街-1-心臓(あるいはおっぱい)

 これまで全く平らだった、はじまりの草原から続く一本道が、次第に上り坂となってきた。

 エリスは少し息が上がっている僕の様子を伺い、声をかけてくれる。


「ちょっと休んでから行こうか? 来たばかりで、まだこの世界の空気に馴染んでいないんだよ」


「そうかもしれない。でも、上まであと一息だから、行くよ」


 僕の腕に両手を回して、とても心配そうにするエリス。

 僕の重い足取りに対して、エリスの細くて白くて繊細な脚は軽やかに歩みを続けている。


 上り坂のてっぺんまで登りきると、その向こう側に街が見えた。


 白い石造りの外壁のヨーロッッパ風の建物群。

 間には深い峡谷があり、街と坂を隔てている。

 遥か下の方に川幅の広い、流量のとても多い川が見える。


 ここから街までは、渓谷を跨いで架かる、赤い鉄製の一本橋が唯一の出入り口になっているようだ。


 さながら天然の要塞のようになっている街。


「すごいな、この眺め、絶景だな」


 街とを繋ぐ峡谷のに跨る一本橋は、とても幅が狭く軽自動車が一台通れるか通れないかくらい。

 鉄製の赤い手すりは網の目状になっているだけで、橋の両側から容易に下が見渡せる構造。

 変な風に転んだりしたら、隙間から谷底に落ちてしまいそうだ。


「さ、さあっ、行きましょっ」


 繋いでいるエリスの手が小刻みに震えているような。


「もしかして、エリス、この橋渡るの怖いの?」


「えっ……、エリスは、全っ然怖くなんかないよ。ご主人サマが怖くないように、ちゃんと手を繋いであげてるんだからね!」


 一人の時はどうやって渡ってきたんだろう。

 でも、街を目前にして、このままこうしていても仕方ないしな。


「僕がついてるから、大丈夫だから」と言ってエリスの頭を撫でる。

 サラサラの髪の毛が、初夏の風を含んだ感触を手のひらに伝える。

 繋いだ手をさらにぎゅっと握りしめ、こっくりと頷くエリス。


 一本橋の上は思ったよりも風が強い。

 しかも金属製の橋なのに、なんかボヨンボヨンして揺れているんだけど。

 渓谷の上を揺蕩う風の流れに、左右から翻弄される。

 視線を下ろすと、遙か下に川の流れが見える。


 足元の小石を蹴ってみる。

 いち、に、さん、しー、ご、……ぽちゃん。


 あー、水面までかなり距離がある、こりゃ結構怖い。


 その時、不意に突風が吹いた。


「きゃっ!」


 エリスはとっさにその場に座り込んでしまう。


「うー、エリスねお化けとこの橋だけが苦手なの。他の高いところはなんともないんだけど」


 そうだよな、エリスのような小さな体じゃあ吹き飛ばされてしまいそうだもんな。


「よし、掴まれ!」


「う、ん⁉︎」


 座り込んでしまったエリスを抱きかかえることにする。

 お姫様抱っことかでは無い、子供がしがみつくような抱っこの仕方。

 エリスの両腕が僕の首に周り、大股開きで真正面から抱えられる形になっている。


 そして、峡谷の一本橋の上を、走る。


「きゃあああああ、やめっ、走らないでー!」


 手のひらに当たっているエリスのお尻が柔らかい。

 脚とか腕とかみな細くて、とっても華奢だと思っていたけれど、お尻はこんなにむちむちしてるんだな。

 思わず、ちょっと力を入れて揉んでみる。


「お尻ふにふにしてもいいけど、しないでー!」


 バレた。


 バレても冷静を装い走り続ける。

 僕のストライドに呼応して、橋は、ぼわんぼわん揺れている。


 よし、あと少し!


 橋の向こう側にたどり着くと同時に、崩れ落ちるようにしてエリスを下ろす。


 慣れない空気の中走ったこともあり、心臓が早鐘を打っている。


 膝をついて息をしている俺の頭に、エリスの小さい手があてられる。


「怖かったね、ありがとうね、よしよし」


 どうしてもお姉さんぶりたいらしいエリス。

 こんなにちっちゃいのに。


 エリスも怖かったようで、小鹿のように膝がガクガクしちゃってる。

 少しだけ、ほんの少しだけ性的に見えるのは僕の心が汚れているからだろうか。


 僕の息が整ってきた様子を伺って、エリスが声をかける。


「大丈夫? 苦しくない? ぎゅーっとしてあげようか?」


 ぎゅーっとすることと、息が整うことの関係がわからないが、とりあえずもう大丈夫だ。


「じゃあ、これから街に行こうと思うんだけど——」


 エリスが語り始める。


「まず、人がいっぱいいるから気をつけてね。

 買い物とかの交渉ごとは、全部私がやってあげるから大丈夫なんだよ。

 何かいやな事があったらすぐに言ってね。

 もし、人が多くてダメそうだったら薄暗い路地裏で抱きしめてあげるからね、そしてすぐに家に帰ろう」


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


「そんなことないよ。君にとっては知らない街だから。不安になったら、どこでもエリスのおっぱい触っててもいいんだよ」


 むき出しの形の良い鎖骨の下、清廉な白いワンピースに包まれた、胸のなだらかな膨らみに目を向ける。


「エリス、おっぱい、あんまり無いだろ」


「そんな事ないもん! 小さくても柔らかいし、エリスの心臓の鼓動を感じられるから安心するよ」


 エリスは僕の手を取って、自分の胸に押しつける。


 ちょっとだけふにゃとした感触がした。


 エリスの心臓が脈打っているのがわかる。


 どく、どく、どく、どく。


 鼓動がだんだんと早くなっていく。


 上目遣いのエリスの頬が、ほんのちょっぴり紅く色づく。


 このままエリスの紅潮した顔を見つめていると、感情が高ぶりすぎてしまいそうなので、心臓から手を離してエリスの手を握る。


 また、本当にいやな事があったとき触る事にする。


 胸から手を離したときにエリスは一瞬泣きそうな顔をしたが、手を握り直すとにこにこ顏に戻った。


「それじゃあ、街に行こうね!」


<つづく>

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壁の中の世界(すみれのように可愛くて、はちみつのように優しいお手伝いさんがいる場合) 迷光ろぼと @roboto3

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