密会

 明治45年(1911年)の年が明け、町中は正月の賑わいで騒がしくなった。行き交う人々の新年の挨拶の声や子供達の凧揚げで遊ぶ声などが須磨子の部屋にも聞こえてきた。


 形ばかりと、鏡餅を買ってきて、みかんを上に乗せ床の間に置いていた。

「今年一年いい年でありますように」

 須磨子はその鏡餅に手を合わせお祈りした。


 研究所も正月休みであり、須磨子は部屋で裁縫の仕事をしていた。研究生から芸術協会会員となり、多くは無いが給金も出るようになった。だが、少しでも蓄えがあったほうがいいと思い、舞い込んだ仕事はこなすようにしていた。

 峰子の家に顔を出すことも考えたが、正月は菓子屋にとって書入れ時で大忙しだ。自分に構っている暇などないだろう、そう考え遠慮した。


 正月休みが明け研究所に出ると、須磨子は出会う皆に、明けましておめでとうございますと言うと、教官室の抱月の所に向かった。


「先生、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

「ああ、小林くん。明けましておめでとう。今年もしっかり頼むよ」

抱月はちらと須磨子を見ると、顔を上げそう言った。素っ気ない言葉ではあったが、須磨子は嬉しかった。これほど何日も抱月の顔を見なかったことは久しぶりだ。抱月の顔を見れただけで幸せだった。


「ああ、それとこれ」抱月は机の上に積まれている冊子から一冊とると須磨子に渡した。それは新しい台本だった。須磨子は礼をし、教官室から出て行った。


 抱月から渡された台本は、ヘルマン・ズーダーマンというドイツ人作家の書いた故郷という物語で抱月が翻訳したものだった。


 ヒロイン、マグダは父親シュワルツェ大佐に背いて家出し何年か後に一流のオペラ歌手となって故郷に迎えられ、父と和解する。

 ところが妹の結婚資金のため銀行に行くと偶然、かつて彼女を愛し子供を産ませながら捨てた男ケラー頭取と再会する。ケラーはしきりに彼女に言い奇るため彼女は故郷を捨てようとするが、幼友達へフターデングに慰められて路み止まる。

 父の大佐は家名と妹の結婚のためケラーと結婚せよと迫る。マグダは再び故郷を拾てようとした時、公金費消の罪が発覚してケラーは拳銃自殺を遂げてしまう。


 人形の家のノラと同様に、故郷のマグダもまた目覚めた女性像を描く。


 須磨子はマグダは自分が演じると信じていた。またその自信もある。私がやらなくて誰がやるのよとさえ思った。

 抱月に抱かれたその体はさらに艶やかな演技を見せた。


 "故郷"は文芸協会第三回公演として、有楽座にて10日間の予定で上演されることが決まった。ヒロインマグダの配役は松井須磨子であった。


 有楽座は東京数寄屋橋近くに明治41年(1908年)12月開場した日本初の全席椅子席の洋風劇場である。


 須磨子が遅くまで稽古をしていると、抱月も顔を見せる。年末の事は何事も無かったかのように抱月は正子に接した。それ以上に、抱月は演出に熱をおび、他の研究員より更に須磨子には厳しく当たることが多かった。


 文芸協会第3回公演『故郷』は明治45年5月3日から10日間有楽座で上演された。有楽座には連日多くの観客が詰めかけ、人形の家を超える好評を博した。

 そして新聞紙上や雑誌等の各種媒体に坪内 逍遥氏の芸術協会、故郷、島村 抱月、松井須磨子の字が踊った。


「ダラシのない新しい女優劇や陳腐な旧劇ばかり見ていた所だから、今度の文芸協会の「マグダ」は実質以上に面白かった。マグダの表情や態度がやや単調で、僅かな時間の間にその一生の悲喜哀感を現し尽くすような場合としては、なお物足らぬ気がするが、これほどの力の籠もった芸はこの頃の劇団では珍らしい。しまいまで惹きつけられて見ていた。」(正宗白鳥「国民新聞」明治四十五年五月十日)


