第二の犠牲者
"薮蛇"。
そんな言葉が浮かぶ。何人かは察した。こうやって、一人一人、闇に突き落とされる……。貴哉もその一人なのだと。
他人の人生など、興味はない。人に知られる恐怖よりも、突き付けられる恐怖が勝る。下手に前に出たら、標的になる。だが、先だろうが後だろうが、変わりはあるのだろうか。あるのは、自分なりの比較。どれだけ他人よりマシな人生か、ダメな人生か。
自分に置き換えて考えたりする。それは正しく、現実逃避。しかし、現実的なのは矢張、何を言われるか。皆青ざめながら、死刑執行される囚人の如く対峙していた。
「……橘貴哉様、あなたはお優しいですね。あなたは誰からも好かれる、絵に描いたような聖人君主。成績優秀で、誰に対しても物腰が柔らかい。信用に足るお人柄と聞き及んでおります。それだけでなく、長身でスタイルもよく、見目麗しい。女性が放って置かないのも頷けます。職場でもさぞかし、ご活躍されていることでしょう。人のミスさえもフォローし、申し分ない能力もお持ちです。近々、そのお若さで部長に昇進なさるお話があるとか。流石でございます。」
執事は張り付いた笑顔でそう告げた。
誰もが思う。無差別なのではないかと。たまたま自分は運が悪かった。誰がここにいても同じ。だったら、何で自分なんだろう。自分じゃなくてもいいじゃないか。誰かに変わってほしい。心理的屈辱を味わうのは、自分でなくてもいいだろう。しかし、今ここにいるのは自分。
「……あなたは、結婚を控えた婚約者がいらしたそうですね。しかし、『好きな人が出来た』という理由だけで解消されてしまわれた。心中お察し致します。」
初対面なのだから、人の色恋なんて正直どうでもいい。御愁傷様ですの一言に尽きる。
「……あなたは、本当に『好きな人が出来た』という理由を信じていたでしょうか。『好きな人が出来た』程度で、お金の掛かる結婚を棒に降る価値はあるのでしょうか。
……………否。
そんなものは、ただの言い訳なのです。自分に自信のない女性は大概にして、別れる本来の理由を隠す傾向にあります。ましてや、相手を嫌いになったわけでなく、想いが冷めてしまったときには、最もらしい理由で切り抜けようとします。相手を出来るだけ、傷つけたくない、自分に対しての悪い印象を残したくない理由として。最後に申し訳なさそうに、悲痛に謝ることで完成されます。優しいあなたは、それには気がつけなかったのでしょう。」
貴哉は目をそらしていた。横顔だけで、"婚約解消"は真実だと語っている。
「理由など、一目瞭然です。だが、別れる理由には到底ならないこと。『好きな人が出来た』とは、色々な意味に取れます。きっと、あなたは上手く丸め込まれてしまって、彼女への印象は悪くはないのでしょう。
原因は、あなた自身にあるのは歴然です。何せあなたは、"誰にでも優しい"のですから。そのことが反って、相手を不安にさせてしまうのですよ。『自分は特別でありたい』。そう願っても、あなたは対等にしか扱えない不器用な方なのです。恋愛以外は器用であっても。あなたにはまだ『愛する相手』への愛し方が乏しいからに他なりません。こればかりは自分で体験し、覚えなければなりません。マニュアル通りでは、恋愛は成り立たないのですから。」
何の講義だろうか。諭すようないいように面食らう。
優しいことは、悪くない。寧ろ、頭が良くてルックスがいい。更に優しさがついてきたら、申し分ないではないか。
けれど、優しい人間は怒れない人間でもある。一概には言えないが、優しくあろうとするには、相手を否定出来ない人間が多いのも通りなのだ。
「優しさは時に人を傷つけます。あなたがフォローした者は、あなたが後始末をすることによって、成長を妨げられる。優しくされた女性は、欠点を知らず、改善されない。あなた自身は親切で行ったことも、相手にはありがた迷惑に成りうるのです。無意識な優しさは、凶器です。まざまざとあなたの実力を見せつけられるだけで、嫉妬を買ってしまいます。
……そのことにお気づきにはなられていなかったでしょう。優しいだけの人間もまた、心が成長できないわけです。気遣いがあるようで、無遠慮にも繋がるのですよ。優しい人間は、大概にして………自分が弱いことをカモフラージュしているのです。完璧人間を装うことにより、うやむやにしているわけです。ただの薄っぺらい人間性を優しさという張りぼてで覆い、隠しているだけなのです。」
そんなもの、ただの屁理屈に過ぎない。しかし、貴哉は言い返せるだけの強さがない。優しく、弱く、脆い人間だったから。間違っていないわけではない。けれど、話自体が彼を打ち砕くには十分だった。貴哉は、項垂れるしかない。確かにその通りかもしれないと思わせるには、十分過ぎるのだから。
「そんなあなたは、利用されやすいのです。後輩に踏み台されるか、上司に使われるか。優しさは、相手を増長させる餌になりうるわけです。あなたは正に、典型的な存在でしょう。
……いづれあなたは、必要なくなります。いてもいなくてもいいと思われるようになるまで、そう時間は掛からないのではないでしょうか。」
畳み掛けるように告げられた。 淡々として、まるで予言しているかのよう。貴哉に反論出来る隙はなかった。
優しく接すれば、皆が優しくしてくれるわけではない。偽善と罵られることも多分にあるわけで。人は優しい人ほど疑われる。巧みに嘘を操る人の方が、世渡り上手だったりするのだから。
優しさ、それは使い方を間違えば、自分が損をしてしまう可能性が高いのだ。一番の常識人に思われた貴哉。良い人間ほど損をする。
皆、自分のことで手一杯で、誰もフォローなんて出来ないし、したくない。出来そうなはずの夜々は、無言で成り行きを見ていた。
◇◆◇◆◇◆◇
執事は、スクリーンの向こう側から次のターゲットを吟味しているようだ。さながら、獲物を狙う、静かなる猛獣のように。
皆、視線をさ迷わせていた。
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