妹を選んじゃいけませんか?
@Yuri_0956
第1話 記憶をなくした日
私の体はふわふわと宙に浮いている。自分の体を見ると、色素がなく、白黒の物体だった。言うなれば、実体は感じず、物体は感じる。そんな感じだった。
『日差しのきつい夏、家族4人で出掛けた。』頭に浮かんだ記憶という事実。そこから出た言葉は力のある、確かなものだった。。 やがて、それは映像となる。
一目に映るのは遠い過去のような映像。眼差しの先に映る景色には家族四人が映っている。優しそうな母、頼りになる父、小さな姉、小さな妹が仲良く歩いている。あくまで一見しての話だ・・・・・・、良く見ると姉妹には距離が感じれるから。
家族の周りには他に人はいない、もちろん家族もいない。
いや、居るといえば居る。だって、彼らには自分と同じように色素がなく。もう消えそうだ。
彼らが消えてどこに行くかは知らない。今の私、今の彼らがどういう存在なのか知らないし、自分たちの「存在」という言葉にこたえてくれる人はいないから・・・・。
彼らは時に私を見つめる。彼らの目は暗闇をのぞき込む猛禽類のようで、彼らの目を見た日には、狩られてしまうのではないか・・・そう思う。彼らは私を見て近寄って来たりはしない。ただ、遠くから何かをつぶやくのだ。私には解りはしないが。
さあ、しばらく家族を見てみよう。どこか自分と重なるあの少女を見てみよう。きっと誰かが自分の「存在」を教えてくれると信じて・・・・・・。
―数時間経った。私は四人のうちの小さな女の子に吸い込まれた。いや、女の子の心が私の心に投影した。まるで自分の過去を見ている気分だ。普通、過去を思い出す時は気分が高揚したり、暗くなったりするものだろう。しかし違う、自分は何の感情も浮かんでこない。
「少女と思いを一つにすれば理由がわかるだろうか。」
そんな感情が少女の心を私に、投影したのかもしれない。さて、今、考えたことが本当であるなら、今の状況を整理する必要がありそうだ。
私は母さんと手を繋いる。母さんの手は暖かく、私を包み込み、守っているかのようである。
(母というのはこんなにも暖かく、強いものなのだろうか。握る手だけで伝わってくる生き物への愛、自分が分からない今の自分には分かりえない事柄だ。)
小さき少女はこの時、心に闇と怒りのこもった憎悪を抱いていた。
しかし、なぜ怒っているかは分からない。定かではないのだ。
「もうっ、何なのよ。こんなの嫌・・・暗くて。私の感情だっていうの? そんなのイヤ・・・・誰か・・・。」
感情は自分にも伝わっている、それゆえ自分にも憎悪の感情が伝わる。憎悪は少女が抱くような生優しいものではなかった。頭が狂いそうになる。
「落ち着くのよ、泥沼に呑まれてはだめ。ハァ・・・・・ぅ・・・・ハァ、ハァ。」
冷静になろうと私は、今の状況を整理することを再開した。整理することによってこの沼から這い出ようと・・・・・・。
私と母さんが手を繋ぎ、私の左手に智絵。智絵の左手に父さんがいた。
「あの少女は私なの・・・・・・じゃあ、私は女? 」
四人は仲良く手を繋いでいるようである。しかし、私は楽しげな雰囲気ではない。それどころか二人の・・・・・・・いや、三人の顔を見ようともしない。
<喋りたいが、喋れない。>
―しばらくして、私たちの行く手に交差点が映った。
今日は不思議と人(実体のない彼ら)が少なく、車の音しか聞こえてこない。
私の記憶(イメージ)では、交差点は人と車が景色を埋め尽くすほどいた気がする。その記憶(イメージ)はテレビで見たようなものだから、正しいかはわからない。いつもと違う雰囲気に憤りさえ感じる。
交差点の中央部を通過しようとしたとき背後から青年が叫んだ。
「危ない! 」
