第2話   十年前

 「姉さん、それじゃあ話すわね」


 私が目覚めて、十二時間ほど経った頃、花瓶を落とした人が唐突に話し始めた。

 まあ、検査を受けた後、いろいろと話していたので、唐突に話し始めたわけではない。

 どんな話か・・・・、私が小さいころ強気で、知らないことを知るのが好きで、よくNHKを見ていた・・・・・。そんな他愛もない話だ。

 他愛もない話の中で一つ知ったことがあった。 

 花瓶を落とした人と姉の姉妹は、保育園に通っていたのだが、保育園の運動会で一つの出来事があったらしい。

 「唯は運動会で流れる地獄のオルフェが好きだったのよ。否、面白がっていた。が、正しいわ」

 何のことだか分からない。勿体つけてくるのはやめてほしいものだ。覚えているか試しているのだろうか・・・・・。

 「覚えてないな、どうして面白がった? 」

 頬を紅潮するのをごまかそうと笑う。

 そんな私にめくばせをして花瓶を落とした人は言う。

 「運動会なのに地獄って可笑しいよね。確かに暑い中、運動なんて鍋で煮られている気分だけど。・・・・でも、好きだな・・・。」

 私に似せた声で懐かしむように目をつぶり話す花瓶を落とした人は楽しそうで、こちらまで笑ってしまう。

 「それからね、クラシックを聞くようになった。もちろん私も」

 この話をした一時は、私にとって掛け替えのないものになるだろう。だって、この時の花瓶を落とした人は輝いていたし、楽しそうだったから。


 さて、話を戻す。私は花瓶を落とした人の、何の脈絡もない話の振りに一瞬何のことかわからなくなった。

 だが、すぐに目覚めてからずっと混乱している脳をフル回転させる。

 目覚めてからの会話を振り返った、数秒経って私はやっと思い出し、花瓶を落とした人に目線を戻す。

 「えっと、十年前の話・・・・だよね」

 私は喋ると同時に、苦笑いがでた。理由は私の中に存在を確認できない朧気な記憶に対して、どんな考えを向ければいいのか。どんな態度で向き合えばいいのか分からないから。

 その思想は、まるで朧月を見る少女のように、静かで波打つ鼓動が揺らいでいるようだとも思えた。

( なぜだろう、十年前事故に会う前、花瓶を落とした人と私の間になにかあったのだろうか。

 事故について簡潔な説明は受けたつもりだったが・・・・・。)


 唯は頭の中で考えることが多い。口に出せば簡単な問題に思えそうな問題も唯は一人、考える。それが、智絵が唯一今も感じる、唯の面影だった。

 「ええそうよ、姉さん。その前に姉さんと呼ぶのは慣れないから唯と呼んでもいい?」

 智絵は唯を近くに感じたかった。昔のように唯を近くに感じたかった。

 智絵たち姉妹にとって、昔から...否、血の繋がらない姉妹だと知ってから、姉、妹という呼称はお互いを遠ざけるための言葉となった。

 事故が起きたのは姉妹の間に暗黙のルールが生まれて二週間後の出来事だった。

 

「いいよ」

 とっさに返事をしたせいで何のことか今一わからなかった。

 「それじゃあ唯、十年前の話をするわ」

 戸惑いながら笑む唯はとても初々しく弱かった。

 「うん」

 少しドキリと心臓が鳴る、

 「十年前、それより一週間前、私は公園でクラスの女の子に囲まれて泣いていた・・・・」

 花瓶を落とした人が今にも泣きそうな目で私を見る。

『私、とても怖くて「唯!」と心で何度も読んだの・・・・・。すると唯が「「あんたたち私の妹になにするの」」って女子グループを突き飛ばしていって、私の前に・・・しゃがんだ。「「智絵大丈夫?」」今の唯より少し高い声でそういったわ。次に唯は女子たちに向かっていった、「「今度私の愛する妹に手だしたら許さないわよ!」」』

 花瓶を落とした人は口元を少しだけ緩めた。


(昔の知らない私よ、なんて恥ずかしいことを言っている。)