 小竹紅吉は,「あれだけ忠実にあれだけ真面目に、自分の身体を働かせている人は恐らく無いだらう」と感嘆し,『読売』に出る批評を読んで、一々嬉しそうに、賛同している。「技巧、芸術、生、働、これらの事を皆一所にして誉めておく」と。


 『青鞜』第2巻第6号,1912(明治45)年では女流小説家長谷川時雨の批評は,『人形の家』のノラを演じて注目を浴びた松井須磨子が、続けて『故郷』のヒロインのマグダを演じることで,「当代一の女優」であることを確立したと賞賛した。

 ノラの時にはまだ生硬な点があったが,マグダでは一段と落ち着き貫祿が出

て、「芸と一所に容貌も一段立上がったように見受けられた」と続けている。


 批判的な批評もあった。平塚らいてうは須磨子の演技に批判的だった。「罪悪を超越し、自主自由の生活を誇りとするだけの人格の強さも、大さも、高さもなく、どこか薄っぺらで,わるくすると単に浮気な、あばずれとばかり見えやうとする『観たマグダ』を評する気にはなれない」


 長沼ちえ(後の洋画家高村智恵子)は「少くも自己といふものに思ひ至りし程のものならば田子作のおかみさんも行き当り申すべき新旧思想の衝突に候。日本にも『ザラ』に有うべく今更マグダを見せられて、形を見て驚いた所で始まらない」と、その舞台を批判した。


 世間では、人形の家のノラと同様にマグダにおいても女性論が論じられた。須磨子の耳にもそれらは届いたが、どうでもいい事であった。

 舞台を演じきった自信があった。人形の家のノラ以上の舞台を観客に届けられたことが嬉しかった。


 有楽座には美和も母親を伴って観にきてくれた。美和は観劇後、須磨子の楽屋を訪れた。

「正子さん、おめでとう。すごいわ。もう一流の女優さんになってしまったわね」

「一流だなんて、そんな大層なものじゃないわ」

「あら、もう須磨子さんなのよね」

「本名は正子なんだから、正子で構わないわ。美和ちゃんは、その後どうなの?」

「ええ、変わりなく、家の店を手伝っているわ」

「好きな男性ひとはできたの?」

「ええ、それが、来月結婚することになったの。それも報告したくて今日来たのよ」

美和はポッと頬を赤らめ言った。

「おかげさまで、正式に決まりました。研究所時代はお世話になりましてありがとうございました」

隣で美和の母親も笑顔でそう言った。

「いえいえ、こちらの方が大変お世話になったんですのよ。美和ちゃん、本当におめでとう」

「ありがとう」

「どんな人なの?」

「元々は店のお客さんでね。優しい人よ」

「へえ。美和ちゃんが選ぶ人だからいい人ね。きっと」

「本当は結婚式にも正子さんご夫妻にも来て頂きたかったんだけど、忙しくてだめよね」

須磨子はご夫妻といわれ、抱月のことを思い浮かべた。

「私、別れっちゃったのよ」

「ええ、そうなの?ごめんなさい嫌な事思い出させちゃって」

「それに次の公演もあるから行けそうにないわ。ごめんなさいね」

「いいのよ。それに正子さんが私なんかの結婚式にきたら大騒ぎになるわ」

「そんな事ないけど。お幸せにね」

「ありがとう」

 美和は去って行った。


 須磨子は、美和の幸せそうな笑顔を見て、叶わない夢とは分かっているが、抱月と夫婦になれたらどんなに幸せな事だろうと抱月に思いを寄せた。


 後日、美和には手紙を書き送った。


 美和さんへ

 ご結婚おめでとう。結婚式に行けなくてごめんなさい。

 研究生時代、私は美和ちゃんにいっぱい助けられて卒業することが出来ました。勉強も教えてもらったし、おかずも良くもらったわ。美和ちゃんがいなかったら卒業できなかったかもしれません。