青年の声に重なるように大型トラックのブレーキ音が耳に響く。あまりのショックに、少女は体を凍りつかせる。
それと同時に激しい耳鳴りが私(少女)を襲う。
訳もわからずいると・・・・・・・私(少女)の体を痛みが貫いた。
(・・・・・・体が・・・・カラダが動かない)
槍で貫かれたような痛みが体を襲い、そのあとにくる体の麻痺。体の半部が亡くなったように体の上か下どちらかの感覚がなくなった。
そして、記憶はそこで途絶えた。
闇の中でたたずむ。見廻しても何も映らない。目に映るのは暗闇だけ、自分が立っている場所に床があるのか、ないのか。それさえ認識できないほどの暗闇。
「また・・・・・どれくらい経ったのだろう。ここにきて・・・・もう嫌、怖い、怖い、誰か・・・・誰か・・・・。」
そんな中で声が聞こえた。私は声の聴こえる方へ体を向ける。すると瞳の先には小さな丸い円があり、円の向こうからは光が湧き出るように溢れていた。小さな円はどんどん大きくなり、やがて大柄の男が通れるほどの大きさになった。
丸い円は、それ以上大きくなろうとはしない。
「なに? 」
私は丸い円から湧き出る光に興味を抱く。光は眩しく、暗闇にいる私は光に恐怖を感じたが、恐怖に立ち竦むより先に光の中から聴こえる声に安らぎを感じた。声は誰かを呼び、泣いているようであった。
声には実態がないようで、レコードから流れる曲のようだ。
<そうだ、どうせこれも曲、暗闇には何もない。>
ここに来てから流れる続ける曲、暗闇の中で流れる私以外の存在。地獄のオルフェや魔王、地獄を連想させる曲は流れ続ける。
(このどちらもが何処かで聞いたことのある曲で、いつも思い出そうと足掻いてみたりもするが ―結局私には地獄の曲として聞こえる。)
(だから、地獄の曲より大きな音で聞こえる「安らぎの声」も、きっと曲なのだろう。)
「安らぎの声なんかじゃない。きっと、今までと違う曲が流れて勘違いしているだけ。」
分かりきったことを口に出し、光から体をそむけて俯く。得体の知れないものから逃げるように。
それでも曲は流れ続ける・・・・・・。
ふと、足下に何かが滴った。それは涙。青く輝く涙だった。
涙は暗闇に光を灯していき、暗闇に色を灯す涙は、曲の流れる方へと一本の道を作るように広がっていく。その先には、先程見た丸い円。
「なに・・・・・・・・・・・・」
涙の先を追って丸い円光の中に目を細めて眺める。光の先には誰か定かではないが懐かしく感じる人がいた。
「誰かいるの? ・・・・・ねえ、返事をして・・・・・・・」
私は光に誘われるように、走っていった。足元に波紋が広がり、軌跡を描いていく。何かのために一生懸命走ることが、とても面映ゆく感じもする。しかし、走り出した足は止まることをしない。
光の前に立った。
手をのばすと、長いようで短い夢から私は抜け出した。
声が聞こえる・・・、実態のある確かな声が・・・・・・。
「どうして! どうしてこんな事になったの。
こんなに貴女を待っているのに・・・・・・。あの男のせいで・・・・・・唯(ゆい)は・・・・・・。
許さない、あの男を許さない。・・・・たとえ私が地獄に落ちるようなことになろうとも。あの男を許さない! 」
鋭く響く声で誰かが叫んでいる。誰かを一心に思い、誰かのために怒る声はとても危うく、胸が張り裂けそうに辛い。
この声を救える人は居ないのか。そんなあきらめの中、私は呼吸を繰り返す。心臓の音に重なることのない呼吸は、私に安心を与える。
―呼吸は口の周りを蒸らし、少し気持ち悪さを感じもする。それは、暗闇の中ではない世界での感覚である、そう感じた。
声は私に似て、低いようで高い。声の質からして女性だろうか。いや、小さな少年ということもある。サッパリ分からない。
