愁
○[タイトル]『愁』
○ 山中のススキ高原(夕方/雨)
ススキが群生した高原地帯。周囲は森林に覆われている。
小雨が空から降っている。
☓ ☓ ☓
母狐と子狐が、ススキの合間を歩いている。子狐は楽しそうに母狐の周りをま
とわりついている。
☓ ☓ ☓
高原の起伏地帯に、竹と
そこから数十メートル下方に広がっているススキの、一画が揺れている。
揺れは、その先にある空白地帯(ススキの群生が途切れている区域)へと伝播
していく。
竹藁テントには覗き穴があり、そこから鉄砲(火縄銃)の銃身が突き出る。
☓ ☓ ☓
母狐にじゃれついていた子狐が、前方の空白地帯に向かって駆けだす。
☓ ☓ ☓
竹藁テントから出ている鉄砲。銃口から雨粒が滴っている。
☓ ☓ ☓
ススキの群生から空白地帯に、子狐が飛び出してくる。
○ 同・全景
パーン、と、銃声。
○ 同・空白地帯
子狐、頭から流血し、息絶えている。
☓ ☓ ☓
母狐、ススキ群の中に居て、足を震わせながら子狐の元へと近寄ろうとする。
空白地帯に近寄ってくる人の足音。
母狐、ハタと歩みを止める。
☓ ☓ ☓
狩人の格好をした男――
又吉「まだ子供だが、勘弁してくれ」
ススキの群生からガササッと物音。
又吉、サッと立ち上がる。
ススキの揺れが、勢い良く森林に向かって伝播している。
又吉「しまった、親か!」
又吉、ススキの群生に分け入るも、足を止めて、遠くの空に顔を向ける。
雨雲の奥に、夕日明かりが見える。
又吉、渋面を浮かべて顔を戻す。
ススキの揺れが高原の端まで到達し、森林の奥へと物音が移って行く。
又吉「いかんな……」
と、空白地帯に戻り、子狐を手にとって、竹藁テントの方へと歩いて行く。
子狐の頭から、血が地面に伝っている。
○ 山裾の又吉の家・外観(夜/晴れ)
山林に接して、民家(
○ 同・屋内
又吉とヤエ(9)が、おわんを手に、囲炉裏をかこんで食事中。
られた鍋には、粗末な雑煮。
又吉、難しい顔つきで食を止めている。
ヤエ「(不安げに)お父さん、どうしたの? ごはん、美味しくなかった?」
又吉「(笑顔で)あんまり美味くなったもんだから感心してたんだよ」
又吉、雑煮を掻きこんで食べる。
ヤエ「(嬉しそう)ほんと!? お母さんが帰って来たら、喜んでくれる?」
又吉「(悲しげな笑みで)ああ」
と、ヤエ、ゲホゲホ咳き込み始める。
又吉、心配そうにヤエの元へ行き、背中を擦る。
又吉「大丈夫か、ヤエ?」
ヤエ「――(咳き込みながら頷く)」
○ 同・外観
山林の奥から母狐の泣き咽ぶかのような遠吠え。
○ 同・屋内
ヤエ、藁を編んだ布団に入る。
又吉、囲炉裏の傍に座り、山林に面した家の壁を睨むように見ている。
又吉「ヤエ」
ヤエ「?(又吉に顔を向ける)」
又吉「(壁を見たまま)約束だ。明日、家の外には出るんじゃないぞ」
ヤエ「どうして?」
又吉「いいから、家に居なさい」
又吉、ヤエを真剣に見据える。
ヤエ「……。はーい」
又吉「きっとだぞ」
ヤエ「(微笑み)大丈夫。お父さんと約束破ったことないでしょ? それに、家から
出ないのはいつものこと」
又吉「(不憫そうに微笑み)そうだな。……寝なさい」
ヤエ、眠りにつく。
又吉、また壁を睨むように見る。
○ 山裾付近の山林(翌日/日中/晴れ)
獣道に血痕が転々と付いている。
山林入口の藪の中。地面に付いた血痕を嗅いでいた母狐が、顔を上げる。
山林に面して、又吉の家が建っている。
母狐が居た藪の中から、ひとりの人間の女(25)がスクッと立ち上がる。
○ 山裾の又吉の家・屋内
