諭旨退会
逍遥は抱月と須磨子の問題をどう対処しようか、思い悩んだ。文芸協会はやっと世間に知られ始め、これから大きく羽ばたこうとしている。
今、この問題が世間に知られるようなことになったら、大きな批判を受けることはわかりきっていっている。須磨子はともかく、抱月は妻も子もある立場である。文芸協会の倫理感を問われかねない。
逍遥は事務の女の子に抱月を部屋に呼ぶように伝えた。
しばらくすると抱月が部屋に顔を出した。
「お呼びですか、坪内先生?」
「ああ、ここに座ってくれ」逍遥は自席の前に置いてある椅子に促した。
「これを見てくれ、これは君のものかね?」逍遥は市子から受け取った手紙を抱月に渡した。
「こっ、これをどうして、坪内先生が?」抱月は驚きの表情を逍遥に向けた。
「先ほど、君の奥方が見えてね。置いていったのだよ」
「い、市子が」
「ああ、この小林というのは文芸協会の女だろうと言ってね。とりあえず調べますからと言って帰ってもらったよ」
「そうだったのですか」抱月の顔から血の気が消えた。
「これは、須磨子君のことかい?」
「......」抱月から言葉は出てこなかった。
「とにかく、包み隠さず教えてくれ。君と須磨子君は男と女の関係なのかい?」
「......はい」消え入るような声が抱月の口から出た。
「そうなのか」逍遥は落胆した。
「ただ、これは全て私の責任です。小林君には何の責任もありません」
「別れるつもりはないのかい?」
「.....今は、私にとって彼女が必要です」
「君とこの研究所を始めた時に話したねえ。スキャンダルなどと縁の無い清廉な俳優を育てようと。だから研究所内での恋愛を禁止にしたのだよ。忘れたのかい?」逍遥は諭すように抱月に言った。
「いえ、忘れてはいません。今でも私もその考えです。ただ、彼女は新進の女優であると同時に私にとって必要な女になってしまった」逍遥も大恋愛の末結ばれた身である。その気持ちがわからないでもない。
「いいかいこのことが外に漏れたら、芸術協会にとって大変なことになる。市子さんにも何にもなかったと伝えよう。君は隠し通せるかい?」
「何が何でも隠し通します」
「わかった。但し、当分は稽古以外での小林君との接触を禁じる。その手紙は君に返すよ」
「すみませんでした」抱月は頭を下げ席を立った。
逍遥は一人になると、須磨子に聞くべきか迷った。抱月に続けて須磨子を呼ぶと、研究所内に変に勘ぐるものも出てくるだろう。今日はいいいだろう、そう思うと、机の名から便箋を取り出し、市子に向けて手紙を書いた。
手紙には二人を問いただしたが、そのような恋愛の事実はなく、女優である須磨子の劇での感情を昂らせるために見本で書いたものだったと綴った。
逍遥は手紙を書き終えると、自分から抱月の席に向かった。
「これを市子さんに渡してくれ。この通りのことだ」逍遥は抱月に手紙を渡すと、戻っていった。
抱月はその手紙を開いてみた。その表情は落胆にくれていた。
抱月は仕事を終えると、暗い表情のまま自宅に戻った。
台所で夕飯の準備をしている市子に逍遥からの手紙を渡した。
「こういうことだ。変に勘ぐらないでくれ。それに、君は勝手に人の机の中を粗探しするような下品な女だったのかい?」
「あら、何をおっしゃっているの?引き出しが少し空いていたから気になっただけよ。それに坪内先生のこの手紙本当のことなのかしら」市子は逍遥の手紙を見ながらそう言った。
「君は坪内先生のことも信じられないのかい」
「そんなことはないけど。今日のところはこれで納得することにするわ。さあお夕飯にしましょう」
市子は娘たちや晋平を呼びに2階へ上がっていった。
夕飯の席での会話は無かった。娘たちも晋平も二人の様子に異変を感じたのか、さっさと夕飯を済ませると2階へ戻っていった。
子供たちや晋平は部屋に戻り二人切りになってもその間には会話は無かった。
抱月は逍遥から須磨子への接触を禁じられたが、更に須磨子への思いは募った。自部屋に戻ると、酒をあおりながらその思いを紙に書き殴った。
