2. 中村亜希
タイムラインを更新した瞬間に、スマートフォンを握る手が震えだした。うまく画面をスクロールすることができない。暖房の効いた部屋のなかで、心だけが急に冷えきっていく。
この趣味で繋がっている人だけをフォローしているわけではなくて、むしろお笑いライブなんてものが東京で、一日に軽く十以上行われていることすら知りもしない人が大多数だ。だから、その日のテレビや社会問題、あるいは会社に対する個人的な愚痴、そういうものでタイムラインは埋まっていて、隙間を縫うようにその報せは点々と跡を残していた。
何年かライブを観てきていれば、何度も何度も、数えきれないくらいに聞いてきた報せだ。それは時限爆弾のようなもので、いつもどこかで爆発している。客はみな、遠くで爆発音を聞いてその風圧を感じながら、自分が爆発に巻き込まれることを恐れている。明らかな予兆があることもあれば、まったくないこともある。そして、わたしの身体は今、爆風の中心で散り散りになっている。
初めて観たつもりでいても、実はそれ以前にも観たことがあったということが時々ある。わたしが彼らを初めて観たのも、実は《あのライブ》ではなくて、五年前に開催されたコントの賞レースの一回戦だったらしい。らしいというのは、本当にまったく記憶に無かったからだ。後々トークで聞いた話では、漫才師である彼らが、コントの賞レースに出たのはその一回きりだったらしい。ネタの内容を聞いても思い出せなかった。
だからそれはカウントしないとして、三年前の《あのライブ》だ。なんだかよくわからない、得体の知れないライブだった。会場は普段、音楽のライブで使用されているライブハウスらしく、初めて来たところだったし、それ以降行くこともなかった。主催は当時、彼らと同じ事務所にいたピン芸人だったが、そのライブの数ヶ月後には事務所を離れ、今でも芸人を続けているのかも分からない。内容はネタとトークのオーソドックスな構成のライブだったが、とにかく雰囲気が異様だったことを覚えている。全体的に客が冷たく、お世辞にもいいライブとはいいづらかった。当時に気になっていたコンビが複数出ていたので行ったのだが、観に来たことを後悔していたほどだった。
二回目の中MCの直後、「くまパジャマ」が登場するまでは。
暗転。闇の中で、誰かがサンパチマイクを舞台の中央に置く(前の出番も漫才師であるなら、そのまま。コントなら小道具を置く)。
誰かが去り、また静まり返る(または演者が現れて、板付く)。
不意に出囃子が鳴り、コンビ名が呼ばれる。明転。
ひとつのライブで、多ければ何十回も繰り返される流れ。何ら特別なものではない。けれども、その後の数分はもしかしたら特別な時間であるのかもしれない。そして、その特別な数分はかならずこの決まりきった流れとともにある。
小走りに、サンパチマイクの前に向かう二人の男。くまパジャマですお願いします、という定型の台詞。ふたりとも、かわいらしいコンビ名に似合わない揃いの黒いスーツでネクタイも黒く、喪服のようだった(コンビ名をわずかに聞いたことがあるくらいだったわたしはまだ二人の個人名を知らなかった)。向かって左側に立つ男は小柄で背が低く、眼も隠れるくらいに伸ばした髪の向こうから相方をまっすぐ見据えていた。そして切り出す。
「最近気になることがあるんだけど」
この言葉に応える、向かって右側に立つ相方は対照的に背が高く、いかにも常識的なツッコミという雰囲気だった。
「何だよ、急に」
「輪廻転生って本当にあんのかな?」
漫才の筋としては、序盤はボケの真藤さんが輪廻転生について相方に説明を行う(その間に大喜利的なボケが挟まれる)。そして、後半では輪廻転生が本当にあるかを確認するために真藤さんが相方を殺害しようとする、というものだった。
正直な話、大きくウケていたわけではなかった。話の展開からして不自然な、ボケるためにボケているような感じのする箇所が全体の流れを止めていたし、後半の展開についていけない客もかなり多かったようだった。ただ、わたしは。
喪服のような装いに身を包むふたりを、原色のぎらぎらした光が照らしていて。そのなかで行われるやりとりはこの世のものではないように思えた。彼らはわけのわからないことを言っていた。けれども、わけがわからない言葉だけが連れて行ってくれる場所がある。自分がなんで笑っているのかわからなくて、それでも笑ってしまう時というのがある。