ヤエ、不器用な手つきで、衣服の破損箇所を縫っている。誤って自分の指をチ
クリと刺す。
ヤエ「痛っ(指を口に咥える)」
と、玄関戸が叩かれ、女の声。
女の声「ごめんください」
ヤエ「?(戸を見る)」
○ 同・玄関・外
女、玄関戸前に立ち、睨むように戸板を見据えている。
玄関戸が開かれる。
ヤエの声「どちら様ですか?」
女、視線を下に下げ、驚いた表情。
ヤエ、女を見上げている。
ヤエ「……お母さん?」
女 「(戸惑い)え?」
ヤエ「お母さんなんでしょ? あたし、ヤエだよ! わかる?」
女、じっとヤエを見据えた後、
女 「(柔和な笑み)もちろんよ、ヤエ」
ヤエ、女に抱きつく。
ヤエ「お母さん! お母さん!」
女、不敵に笑い、ヤエの頭を撫でる。
○ 山中
鉄砲を背負った狩人姿の又吉、キョロキョロしながら木々の合間を慎重に進ん
でいたが、立ち止まって、
又吉「見つからんな。……(俯いて考えるようにし)また、戻ってくるかもしれん」
又吉、歩みを再開する。
○ 山裾の又吉の家・屋内
子狐の皮が、壁に掛かっている。
壁際に立っている女、震える手を伸ばして子狐の毛皮に触れようとすると、
ヤエの声「お母さん、お茶入ったよ」
囲炉裏の傍に座っているヤエ、女に向けてお茶の入ったおわんを差し出してい
る。
女が振り返る衣擦れの音。
ヤエ「……どうしたの?」
女の声「え?」
ヤエ「……泣いてるよ」
ヤエの方に体を向けている女、両目から滂沱の涙。
女、涙を拭き、作り笑顔で、
女 「ヤエに会えて、嬉しいのよ」
ヤエ「(嬉しそうに)お母さんって、泣き虫なんだね。――外寒かったでしょ? 早
く飲んで飲んで」
女、囲炉裏へ来て、ヤエからおわんを受け取ろうとすると、ヤエの手からおわ
んが床に落下。
ヤエ、激しく咳き込みだす。
女 「(若干心配そうに)ヤエ?」
ヤエ、咳き込みながら、壁の方向を指差す。
ヤエ「(切れ切れに)薬……薬……」
女が指先を目で追う。
古いタンスが壁際に置かれてある。
☓ ☓ ☓
ヤエと女、寄り添って、囲炉裏の傍に座っている。女が、おわんでお湯をヤエ
に飲ませてやっている。
女 「落ち着いた?」
ヤエ「……びっくりした?」
女 「え? ええ……」
ヤエ「この頃、ああなるようになっちゃったの。薬が無いとダメなんだ……(と、床
を見る)」
床に、皮の袋が置かれている。
女 「そう。……少し、横になった方がいいわね」
ヤエ「うん」
○ 山中のススキ高原
又吉、山林を抜け出てくる。
辺りを見渡すと、高原の起伏地帯にある竹藁テントに向かって歩みを進める。
○ 山裾の又吉の家・屋内
ヤエと女、藁の布団の上で、顔を向き合わせて横になっている。
ヤエ「あたし、ご飯もつくれるようになったんだよ」
女 「まあ、そうなの」
ヤエ「うんと美味しい夕食つくるから、楽しみにしててね。ずっと食べてもらいたか
ったんだ」
女 「ふふふっ。楽しみにするわ。それまでゆっくり休みなさい」
女、ヤエの頭をなでつける。
ヤエが瞳を閉じると、女は壁に掛かっている子狐の皮に視線を移す。
ヤエの声「気になる?」
ヤエ、目を開けて女を見ている。
女 「…………」
ヤエ「お父さん、昔から狐は獲らなかったもんね、〝あとが怖い〟って。……(不安
げな面持ちで)昨日の夜、今日は外にでちゃいけないぞって、なんだか様子が変だ
ったの。何か関係あるのかな……?」
女 「(優しげに)大丈夫よ、関係ないから」
ヤエ「本当?」
女 「安心して寝なさい」
ヤエ「うん」
ヤエ、女の前襟をつかむ。
ヤエ「もうどこにもいかないでね」
女 「ええ。行かないわよ」