それから、抱月は毎日自宅に戻ると、自室で詩や短歌として須磨子への思いを書きためるようになった。そして酒量も増えていった。
そして、数か月が過ぎた。
その頃、芸術協会に酒井という医師がたびたび顔を出していた。芸術協会のスポンサーでもあった。
逍遥に会いに芸術協会を訪れ、逍遥とともに舞台の稽古を見ることもしばしばだったので須磨子とも顔なじみであった。
ある日須磨子は芸術協会に訪れた酒井から料亭に誘われた。芸術協会のスポンサーであるわけだから無下に断るわけにもいかない。
「君は体の悪いところなどは無いのかい?」料亭で酒井が須磨子に聞いてきた。
「私は田舎で飛び跳ねて遊んでいましたから、体はいたって丈夫ですわ」
「でも、君のような看板女優に何かあったら芸術協会の今後に関わる、料理を食べたら、このあと私の病院で調べてあげよう」
「いや、いいですわ。そんな先生にも悪いですわ。私はいたって健康ですから」
「いや人の好意は受け取るものだよ」酒井はどうしても須磨子を病院に連れて行きたいらしい。
「は、はい」仕方なく須磨子は従うことにした。
病院へ連れて来られた須磨子は診療用のベッドに寝させられた。
聴診器を耳にした酒井が須磨子の着物を剥ぎ、聴診器を胸にあて診療を行う。
数か所確認し「ああ、大丈夫そうだ」そう言ったが、酒井は聴診器を外し須磨子の乳房に手を這わせた。
「な、何をするんですか」
「僕は前から君の事が好きだったんだよ」
酒井の手で体を押さえつけられ、唇を奪われる。
「や、やめて下さい。大声を出しますよ」
「ここは僕の病院だよ。今日は誰もいない。大声をだしても無駄だよ」
「そんな、やめて下さい」須磨子は抵抗したが、大柄な須磨子といえど男の手で押さえつけられるとどうしようもない。
「君だって子供じゃないんだろ、こんなことは一度や二度じゃないんだろ」
須磨子は犯された。事を済ました酒井は椅子に座り煙草をふかしていた。
須磨子は着物を直すと、即座に病院から駆けだした。その瞳からは続々と涙がこぼれでてくる。
抱月先生に会いたい。抱月の家の住所を思い出すと、須磨子は抱月の家に向かった。
抱月の家を探しあて、家の呼び鈴を鳴らすと晋平が出てきた。
「き、君は」
「先生に、島村先生に会わせて下さい。どうかお願いします」涙を流しながら須磨子は言った。
「そ、それはできないよ」
「本当にお願いします」
「誰なの?晋平さん」市子が玄関に顔を出した。
「あなたは、誰なの」
「島村先生の教え子です」
「もしかして、あなたが小林という女なの」市子は鋭い目を須磨子に向けた。
「はい」
「帰って、早く帰りなさい。ここはあなたが来る所ではありません」市子は大声で叫んだ。
騒がしい玄関の様子に気づいた抱月も出てきた。
「あっ、先生」
「小林君、どうしたんだ」
「先生、私酒井先生に襲われました」
「何だって」
「いいからあなたは奥に居なさい」市子が抱月に言う。
「それにあなたも、早く帰りなさい」そう言うと、市子は玄関の戸をぴしゃりと閉めた。
奥から抱月が心配そうに須磨子を見ていた。晋平は市子や抱月の様子をおどおどとみているだけだった。
もう季節は冬も近い。冷たい北風が須磨子を吹きつける。落ち葉の舞う道をとぼとぼと須磨子は帰途についた。
抱月の家では市子が抱月を罵った。
「やはり、あの手紙は本当だったんじゃない。あなたの言う事なんて信じられないわ」
「それなら、離婚してくれるかい?」抱月は本心からそう言った。
「そんなこと絶対許さないわ。あなたは私達を一生面倒みなければならないのよ」
東儀だけでなく酒井も須磨子を狙っていたなんて。抱月は我慢ならなかった。
何とか須磨子に自分の思いを届けようと抱月は書き溜めた詩や短歌を早稲田の雑誌「早稲田大学」に寄せた。それは翌月、11月に掲載された。
その恋歌は早稲田内で誰にあてたものなのかと噂になった。坪内逍遥もその「早稲田大学」を読んでいた。
大正2年の年が明けた。