そういう時は、語弊のある言い方をすれば面白いから笑っているのではなくて、信じている常識や価値観が壊されて、その衝撃に対する反射的な動作を起こしているだけなのかもしれない。笑い声とともに吐き出されるものがある。吐き出されてからわたしは、それが自分のなかの澱であることに気付く。ただそれは、あくまで《お笑い》という場のなかで、周りもみんな笑わせるためにネタをしていて、彼ら自身ももちろん笑わせるつもりでいて、だからこそ不意に深く突き刺さる類のものだ。
相方の殺害に失敗して、真藤さんが何事か叫びながら袖にはけていく。それを黙って見送った相方が、客席に向き直り、ありがとうございましたと言いながら深く頭を下げた。暗転。
次の組の名前が呼ばれるまでの一瞬の間に、わたしは、彼らのことを可能な限り追いかけていくことに決めていた。そして思い出した。最初からどこかでひっかかっていた。うっすらと憶えていた。くまパジャマですお願いします、と名乗った彼らはそもそも、豊洲センターであったことを。調べてみても、改名したわけではなかったようだった。
これだけ特殊なことをやっていれば、感度の高いお笑いファンの間ではすでに「くまパジャマ」の存在が知られているだろうと思っていたが、ウェブで検索してみてもそういう痕跡はない。豊洲センターで検索した結果のトップに表示されるのは、事務所が作成したプロフィールページだが、そこに掲載されている宣材写真での彼らは喪服のような装いはしておらず、特に真藤さんが髪を後ろにまとめていて、あの時ライブで観た印象とはまったく異なっていた。
そのギャップの正体を確かめたくて、わたしは彼らが出演する事務所ライブに足を運んだ。そこでの彼らは豊洲センターと名乗り、宣材写真の姿をして、ひどくつまらない漫才をしていた。いや、つまらないというのはわたしの主観で……他の誰かがこの漫才をしていたら、たぶん笑っていたと思う。テンポが早くて、わかりやすいボケと天丼を基軸にした構成。けれどわたしは、あの変な漫才を観てしまったから、それでは満足できなかった。全然色が違うふたつの芸風と名前が、どのように使い分けられているのか、わたしにはわからなかった。なら、結局、直接訊くしかない。
これまで、出待ちをしたことはなかった。もともと演者と客の関係は舞台と客席の間だけで完結しているものだと思っていたし、向こうから発信されるもの以外に、こちらから求めているものなんてない。ただ、このことについては、彼らから発信される情報はまったくといっていいほどなかった。
ライブ後(その日も「あの」漫才ではなかった)、いつもはすぐ立ち去る劇場の前に、留まる。客の知り合いもいないので、どの辺りで待てばいいのかもわからない。客の流れを観察して、その隅に移動する。本当にここにいればいいのか半信半疑だった。
彼らが出てきたのは、二十分が経ったころだった。客観的にいって特に人気があるコンビではないので、寄り付く客はほとんどいない。わたしはぼんやりとした表情で駅の方へ向かう真藤さんに声をかけた。少し足が震えて情けなくなる。真藤さんは、道路に生きた蛙が落ちているのを見つけた時のような表情で、わたしを見た。
「あ、あの」
「うん」
「面白かったです」
嘘だった。
「……ありがとう」
なぜか、探られているような気がした。
「あの、こないだの」
言葉が出てこない。別の芸人とそのファンが、愉しげに何か話しているのが聞こえた。視界の向こうではホームレスが道の上に横たわっている。自分が何をしているのかわからなくなった。
「こないだの?」
促されて、ようやくわたしは、あのライブの名前を口にした。
「くまパジャマは、他ではやらないんですか?」
そう訊くと、真藤さんは周りを見渡して、声を落として言った。
「あれは、事務所に黙ってやってるから」
「ああ、……そうなんですか」
それは予想の範囲内だった。
「今後やる予定とかは……」
「うん、まあ……月に一度くらいは」
口ごもる。
「あっても、俺からは告知できないから。探してもらわないと」
「探します探します、はい、あ、はい」
「そう、うん、よろしくね」