ヤエ「――(笑んでから、瞳を閉じる)」
女、再び子狐の皮を見やる。
……少し間。
女 「お父さん、どうして狐を獲るようになったのかしら」
ヤエ、瞳を閉じたまま寝入りそうな声で、
ヤエ「狐の皮は、お金になるんだって」
女 「……(子狐の皮を見続ける)」
○ 山中のススキ高原・竹藁テント内
鉄砲(火縄銃)の道具(火打ち石、火縄など)が地面に置かれている。
座っている又吉、鉄砲の銃口に火薬を注ぎ入れている。
○ 山裾の又吉の家・屋内
女、前襟をつかんでいるヤエの手を払いのける。
☓ ☓ ☓
女、寝ているヤエを膝立ちで跨いでいる。
ヤエ「――(スヤスヤ寝ている)」
女 「……(無表情でヤエを見下ろす)」
女、ヤエの首に両手を掛ける。
その両手に力がこもり、ギュッと締め上げていく。
ヤエ「うっ……」
ヤエ、苦しそうに呻き、もがく。
女、力を緩めない。
ヤエ「(瞳を閉じたまま)お母さん……」
女の手が、ピタリと止まる。
女、哀惜入り交じる複雑な表情を浮かべるが、意を決したように厳しい顔つき
になる。
○ 同・外観
家の玄関戸が開き、女が出てくる。
女「――(無表情)」
戸を閉めると、ゆっくりした足取りで、山林へと入っていく。
○ 同・屋内
ヤエ、布団上に仰向けている。寝相が悪いようにも見るが、死んでいるように
も見える。
○ 山中のススキ高原・全景(夕方)
夕焼け空。遠くの山向に、真っ赤な太陽が浮かんでいる。
○ 同・竹藁テント内
又吉、覗き穴から外を見つめている。
又吉「(険しい顔つきで溜息)……ん?」
覗き穴にグッと顔を寄せる。
☓ ☓ ☓
高原、山林に隣接したススキ郡。
その一画が揺れ動きはじめる。
☓ ☓ ☓
覗き穴に顔を寄せている又吉、
又吉「(小声)来た!」
と、鉄砲の火ばさみに、火のついた火縄を装着する。
☓ ☓ ☓
ススキの揺れが、山林側から高原内部へと伝播していく。
☓ ☓ ☓
覗き穴から銃身を突き出している又吉。
ススキの揺れの動きを銃口が追っている。
☓ ☓ ☓
高原内部へどんどん伝播していくススキの揺れ。そこからヤエの声。
ヤエの声「お母さ~ん! お母さ~ん!」
☓ ☓ ☓
引き金にかかっていた又吉の指が、離れる。
又吉「……ヤエ?(ひとりごち)」
呆気に取られるも、すぐに表情を引き締める。
又吉「(大声)誰だ! 姿を見せぇ!」
☓ ☓ ☓
ススキの揺れが一旦おさまったあと、竹藁テントの方へと折れて、伝播してく
る。
ヤエの声「お父さん、居るの?」
と、ヤエが、ススキ郡を掻き分け、竹藁テントから数メートル離れた空白地帯
に出てくる。
ヤエ「(笑って)あっ、お父さん!」
○ 同・竹藁テント周域
又吉、竹藁テントの傍に、鉄砲を手にして立っている。
又吉「(気を張った表情)……なぜ、お前がここにいる?」
ヤエ「どうしたの?(近づこうとする)」
又吉「止まれ!(銃口をヤエに向ける)」
ヤエ「(悲痛に)あたしだよ、ヤエだよ! 鉄砲を降ろして!」
又吉「(逡巡に顔をしかめるが)……答えろ。なぜ、ここにいる?」
ヤエ「聞いて、お母さんが帰ってきたの!」
又吉「……母さんが?」
ヤエ「でも、昼寝から起きたら居なくなってて、それで、外に出ちゃいけないって言
われてたけど探しに……。だからお父さんも一緒に――」
又吉「(ふっと笑い)やはり化けて出たか」
ヤエ「……え?」
又吉「妻は、娘が物心つく前に、他界している」
ヤエ「……(うつむいている)」
又吉「家に帰ってくることは無い!」
ヤエ「(声質低く)なるほどな」
ヤエ、顔を上げると、薄笑みになっている。
又吉「!?」
