第25話 面影
メリュジーヌの声が聞こえなくなって頭が冷えたねぇ。
あたいは慌てて振り返り、置いてきてしまった男と妹が付いてきているか確認すると二人の姿が見えホッとした。
まさかあたいが我を忘れて逃げてしまうとは思わなかったねぇ。当分の間はメリュジーヌに、今回の件でいじられそうだから会いたくないけど、約束のこともあるからどちらにしろ人間を連れて行ったら今日の出来事を思い出すか。ああ、あとで妹にもこの件は他言しないようきつく言っておかないといけないとねぇ。
あたいは憂鬱になりそうな気持ちを抑え、追ってきた二人と巣に戻った。
巣に戻り男に服と食事を与えた後に、あたいと妹は他の妹達と監視役を交替して、食事をとり排便を済ませその日は眠りについた。
翌日の朝。今日は問題なければ子供が産まれる予定だ。朝起きたあたいは男の部屋前で監視を交替して、男が起きるのを待つ。起きたところで朝飯の果物をやり、便所に行きたいと言われ連れて行ったが、予想通りメリュジーヌに昨日のことでからかわれ、あたいはひきつり笑いを浮かべながら憤りを我慢していたが、その反応もメリュジーヌに取っては面白かったようで終始笑顔だった。
今回の水浴びで問題は起こらなかった。男が自前に布を持ってきており、それで執拗に身体を拭ってから服を着ていた。あれでは拭うというより擦ってるかのようだ。
何事も無く巣に戻ると妹達が慌ただしく「赤ちゃんが産まれるぞー!」と叫びながら走っていた。どうやら女王が産気づいたようだねぇ。女王に言われたとおり男を連れて行くしかないけど、未だに連れて行くことに抵抗を覚えるねぇ。
走り回っていた妹の一人があたいを見つけると急いで近寄って「ママが男を連れてきてって言ってました!」と言ったあと、また走って妹達に女王の産気を教えに行った。
女王の気持ちは変わってないみたいだし、連れてくしかないねぇ。
あたいは男に向かって顎をしゃくって付いてこいと指示した。
妹達は我先にと女王の部屋に走って行くのが見える。今の妹達はまだ出産を見たことがない子ばかりだから大騒ぎだよ。知ってる子の大体は死んじまったからねぇ……
妹達の姿を見てしみじみとした気持ちなりながら女王の部屋に歩を進めた。
まあ見たこと無いから子ばかりだから、こうなってるとは思ったよ。
目の前には大量の妹達が子供が産まれるとこを見ようと、女王に群がってる光景が広がっていた。
「道を開けな!!」
あたいが叫ぶと妹達は振り返って、あたいの顔を見るや否や脇にずれて女王までの進路ができる。その道を進み女王の目の前まで着いた。女王は辛そうな顔をして横たわっていた。
相変わらず出産は辛いようだねぇ。いや、久しぶりの出産だから辛いのかね?まっ、あたいは幾度か出産を見てきたけど、出産を体験したいとは思えないね。さて、呼ばれた男はどんな感じ……って、固まってるじゃないのさ。
あたいが振り返ると男は女王の顔を見て、顔面蒼白になったかと思うと血の気が戻り、頭を手で押さえて考え出したりと落ち着きがない。あまりに挙動不審過ぎて、腰に巻いてる剣の柄に手を置いていつでも抜けるようにする。
男に気付かれないよう後ろに回り込んで、周りの妹達に離れるよう手で指示してると、女王が苦しみながらもあたいを見てるのに気付いた。目で「なんだ?」と訴えると女王は男を指さししてから手招きをしたあと、また目を閉じた。
はぁ……なんで、この男にこだわるのかねぇ。
あたいは心の中で溜め息を漏らし男に目を向ける。そこではうじうじと頭を抱える男がいた。悩んでる男の姿を見ていると「こいつは何を悩んでるんだい?男なら支えろ」という憤りがふつふつと沸いてきて、憤りをぶつけるかのように男の背中を思いっ切り叩いて女王の前に押し出した。
バシン!!っと良い音が響いたんだが、叩いた感触が樹木などを叩いたかのように堅い感触で、背中を叩いたあたいの手はひりひりと痺れてる。
あの感触はなんだったんだい?