 子供とは時として大人でもできない事をする・・・・・・。

 「随分強気だったんだね」

 私は恥ずかしさのあまり顔を赤らめながら無理やり話を切った。

 花瓶を落とした人はそんな私を見ている。


 〈かわいい〉

 「なんか言った?」

 花瓶を落とした人にしか聞こえない声で囁く。それは無意識下での事であった、故に花瓶を落とした人が、何を問うたか直ぐに把握が出ずにいた。

 そんな表情が出ていたのだろうか、相手が自覚していない言葉を花瓶を落とした人は、口に出すことで言葉を認識しようとした。


 記憶の方法として目で読み、口で言う。智絵は昔から物事を記憶するときは、この手順を踏んでいた。そんな小さな習慣が出たのかも知れない。

 もちろん、唯の可愛さゆえの言だったのかもしれないが。


 「・・・・・いいえ、なんでもないわ」

 智絵は激しく首を振りながら言った。

 「こっほん」

 智絵が咳き込む

 「話を戻すわ、私はうれしくて唯を傷つけたくないと思って、唯と手をつないでその場から走った。

 女子たちは逃げる私たちを追いかけたけど追いつけなかったみたいで、いつの間にかいなくなっていた。

 私たち足が速かったから・・・それから私たちは手を繋いで家に帰った。家に帰った私たちを母と父が出迎えた。」

 花瓶を落とした人が一滴の涙を流した。

この時からだろうか、私の認識にある花瓶を落とした人の情報が新しくなった。というよりも、昔の記憶に近づいたのだろうか。

とにかく私は、花瓶を落とした人がよく泣くなと思ったのだ。

私は花瓶を落とした人の手を優しく握りしめた。

 「やっぱり唯は・・・強くて優しいのね」

 花瓶を落とした人は真珠のように輝く涙を流しながら優しい声で言った。

 ―一時間たった、花瓶を落とした人は涙をぬぐい

 「御免なさい取り乱してしまって、話を戻すわね(笑)」

 「いいよ、ゆっくりで」

 「ありがとう、それでどこまで話したかしら?」

 「家に帰ったところから」

 「そうだったわね」

 家に帰って、父さんと母さんが出迎えてくれた事を話してから、花瓶を落とした人はずっと泣いていた。私は花瓶を落とした人に言葉をかけられず、ただ智絵の滴る涙を見ていた。

(何も言えないわよ、きっと私の知らない時に、彼女は一人で頑張って来たのだから。)

 「それで・・・家に帰った私たちを出迎えた二人はいつもより

 戸惑ったような顔をしていたわ、いつも笑顔の二人がそんな顔をしていることに私は強い疑問を覚えた、でもすぐにその疑問は取り払われた。

 父と母は話してくれた、私が養子であること、神社で捨てられていたところを父が拾ってくれたこと・・・母とも父とも唯、貴方とも血が繋がっていないこと・・・もちろん父と母はそれでも家族だと言ってくれた。 私は二人に問うたわ、なぜ今そんな話をしたのか。二人の回答はこうだった、「もう二人とも大きくなった」たった一言だったけど、私はこう思ったの悲しいけど、うれしいと・・・・。」

 「どうして?」

 私は唐突に聞く

 「・・・・今は・・・・言えないわ」

 「わかった」

 

 そう言うと花瓶を落とした人が私の顔を見て微笑んだ。

 「それから唯は急に私と話さなくなった。」

 「なぜ?」

 「理由は分からない・・・・、父と母はそんな私たちを見てある提案をしたの、今度の日曜日家族旅行に行こうと、今思えばそれが間違っていた。

 旅行にはバスで空港まで行って、北海道に行く予定だった。

 唯はバス停まで行く途中ずっと「「北海道寒いじゃん!なんで行くの!」」とかもう歩きたくないとか言っていたわ。」

 私が笑う、それを見た智絵も笑った、

 「それでも唯は私と母の手をしっかり握っていたわ。だけど私と直接話そうとしなかった。」

 「御免・・・・・智絵」

 「いいのよ、どうせ覚えてないでしょ(怒)」

 「御免なさい」

 「ふふっ」

 智絵が優しく微笑む、智絵の顔が暗くなった。

 「トラックが突っ込んできた、私は話してくれない唯が気になって唯をずっと見ていたの、だから何が起こったかわからなかった。気づいたら父が血を流していた、母は誰かすぐに分からないぐらいにぐしゃぐしゃだった。

 唯は・・・・・・唯・・・は・・・・嗚呼、あぁぁぁ~~~はぁ・・・あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~」

 智絵が悲痛な叫び声を上げ始めた、その眼には私はもう移っていなかった。

 「智絵落ち着いて!智絵」

 必死に叫んだ。誰かが助けてくれると信じて、自分には助けられない。

 「どうしたの!」

 白衣を着た人が飛び込んでくる。勢いよく来た彼女が唯には眩しかった。

 聞こえの良い先生の声は空気に震えている。

 「さっきの先生。智絵が、智絵が!」

 「良いから下がって! あなたは病人なのよ。」

 先生は、唯に自分の立場を確認させるように言った。

 唯はゆっくりと理解した。

 唯は唇をかみしめ、少しずつ智絵から距離をとる。

(先生の言ったとおりにすることだ。私にできることは無いのだから)

 唯は恐怖を抱いていた。先まであんなに優しかった智絵が、自我を失い今暴れているのだ。

 「智絵さん大丈夫よ!」

 白衣を着た女性が叫ぶ!