ヤエ(母狐)「(真剣に)私からも一つ問おう」
☓ ☓ ☓
(回想インサート)
頭を撃たれた子狐が、空白地帯に横たわっている画。
ヤエ(母狐)の声「まだ幼い子だった」
☓ ☓ ☓
ヤエ(母狐)「なにゆえ、撃った?」
又吉「金が必要だった。狐は誰も撃とうとしない。子であってもその皮は貴重だ。俺
はこれ(鉄砲)しか脳が無い」
ヤエ(母狐)「あの薬、大層値が張るようだな」
又吉、ハッと目を見開く。
又吉「(震える声)娘の名を、姿を……そんなことまで、なぜ!?」
ヤエ(母狐)、真顔で又吉を凝視。
又吉「ヤエを……どうした?」
と、銃口を構えたまま、睨む。
又吉とヤエ、対峙したまま微動だにしない。
……間。
ヤエ(母狐)、ニヤッと笑う。
又吉、引き金を引く。
鉄砲の火ばさみが火皿に落ちる。
○ 夕焼け空
○ 山林
又吉、息も絶え絶え、山道を駆け下りている。
又吉「ヤエー! ヤエー!」
○ 山裾の又吉の家・屋内
藁布団に仰向けているヤエ。
その瞳がゆっくり開かれる。
ヤエ、傍らで横になっていた女がいなくなっていることに気づく。
ヤエ「あれ? ……お母さん?」
ヤエ、身を起こして辺りを見回していると、屋外から又吉の呼び声。
又吉の声「ヤエー! ヤエー!」
○ 同・外観
又吉、玄関戸前で身をかがめ、ゼエゼエ喘いでいる。
身を起こし、取っ手に手を伸ばしきる前に、玄関戸が内側から開けられる。
ヤエの声「お父さん?」
ヤエ、戸口に立ち、きょとんと又吉を見ている。
又吉「……(愕然としている)」
ヤエ「なに、慌ててるの?」
又吉、膝立ちでヤエにすがりつき、
又吉「ヤエ……ヤエか?」
ヤエ「ちょ、ちょっと? あたしはあたしだよ?」
又吉、ヤエの頬に触れ、
又吉「無事だったか……」
心からの安堵。
ヤエ「あ! お父さん、聞いて聞いて!」
又吉「?」
ヤエ「お母さんが帰ってきたんだよ!」
又吉「(困惑に固まり)母さん……が?」
ヤエ「いっぱいお話ししてたんだから! 発作が出たときに薬も飲ませてくれた
の! ……でも昼寝をして、今起きたら家の中に居なくて……おトイレかな?」
ヤエ、又吉のもとを離れ、家の周辺を母を呼びながら探してまわる。
又吉「…………」
膝立ちした放心状態で、地面に目を落とす。
ヤエの声「お母さ~ん! お母さ~ん!」
☓ ☓ ☓
(フラッシュ・バック)
又吉とヤエ(母狐)が対峙するシーン。
ススキ郡から出てくるヤエ(母狐)。
ヤエ(母狐)「聞いて、お母さんが帰ってきたの!」
ヤエ(母狐)「でも、昼寝から起きたら居なくなってて、」
うつむいているヤエ(母狐)。
薄笑みになっているヤエ(母狐)。
ヤエ(母狐)「あの薬、大層値が張るようだな」
そして、最後に――
ニヤッと笑うヤエ(母狐)。
☓ ☓ ☓
戸口で項垂れている又吉。
地面に涙がぽつぽつ落ちる。
又吉「そうか……そうか……」
又吉、四つん這いになり、地面の土をギュッと握りしめ、
又吉「すまない……すまない……」
と、謝り続ける。
ヤエ「お母さ~ん! お母さ~ん!」
と、家の周辺を歩き、呼び続ける。
○ 山中のススキ高原・竹藁テント周域(夜)
月明かりのもと、ヤエの姿から狐の姿に戻っている母狐が、ススキ群に隣接し
た空白地帯に、頭から血を流して倒れている。
○ 同・全景
ススキの群生がそよ風で、波のように揺れている。
夜空には満月が浮いている。
○[テロップ]『終』
[END]
【シナリオ】 愁 のうみ @noumi
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