未だに痺れる手を凝視して考えにふけってしまう気持ちをぐっと抑え、今は男が変な行動をしないか監視することに集中した。
男は持っていた布で女王の顔に浮かんだ汗を拭っている。拭っている男の表情はまるで心配しているかのような顔をしていた。
普通の男なら、魔物に加担したことによる後悔したような表情になるんだが、この男は心底心配した表情をしている……どこかおかしい。
男が布で汗を拭ってると女王が叫び出した。突然のことに男は身体をびくりと震わせ驚いている。
あたいは急いで女王の身体をうつ伏せにさせた。あとは子供がせり上がってくるのを待つのみ。その間はまた男の監視を続けられる。男は女王の手を握り何か一生懸命行っている。その姿を見て昔の母と父との姿がデジャヴュした。
ああ、前女王の時も同じような光景をみたねぇ。確かあの時も愛し合った父があんな風に手を握って母を励ましてたっけ。
懐かしく、幸せだった時の思い出が、まさかこの男と重なるとは思いもしなかった。記憶を思い出してる間に女王の針が口を開いてゆく。
そろそろ妹を受け止める準備をしなくっちゃあねぇ。
あたいは急いで、だけど慌てずに針の前に立ち。せり上がってくる子供から目を離さず待った。これで受け止め損なったら、甲殻が柔らかい子供が地面に激突してどうなるかわかったもんじゃない。
子供が針の先端に近付くにつれて、周りのざわつきが治まり静かになっゆく。女王の叫び声だけが静まり返った部屋に大きく響く。
叫び声が絶叫に変わった。産まれる。あたいは急いで四つ手を針の入り口に差し伸べると、ぬるりと針から妹が出て手のひらに落ちてきた。
あたいは子供の肺に入った液体を出させようと手を動かそうとした時、子供が自力で液体を吐いて産声をあげ始めた。その声を聞き周りの妹達は歓声をあげたが、あたいは嬉しさより無事産まれたことにほっとした。
「自力で液体を吐き出して声をあげるとは、この子は強い子に育ちそうだねぇ。誰か柔らかい布持ってるかい?」
近くにいた妹があたいの言葉を聞いて布を手渡し、その布であたいは赤ちゃんの身体に付いた液体をある程度拭ってあげ、妹に礼を行ってから布を返した。
さて、あとは女王にまかせ……あん?
女王に目を向けると目で男に赤ちゃんを渡せと言っていた。
いやいや、いやいやいや。今の状況だってあたいは嫌だってのに、それに重ねて子供を渡せ?……いやいやいや。
あたいは全力で首を横に振って否定したが、それでも女王は諦めず、あたいに訴え続けられ根負けした。
いつもならあたいの主張が通るんだけど、どうにも今回の件では女王に頭が上がらない。男の行動を見てるせいか、あたいも強く主張できないのも原因かも知れないねぇ。
あたいは自分に対しての主張できないことへの失望に、大きな溜め息をついて肩の手で男を叩いて振り向かせた。
男は女王に子供を渡すものだと勘違いして脇に寄った。
違うんだが、このまま女王に子供を渡してしまおうか……けど、それをすると女王怒るだろうねぇ。
未だに思い悩むあたいに「片目」と女王が優しく語りかけてきた。女王からの駄目押しに、あたいはしぶしぶと腕の子供を男に押しつける。すると、男は胸に押しつけられた子供を見て固まっていた。
そりゃあ固まるだろうねぇ。大切な子供を渡されるとは夢にも思わないだろうから、あたいだって動揺して固まってしまうねぇ。
男は恐る恐る子供に手を伸ばし腕に抱いた。抱き方がなっちゃいないねぇ。予想通り子供は泣き出し、見かねた女王が抱き方教え始めると、あたいは男の右後方に移動して男、子供、女王が見える位置で監視の仕事に戻った。
女王の教えたかいがあって子供は泣き止み、暇になった男は指で子供の髪を撫でながら微笑んでいた。
何を思ってそんな笑みを浮かべるんだ?
その様子を見ていた女王は自分も抱きたいと思ってうずうずしていたが、我慢出来ず男に手を伸ばし催促しだして女王に子供を手渡した。女王は母親の顔をして我が子に愛しい表情を向けていた。その感情は行動にも出ており、赤ちゃんを優しく包み抱き、ゆっくりと腕を揺らして子供に快適な環境を作っていた。
何年ぶりかの子供だから、今年産まれてくる子は相当愛されるだろうねぇ。
そんな女王と子供を見て、今度は男がうずうずしだし手を伸ばし始める。男の行動を見逃さなかったあたいは、刃が音を鳴らさないように剣を静かに鞘から抜き上段に構え、首を切り飛ばす準備をした。
女王は男の行動に何も言わない。
いくらなんでも気を許しすぎだよ!?
あたいは女王の態度に心の中で舌打ちをして、男の行動を見逃さないよう瞬きもせずに監視する。
男の手が子供の頬に触れると、現実であるのを確かめるかのように、ゆっくりと撫でていく。子供はくすぐったかったのか愛らしい声で笑い、子供の表情に釣られて男の表情も緩む。
子供の興味が頬に触れてる指に向かい目を注いでいる。そして子供は四つの手で男の指をぎゅっと握った。すると、何故だが男は目を潤ませ涙しそうになっている。
何があんたの心をそこまで震わせたんだい?
男の行動や心情が全くわからない。いや、男の行動は理解できる。だが、人間が、それもあの仇となった男が、どうしてあたい達と普通に接することができるのかがわからない。
脳裏に昔の母である女王と男の影がちらちらとよぎる。
女王が自分のことをママと呼ばせようと子供に教えてる。
思い出にいる母である女王も同じようにしていた。
男も今度は自分をパパと呼ばせようとしている。
違う。あれは昔の父と母ではない。そう頭ではわかってるのに男の姿が重なってしまう。
子供が男の指を捕まえて、産まれてまもない言葉ながら一生懸命パパと呼ぶ。その姿を見て男は感激してか、さっきは出なかった涙が頬に流れていた。その姿がまた父と重なる。
あれは父ではない。断じて違う。
頭を振って思い出を振り払おうとするが、父と姿が似てもいないのにどうしても重なる。
父の面影を男から引き剥がそうと躍起になり、男を叩いた時の疑問を忘れてしまっていた。
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