まあ、このまま目をつぶっていてもむず痒いだけだ。そろそろ起きようではないか、起きたら自分が誰なのか、声の主が誰なのか分かるかもしれない。意識の中でそう思った。
目を開けると見慣れない白い壁。そして、口にはプラスチック性の緑のマスク。目視で確認するとともに、先程からの呼吸という動作に感じる不快感が、これで遭ったのかと思う。
{先からの気持ち悪さはこれか}私は刹那の間、天を見つめ、視線を横にやる。景色には絵の中に描かれたように形をとり風で揺らめくカーテンが映り、その隙間から見えるのは・・・・・・・・。
どこかの部屋と思われる洗面所の前で、女の人が手に花瓶を持ち泣いているところ。いや、泣いているのかは分からない。彼女の背は弱々しく、まるで泣いているように見えたのだ。
きっと彼女の背中はいつもこんな感じなのだろうと思った。本当はとても弱いのに他人のために頼れる人であろうと一生懸命になり、最後には埃のように風に乗り、消えていく。
(そんな風にしか生きられないのか)
事実かも分からない彼女の背中に自分勝手だと思いながらも、そう問いかける。返答が有るはずもなかろうに問いかけたのだ。
彼女の髪は肩よりも長めで、所々光があたって栗色に輝いている。
彼女は一息つくと花瓶に水を注ぎ、花を入れて振り向いた。
「こんな事じゃダメ、もっと頑張らないと。ママ、パパ、まだ唯を連れて行かないで・・・・・連れて、行かせない。」
振り向きざま、彼女は言をこぼした。私には聞こえはしない。―振り向いた彼女の目には、溢れて頬を流れることのない雫が溜まっていた。
彼女は私を見て驚愕の色を浮かべる。
(すごい顔、一体どうしたんだろう。)
本当は分かっている、そんな気がするのに、己の頭の中で身勝手に自問自答を繰り返す。それは次第に矛盾となり、脳が支配されていくような気がした。
彼女の驚愕はやがて抱えきれない感情に上書きされ、目尻に溜まった雫が頬を伝った。彼女は魂が抜けたかのように一歩、二歩と進み、今見ているものが現実で在ることを確信すると、足は床を蹴り、歩みを進める。
彼女の手から花瓶が滑るように落ち、落ちた花瓶は芯に響くような音を奏でる。花は花瓶から体を出し、水が夕立のように勢いよく流れ、静かに広がっていく。
(花瓶が落ちたよ・・・・・。止まってそのままじゃ足が濡れてしまう)
私は口を動かし、必死に訴え掛けようとするのだが、言葉は声とはならなかった。
花瓶を落とした人は、落ちた花瓶を気にもせず、頬を伝う雫を服の袖で拭い駆け足で近寄ってくる。
「ぴちゃ」
彼女のズボンにシミが広がる。彼女はズボンが濡れるのも気にしていないようだ。
花瓶を落とした人にいったい何が遭ったのだろうか。幾ら考えようと私に分かるはずもない。
「唯・・・・・・・・・・・、やっと、目を開けた。」
(ぁ・・・・声が出ない・・・。もう、どうして・・・)
今すぐにでも言葉を交わし、頭の中の矛盾を解決したいのに、声が出ないという苦しみが、脳の混乱を招いた。
考えることができないという苦しみが、後頭葉のみを使う視覚という動作での情報を得ようした。それは、記憶を消すということに繋がったのだ。
駆け寄ってきた彼女は嬉しそうに私の頬に触れ、愛しそうに私を見つめた。若々しい、花瓶を落とした人の顔を私は見つめる。頬がぷっくりとしていて、唇は瑞々しく、しっとりとしている。大体の人は、花瓶を落とした人が美しく見えるだろう。彼女もその一人であった。
(きれい・・・もっと見ていたいかも・・・・)
唯と呼ばれた彼女は表情をピクリとも変えない。なぜなら、彼女が唯であるという自覚が無いからだ。