逍遥は二人のことが気が気では無く、思い切って早稲田大学総長である高田半峰に相談した。
「実は高田先生のお耳には入れたくはなかったのですが、芸術協会の講師であり早稲田の教授でもある島村抱月君と演劇研究所の松井須磨子君が男と女の関係になっていまして。島村君は妻子ある身です。二人の才能をこれからも伸ばしていくためには、どうにかして二人を別れさせる方法はないかと思いまして」抱月は早稲田でも教鞭をとっていた。
「それは距離を置くしかないな」
「距離を置くとは?」
「僕は来週から奈良や大阪を周る。それに随行させて、そのまましばらく関西に身を置かせ、関西演劇文化でも研究でもさせようじゃないか。彼の頭もそれで冷えるだろう」
「お願いできますか」
「ああ、わかった」
抱月は高田に随行し、関西に出向くとしばらく大阪に身を置くこととなった。
抱月が居なくなった演劇協会では、松井松翁を脚本家に据え演劇公演が行われた。だがその起用は抱月を慕う生徒達から不満が出た。
逍遥の部屋にも学生が押しかける。
「何故、島村先生を起用しないのですか、坪内先生」
「それは、彼にもっと個性的な脚本家になってもらおうと今勉強してもらっているところだ」
「先生は既に一流です。これ以上島村先生を起用しないようでは芸術協会の演劇は質の低下を招きます」
「そんなことはない、松井先生も一流の先生だ」
「あの方の脚本では、僕らは演じる気にはなれません。島村先生を早く戻してあげて下さい」
5月になり、逍遥は仕方なく抱月を大阪から呼び戻した。
「大阪はどうだったかね?」
「はい、いろいろと勉強させていただきました」
「ところで、小林君とのことはもう終わりにできるのかね」
「....それはできません。大阪に居ても思いは募るばかりでした」
「どうしても別れられないと言うのかね、君」
「....はい」
「こんなことはいつかは外に漏れる。芸術協会がどうなってもいいというのかね」
「こればかりは、私の気持ちを押さえつけることはできません」
「もう戻っていい」逍遥は抱月にそう言うと、ぐるりと後ろを向き窓から外を眺めた。
その時、廊下でこっそりと二人の会話を盗み聞きしている者がいた。
東儀は抱月の席を立つ音に慌てて、その場を離れた。
その夜、
「珍しいな、東儀が家に来るなんて、学生時代以来かな。どうだ芸術協会の方は」
「まあ、何とかやっているよ。それより、今日は君にとっておきのネタを持ってきてやった」
「何だい?」
「君は松井須磨子は知っているかい?」
「おいおい、この仕事をしていて知らない者はいないさ」
「それじゃあ、島村抱月は?」
「君のところの看板演出家だろ、その松井須磨子を育てた」
「看板なわけじゃない。実はその二人は男と女の関係にある」
「何だって、それは本当のことなのか?」
「ああ、それも島村から言い寄ったんだ」
「島村抱月には妻も子もいるはずだろ」
「ああ、最低の男だ」
「それは大スキャンダルだ。書いてもいいのか?君の身内のことだろ」
「ああ、だが島村を悪く書いてくれ。松井須磨子は協会にとって必要な女優だ」
「しかし、島村抱月も看板だろ」
「演出家や脚本家は履いて捨てるほどいる。あいつがいなくても何とかなる」
「本当にいいんだな、改めて裏とりはするが」
「ああ、だが俺から出たネタだってことはくれぐれも言うなよ」
「もちろんだ。恩に着るぞ」
翌日から記者は須磨子と抱月を交互に見張った。
3日ほど見張り続けたが中々外で二人になることは無かった。
記者は再度東儀に会った。
「おい東儀、あのネタは本当のことなのか?3日間見張ったがまるで接点は無かったぞ」
「本当のことだ。坪内先生も知っている」
「坪内逍遥が?だったらもう少し見張ってみるか」
「ああ、何なら見切り発車でも書いたらいい。俺が保証する」東儀は冷酷に言い放った。
東儀はとにかく抱月を潰したかった。そうすれば自分が芸術協会のNo.2になれるかもしれない。そうすれば、須磨子も言うことを聞くしかないだろう。
「いや、新聞記者としてそれはできない。もう少し見張ってみるよ」