 「うるさい!うるさいっ」

 息が途絶え、途絶えになり、過呼吸状態に陥ろうとしていた。

 だが智絵は呼吸を詰まらせて力を出した。

「きゃっ」

 白衣の女性が突き飛ばされる。

「私、弓道部で腕力には自信があるのよ。」

 智絵が私の車いすを押しているときに発した言葉を思い出す。

 先生が突き飛ばされたという事実は、花瓶を落とした人の生命力が必死に自我を取り戻そうとしていることを教えてくれた。

「冬馬智絵さん・・・・・・」

 白衣の女性は気を失った。


 先生は動けない。看護師もいない。

(私が智絵を助けないと)

 このまま唯が何もしなかったら、時期に看護師が到着して最悪の場合、男の先生によって力ずくで押さえつけられるかもしれない。そうなれば、唯は怪我をすることなく事は収まる。

(いやだ)

 今の花瓶を落とした人をほかの誰かに触られたくなかった。

(先生のように怪我をするかもしれない。)

 叫ぶ

(汚されたくない)

 綺麗な花瓶を落とした人を・・・・・・。

「智絵・・・・・智絵!」

 私は花瓶を落とした人のもとへ突っ込んで行った、花瓶を落とした人の顔を包み込むように・・・・・・・触る

「智絵大丈夫だから、私がいる・・・・」

 そう言いながら額を花瓶を落とした人の額に当てる。

「唯・・・・うるさいよ。十年間も心配させたくせに」

 花瓶を落とした人の目に私が移った・・・花瓶を落とした人の泣きそうな優しい声がする。

「ごめん」

「御免じゃないよ」

「うん」

 智絵の唇が近づいてくる、智絵の薄い吐息、

 智絵の熱さ、智絵の濡れた頬・・・・・・・・

 嗚呼意識が遠のいていく・・・・バタンッ

 次の瞬間、私はひんやりした、冷たく、硬い床に倒れていた

 「唯、唯!」

 花瓶を落とした人の叫び声が聞こえる、さっきの怒りと憎しみと恐怖の叫び声じゃない・・・

 「はっ・・・・!唯さん!」

 白衣の女性が意識を覚ます。

 「先生!唯が、唯が! 」

 花瓶を落とした人は叫ぶ、声が枯れるほど。喉が潰れるほど叫んだ。魂が干乾びるかと思うほどの叫びを少女は揚げた。

 「落ち着いて智絵さん! 」

 女医は冷静な冷淡な声を浴びせた。

 しかし、声とは裏腹にその顔は青ざめ、飲み水が干乾び、食べ物がつき、まるで今にも餓えて命がつこうとしているようだ。

〈智絵〉薄れゆく意識の中で唯はそう言った。

 だが、その声は届かない。誰の耳にも。いくら愛を込めた言葉でも。

 唯には声を届ける力がないから、自分の気持ちが自分で分からないから。

 ―まただ・・・「白い壁」横を見る・・・・

 「唯! 」

 

部屋に入ってきて、顔を上げた智絵は目を見開かせて立っている。顔の前に少しずつ手を近づけながら・・・・・・。

 「静かにしろ・・・頭に響くだろ」

 力なく言う

 「はっ!ごめんなさい、あれ今の喋り方・・・。」

 顔に近づけ始めた手の動きを智絵は止めた。

 唯は自覚していた。あの夢が自分の過去であったと・・・・・。

 「嗚呼、思い出したよ、智絵・・・。」

 唯は口角を緩めて笑う。顔いっぱいに

 「唯! 」

 智絵が飛びついてくる

 やっとこの時が来たと喜び、歓声を上げるように

 「コラ飛びつくな! 」

 唯は目いっぱい笑いながら言う。嬉しくて、嬉しくて

 「うるさいっ」

 智絵が怒ったような、安心したような、甘くて優しい声で言う。

{私の唯が戻って来たのだ、嬉しくないはずないでしょ。}

 「悪かった、心配させて」

 今までのことを思い出し、考え、吐いた言葉だった。私がベッドに入るたび智絵は心配し、涙を流したのだから。                                               

 「ううん、私こそ・・・御免」

 智絵は夜のことを思い出した。あの時、智絵は先生に対し、唯に対して酷いことをした。たとえ自分の意思でなくても酷いことをした。

 「気にするな、それより先生に謝れ!」

 謝るわよ。私たちの恩人である母親に

 「分かっている」

 コンコンッ

 「「嗚呼、噂をすれば」」

 二人が声を合わせて言った。

 まったくタイミングが良すぎる。

 「なっ!なによ」

 言葉を詰まらせ性いっぱい驚く。

 「「なんでも(笑)」」

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