なんだかひどく冷たい対応をされているように感じた。どういうつもりでくまパジャマとしてネタを披露しているのか、他にも訊こうと思っていたことはいくつもあったのに、言葉にすることができなかった。訊いてはいけない気がした。眼の前にいるのに、ひどく遠い場所にいるようだった。
「あ、じゃ……が、がんばってください。すいません」
なぜ謝るのか。
「うん、ありがとう」
ちょうど、小雨が降り始めていた。わたしは早足でその場を去りはじめ、やがて駆け足になった。失敗した、と思った。実際に振り返ってみても、何を失敗したかわからない。そもそも、失敗する余地もないくらいの量の会話しか交わしていない。しかし、決定的に間違えたと思った。
結局それ以降、一度も出待ちすることはなかった。
真藤さんが言う通り、くまパジャマは平均して月に一度のペースで小さなライブに現れていた。わたしはTwitterで毎日のように〈くまパジャマ〉と検索しては予定を入れて、同僚に白い目で見られながら定時に退社した。
それと並行して豊洲センターの舞台も極力観に行くようにしていた。結局、豊洲センターとしての彼らに魅力を感じることは最後までなかった。ネタは面白くも巧くもならず、トークではたいしたオチのない話を延々と続け、もうそれなりの芸歴なのにエンディングで見境なく前に出ては空気を壊す。その度にわたしは声に出すことなくため息を吐き、くまパジャマのことを思う。くまパジャマをより良いものと感じるために、豊洲センターを観ていた。不健康なファンだった。そんな日々が、幾年か続く。わたしにも彼らにも、大きくいえば何も起こらなかった。ただ、歳をとった。
昼休みに惰性でリツイートしたが、真藤さんが告知したライブには行くつもりがなかった。豊洲センターが出演する舞台で観て気になった別のコンビのトークライブがあったからだ。くまパジャマの出演するライブには変わらず通っていたが、豊洲センターを観る頻度は減っていた。それが自然なことで、これまでがどうかしていたのだと思う。
一時間半の残業を終えて、お疲れさまでしたと呟き、会社を出た。いつもは電車のなかでTwitterを眺めたりするのに、この日は家に帰るまでスマートフォンを取り出すことがなかったことも、何かの予兆だったのかもしれない。夕食の準備だけを済ませ、一瞬後に見ることになるツイートなど想像することもなく、わたしは更新アイコンに親指を置いた。その指を離さなければよかった。
ショックだったことは間違いない。ただそれが、もうくまパジャマを観ることができないからなのか、あるいは豊洲センターにもいつの間にか情が移っていたのか、くまパジャマでもあり豊洲センターでもあるふたりをもっと観ていたかったからなのか、もう自分でも判別できなかった。まだ少しだけライブが残っていたが、それらに出るどうかはまだはっきりしていない。ただ、たぶん、くまパジャマでの出演はもうないだろうし、そうであるとわかっていてまだ豊洲センターを観に行くのか。……わからなかった。
いびつな形だったとはいえ、何年も同じコンビを追いかけたのは初めてだったし、おそらく最後だろう。あと何度この夜を思い出すだろう。……いや、もう二度と思い出すことはないかもしれない。だいたい「何年も同じコンビを追いかけること」が最後であるかどうかだってわからない。今度、トークライブを観に行くコンビがそうなるかもしれない。わたしは悲しんでいるようで悲しんでいないのかもしれない。悲しむように自分で自分を仕向けているだけなのかもしれない。わたしの一部は醒めているような気がするけどもそれすらはっきりしたものではなくて、どこまでが自然な自分でどこからが自意識のための作為なのか曖昧だった。ただはっきりしているのはこの先も時間が過ぎるということだけだ。このままでは食事が冷めてしまう。空腹も当然、ひどくなる一方だ。
真藤さんの告知ツイートのリツイート数は五で止まっていた。解除しようかと一瞬思ったが、思いとどまった。そうすることで、彼らの数年を、自分の手で葬ってしまうような気がしたからだ。その権利はわたしにはない。誰にもない。彼らにだって、ない。
わたしはスマートフォンの画面をオフにして、箸を持った。それが今わたしがすべきことだ。
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