その翌日、学校を終えると須磨子が道に出てきて誰かを待っている。記者は色めき立った。
10分程して出てきたのは坪内逍遥だった。須磨子は坪内逍遥と連れだって歩き出した。記者は首を傾げながらもその後を追った。
須磨子と逍遥は割烹料理屋に入って行った。
「悪いね、こんなとこまで呼び出して」
「いえ、そんなことは無いです。おいしいものをご馳走して下さるのですか?」須磨子は無邪気に逍遥に言った。
「まあ、そんなところだ。好きなものを食べなさい」
「そんな。坪内先生と同じ物でいいです」
「そうか」逍遥は仲井に料理を注文した。仲井は注文を聞くと下がって行った。
「ところで、小林君、君に聞きたいことがあるのだがな」
「何でしょう?」
「君は島村君のことをどう思っているんだ」
「えっ、島村先生ですか。島村先生は尊敬する先生ですわ」
「男としてはどう思っているんだい?」
「そ、そんな。素敵な方だとは思いますが、先生には奥様も子供さんもいらっしゃいますわ。それに坪内先生は研究所内での恋愛は禁止されているはずですよね」
「そうなんだ。実はな、島村君から聞いているのだよ。君らのことは」
「えっ」須磨子の顔色が変わった。
「君から、別れる気はないかい。君は一流の女優になりたいはずじゃなかったのかね」
「そ、それはそうですが、島村先生が私をここまでにしてくれました」
「ああ、恩師と生徒という関係はこれからも続ければいいんだ。どうか、君から島村君に別れを切り出してくれないか」
そこに仲井が料理と酒を運んできた。
「まあ、酒でも呑もう」須磨子は銚子をとり、逍遥の猪口に酒をついだ。続けて逍遥も須磨子の猪口に酒を注いだ。
仲井が、何かあれば呼んで下さいと言い残し部屋を出て行った。
酒を飲みながら逍遥が聞いてきた。
「どうだろう、先ほどの話は」
「でも、私には先生を裏切るようなことはできません」
「大いに恋をするのは結構だ。だがな君はまだこれからの女優だ。もっともっと芸を磨かなければならん。それにまだ若い。皆か一流の女優と言われるようになってからでも恋をするのは遅くはないのじゃないのかな」
「それはそうですが......少し考える時間をもらえませんか」
「ああ、いいとも。よく考えてくれ。今日はその話はもう辞めよう。演劇の話でもしようじゃないか」
二人はそれから小一時間程、演劇の話で盛り上がった。逍遥にとっても須磨子は演芸協会の看板女優である。大きく育ててやりたかった。
翌日の夕刊に抱月と須磨子の記事が掲載された。妻子ある演出家が演出を理由に新進気鋭の女優を食い物にしたという論調だった。
記者が仲井に金を渡し隣の部屋で逍遥と須磨子の話を全て聞いていたのである。
その日から研究所にはマスコミが押し寄せた。そして、抱月や逍遥に面会を迫った。
逍遥は抱月を部屋に呼んだ。
「一体どういうことなんだ。まさか君の奥方が漏らしたんじゃないだろうな」逍遥の顔には怒りの色が滲み出ていた。
「いや、それはないはずです。市子にとっても私の職が無くなれば今の生活ができなくなるわけですし」
「それでは一体誰が」
「わかりません」
「これでは、授業もできん。当分休みにするよ。今日はマスコミは私が対応しよう」
逍遥は玄関に出て言い放った。
「マスコミの諸君。掲載された記事は根も葉もないねつ造話しだ。いい加減にしたまえ」
「島村抱月と松井須磨子を出してください。本人達に聞かないとその判断もできません」
「今は稽古中だ。そんなことはできん」逍遥はそう言い残し戻って行った。
逍遥はとにかく抱月と須磨子を出せと騒がしいマスコミに授業にならないと判断し、授業を中断させ翌日から当分休みとし生徒を帰宅させた。翌日は講師ら幹部のみで対応を協議とした。
抱月と須磨子は夜遅くまでマスコミに接触することの無いように研究所内に残っていたが、外を伺いながら裏口から二人で須磨子の家に避難した。記者達にはみつからずに済んだ。
「小林君、すまない」抱月は畳に手をつき須磨子に頭を下げた。