意識は覚醒したが、すべては戻っていない。そう、言い換えるなら。「彼女は寝ぼけている。」彼女以外の人からは、そう映るだろう。
「ねえ、唯。何か言って・・・・、私ずっと待っていたのよ。唯・・・・・何か言って・・・・・。」
花瓶を落とした人は必死になって私へ呼びかける。―だが、彼女は花瓶を落とした人の言う、唯という言葉の意味、人物を理解できずに聞き返す。
(声を出すのよ。お願い出て)
「唯って誰なの?」
(でっ、でた)
自分自身が言いたいことを自覚することで言葉が出た。脳の奥深くで眠っていた声という鳴き声が彼女の言霊となる。
花瓶を落とした人は一度拭いた雫をまた流した。
一粒、二粒と・・・・・・・さっきよりも大きく、濁った雫を・・・・・・・・・・悲しみを涙にせずにはいられなかったのだろうか。それでも、花瓶を落とした人の涙は、とても綺麗に私の心に映った。
だのに、彼女の瞳の奥には秘めた何か思いのようなものがあった。まるで、アレキサンドライトのようで・・・・・・私はひかれた。
ふと私のこころの中に古い過去のような感情が芽生えた。感情は現在でも消えないようなもので、だけど、どんな感情なのか言葉にするのは難しくて・・・・・・。
そんな瞑想の中で私は、涙を流す花瓶を落とした人に無感情とも言えるような棒読みで謝る。
「ごめんなさい、私貴方を泣かせちゃった」
何のことを謝っているのかと刹那の間考えたように見えた。そして、花瓶を落とした人は優しく私に微笑んでくれる。
「違うの、ごめんなさい」
花瓶を落とした人は涙を拭い、左右に頭(かぶり)を振り落ち着いた声で言う。そんな様子が可愛くて、また私はキョトンとした声色を出す。
「ここは病院?」
私の問いかけに花瓶を落とした人が返す。なんの詰まりもなく。
「そうよ、ここは病院。貴方は十年前事故にあって、ここに運ばれた。」
花瓶を落とした人は言葉を切った、「続けて」と私が言うまで。
「貴方は十年間眠り続けたの・・・・・・。」
すぐには呑み込めない。花瓶を落とした人が言葉を切ったのは、私の混乱を防ぐためだったのかと、今更ながら追うのであった。それと同時に、花瓶を落とした人が心配していた通り、私は夢から現実に戻ってきた際に生まれた混乱に拍車を掛けた。信じがたい話だと。
今の話だと唯は大事故に遭い、生き残ったことになる。事故に遭ったとき、脳死と判断されていたら・・・・・・考え難い。
私は一度、空を仰ぎ、質問し返した。
「貴方は誰。」
目覚めたときから気にかかっていた。危なげな花瓶を落とした人が誰なのか、私に優しく微笑み掛けてくれる花瓶を落とした人が、私にとってどんな存在なのか。
花瓶を落とした人の瞳の中に映る自分を見つめ、聞く。
聞くことに恐れを抱いたりもする。彼女にとって私が必要でない存在なら、私はこれからどうすればいいのかと。
「私は智絵十五歳、貴方と一緒に事故にあった冬馬家の一人、私の両親は・・・・父が・・私を守って死んだわ、母は姉さんを守る形で父と一緒にトラックに跳ねられて死んだ。」
智絵と名乗る花瓶を落とした人はそういった、花瓶を落とした人の両親は死んだ。じゃあ花瓶を落とした人は何の為にここにいるのだろう、彼女にとって私は何(存在)だろう。私は彼女に疑問を投げかける。
「じゃあ智絵は何故ここにいるの。」
花瓶を落とした人の目がまた潤んだ、そして智絵は何かを決断したように言った。
「今十六歳の私の姉、私の愛する人の為にここにいる。」
花瓶を落とした人は潤んだ瞳のまま微笑んだ。花瓶を落とした人は続けて話し始めた。
「貴方の名前は唯、私の姉さん」
そう言ってまた花瓶を落とした人は微笑んだ。
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