復活

 "復活"を演目とするにあたり、抱月は劇の主人公を沢田正二郎演じる若い貴族ネフリードフから須磨子が演じるカチューシャへと変更した。これには抱月は須磨子に甘すぎると何人もが異を唱え、正二郎ら幾人もの座員が芸術座から去って行った。


 "復活"の演目は大いに受け、日本全国の巡業はもとより、台湾、朝鮮、ハルピン、ウラジオストック巡業など最終的に巡業先は195ケ所444回もの公演を実施する事となる。各地からは続々と公演のオファーが舞い込んでいた。また、劇中歌は抱月と相馬御風が作詞、晋平が作曲したカチューシャの唄で須磨子が唄った。当時2万毎も売上るほどの大ヒットとなり、全国に「カチューシャかわいや」とそのメロディーが流れ、須磨子は日本初の歌う女優と言われた。時代が須磨子を受け入れた。

 須磨子フィーバーは全国に広がり、松井須磨子、芸術座の名が人々に知れ渡ったのである。

 幾度となく故郷の信州での巡業も実施され、大正六年四月の凱旋公演となった松代での巡業では母や姉、叔母たちが見に来てくれた。

「正子、すっかりきれいになった正子を観れて母さんはうれしいよ」

「ありがとう母さん。わたしもこの故郷で演じることができてうれしいわ」

「みんなが正子を観に来てくれているんだねえ」母は須磨子の手をとり涙を流した。

須磨子は少しは恩返しができた気がした。そしてこの頃須磨子は姪の久子を戸籍上養子に入れている。


 相馬黒光は本名は良という女性である。かつての文学の恩師から、あなたの文学の才能を、黒で隠しなさいと言われ黒光と名乗っている。仙台出身であるが、夫の愛蔵と共に夫の郷里である信州の安曇野で2年ほど生活していたが、黒光がその生活に合わず、東京に出てきて二人で新宿中村屋を夫と共に起業、成功させた人物である。黒光は芸術家達との親交も深く、芸術を愛し中村屋には多くの芸術家が集っていた。


 ある日、抱月に連れられ中村屋を訪れた須磨子は黒光を抱月より紹介された。黒光は田舎から出てきてこの東京で生きる須磨子に興味を持ったのか、須磨子を可愛がり、須磨子と連れ立っては演劇を観にでかけた。時には日に3本もの演劇をはしごしたことさえもあった。

「ねえあなた、須磨子さん。あなたは女にしか、須磨子さんにしかできない演劇をやればいいのよ、あなたはそういう運命のもとに生まれたのよ。男になんか絶対負けちゃいけないわよ」

須磨子は東京にもう一人の姉が出来たと思い、黒光に連れ立っては出かける日が多くなっていった。


 大正4年の暮れには悲願であった芸術倶楽部が牛込横寺町に完成し、抱月と須磨子が移り住み同棲することとなった。


 須磨子にとっては夢のような日々であった。抱月との生活、そして公演。須磨子は抱月に言った。

「こんな幸せな日々は無いわ。これも先生のおかげよ。私と先生はずっと一緒よ、死ぬ時だって」

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