「先生、そんなことはないです。先生が悪いんじゃないわ」
「だが、こうなってしまっては君の女優人生も棒に振るかもしれない」
「そんなことは無いわ。お客さんは私の演技を見に来てくれるんですよ。そして先生の演出を」
「そうかもしれないが、皆がそれを許してくれるかどうか」
「.........先生、私を抱いて。思いっきり抱いて下さい」
二人は傷を舐めあうように深く愛し合った。
翌日の朝刊には他紙が続々と後追い記事を掲載した。中には関係者の話として抱月と須磨子は稽古と言って二人だけで夜遅くまで残っていたなどと掲載された。
関係者とは
抱月は朝早くに須磨子の家を抜け出し、研究所に舞い戻った。
それから数時間すると、逍遥の他講師達が登所してきた。講師は伊原青々園、東儀鉄笛、土肥春曙、金子馬治の四人の面々である。
そして会議室で今後の協議がされた。
まず、抱月が皆に謝った。
「みなさん、私の事でこれほどまでの騒ぎになり申し訳ありません。みなさんに大きな迷惑を掛けてしまった」
「あの話は本当の事なんですか?」東儀が怒り口調で投げかけた。
「......事実無根のことです...」
「本当ですか、火の無いところに煙はたたないと言うじゃないですか」東儀がさらに追い打ちをかけた。
「........」
他の講師達は二人のやりとりを見ているだけだった。
「島村先生がそう言っているんだから、信じましょう。そんなことよりも、これからの対応を皆で考えましょう」逍遥が後を引き取った。
「しかし、この騒ぎは当分収まりそうにありませんよ」金子馬治が言った。他の講師達はそれにうなずいている。
「そうですなあ、これじゃ授業や稽古、ましてや公演は当分無理でしょう」伊原青々園が言った。
「一体、これは誰の責任なのですか」東儀が話を蒸し返した。
「これは、私の責任です。小林君には何の罪もありません。処分を下すなら私に下して下さい。どうか彼女の女優としての才能を摘み取らないでください」抱月が逍遥に向かって訴えた。
「そうですな、とりあえず当分君を謹慎処分とします」逍遥が言った。逍遥は誰よりも抱月の才能を買っていた。抱月ならば第二、第三の須磨子を育て上げることができる。
「それでは、甘すぎるんじゃないですか」東儀が声を上げた。
「まずは様子を見ましょう。小林君には私が会って事情を聞きます。それから処分を決めます。明日もう一度会議を持ちましょう。島村君は登所に及ばずです。家で謹慎していて下さい」
会議は終わった。研究所の外にはマスコミがうろうろしている。抱月は裏口から近くの民宿へ泊まり込んだ。
逍遥は夜遅くまで待ち、マスコミが皆居なくなったことを確認し、抱月に聞いた須磨子の家を訪ねた。
呼び鈴を鳴らすと須磨子が出てきた
「坪内先生」
「小林君、ここにはマスコミは押しかけなかったかね?」
「一人だけ、呼び鈴を鳴らす方がいましたけどずっと無視していましたわ」東儀の友人の記者だった。
「そうなのか、ちょっといいかな」
「はい」須磨子は逍遥を部屋に招き入れた。
逍遥は座布団に座ると、前に座る須磨子に向かって聞いた。
「この前聞いたことなんだが、結論は出たかい?」
「........」須磨子は顔を上げない。
「どうなんだい?君は女優としての大きな未来がある。こんなことで終わりにしちゃならないよ」
「で、でも.....」
「頼むから島村君とは別れてくれないか」
「でも、やはり私は島村先生を裏切ることはできません。それに」
「それに?」
「人間てこれほど他人を好きになれるものだと初めて知りました。あの人はもう私の一部なんです」
「どうしても駄目なのかい?」
「は、はい」
「そうか分かった」
逍遥は肩を落としながら帰って行った。
翌日開かれた会議で逍遥の口から処分が下された。
「松井須磨子君を諭旨退会処分とする」
講師達はどよめいた。特に東儀は驚愕した。
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