には凛は結婚していた。

 だから今度は伝えるそして、私は目先にいるこの初心な子を傷つけないように逃げる。

「私も好きだ、佐藤のこと」

 美香は不意打ちを受け、頬を上気させる。

耳まで赤い。美香は照れながら言葉を紡いだ。

「ずっと、好きで・・・愛していた、だけど。佐藤は女で、教え子で、私が叶うはずもない綺麗な存在だった。佐藤に何かあっても私は何もしてあげられない。凛の時のように離れていくだけだ。だから、スキなんて言うな。」

「美香って呼んでください。愛しています、明日香先生。」

「美香・・・・・私は美香の近くには入れない。実家へ戻る。」

 そんな別れの言葉を聞き、美香は嘘だと涙を流す。

 喜びの涙は、悲しみへと変わる。

「私もついていきます。」

 すがるような身で訴える。

「だめだ、美香は学校があるだろ。

でも、今の感情が変わらないのなら。

迎えに来る、こんな女で佳ければ迎えに来る。」

 明日香は美香をまっすぐに見据えた。

「迎えに来てください、先生。」

 美香は顔をぐちゃぐちゃにして答えた。

ああ、こんな最高の時に最悪の顔だ。

「明日香・・・・・・明日香って呼んで」

 明日香は恥ずかしがりながら言った。

「かわいい」

 いとおしく眺める。

二人の目線が合い、見つめあう。

「美香のバカ」

「口調変わっていますよ」

 美香は優しく笑う。

「いいんだ」

 明日香の唇が近づく。

「あ・す・か」

「やっと呼んだ。」

 二人の唇が黄昏の中で重なった。

別れを惜しむように、愛を誓うように・・・・・・・・。


***

数日後、明日香は行った。

 私たちがキスをした日から会うことは無かった。

 だが、たしかなことが一つ、私たちはあの日、思いあった。


 ただそれだけ・・・・・。


 数年後、私たちは再開する。

だが、また違うお話。

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