 美和ちゃんが、幸せになって私は本当に嬉しい。旦那さんを立てて幸せに暮してください。時間がとれたら、遊びに行きます。

 また私の舞台を二人で観に来てください。旦那さんを紹介してもらえる日を心待ちにしています。

 私は失敗してしまいましたが、今は仕事に夢中で、島村先生から渡される新しい台本を心待ちにしている日々です。次の公演が決まったら、また手紙を書きます。

 でも、私もいつか美和ちゃんのように素敵な旦那さんを探して、私も幸せになりたいと思います。


美和ちゃんの旦那さんへ

 美和ちゃんは、とっても心のきれいな素敵な娘です。きっと旦那さんを立てて素敵なお嫁さんになります。私が保証します。だから、美和ちゃんを大事にしてあげて下さい

 宜しくお願いします。

                                  かしこ



 別の日には峰子やかよも益三の作った菓子を携えて、楽屋を訪れてくれた。

 

 公演は無事10日間の上演を終えた。


 だが、この演劇"故郷"でも社会を賑わすことになった。

 上演終了後、文芸協会の"故郷"が警視庁から上演禁止命令が出されたのである。この時代、検閲制度が存在した。警視庁に脚本を提出して許可され、上演できることになる。

 一度は許可されたのだから上演されたのだが、上演を観に行った内務省文部省の官吏が倫理道徳に反し、一般大衆に悪い影響を与えると禁止命令が出された。


 父親に対してマグダが挑発的に「お父さん,是までに私が身を許した男はあの人一人だと思っていらっしゃるの」と言う台詞など、当時の時代においては挑発的な台詞が続く。また、物語の中では私生児の問題も含まれている。

 

 娘が父親に従わないのは,国民道徳の根本を説いた教育勅語に反するものだ、というのがその理由だった。


 島村抱月は、検閲の許可を受けるために仕方なく、マグダと牧師の台詞を最後に付け加えた。文芸協会幹部と話し合った苦肉の策だった。


マグダ「みんな私の罪です。あなたのご指導に従います。」

牧師「ありがとうございます。では御一緒に神の許しを乞いましょう。そして中佐のために祈りましょう。」マグダ無言の儘熱心に祈祷する 幕静かに下る。


 この問題は言論界が上演禁止を不当として批判した。だが、妥協した島村抱月もまた各媒体で批判された。


 岩佐壮四郎という日本近代文学研究者は須磨子の演技と絡めて、島村抱月を批評している。


 彼にとっても,また日本の近代劇にとっても大切だったのは,「故郷」という「女主人公中心」の「問題劇」が松井須磨子という女優によって演じられ,父を罵倒し,不実な男を嘲笑する女性の肉声が舞台をつんざき,客席にこだますることだった筈だからである。


 須磨子の演技は、それほど観客に衝撃を与えた。須磨子の演技が、内務省文部省さえも動かしてしまったのだ。


 その後、”故郷"は上演許可を受け、地方の商業劇場は競って文芸協会に上演を願い出た。その結果、大阪帝国座、京都南座、名古屋御園座と地方を巡演した。


 どの劇場も満員の客が押し寄せた。須磨子はどの地も生まれて初めて踏む土地だったが、騒ぎに巻き込まれることを怖れ、上演を最優先させ、宿舎と劇場を行き来しただけで終わった。



 文芸協会の故郷の上映禁止問題では、研究所や抱月の家にもマスコミが来るようになった。

 研究所では、授業を口実に無視していたが、家では玄関前で記者が待つこともあり、無視して家に入るが何度も呼び鈴を鳴らされ辟易していた。


 抱月はマスコミの対応が煩わしく、研究所を出て帰宅の途につくが、家には向かわず、度々須磨子の家を訪れるようになった。だが常に周りの目を気にし、須磨子と帰り路を共にすることは無かった。いつしか、須磨子は部屋に抱月のための布団を用意した。


「先生お家の方は大丈夫なのですか?」

「ああ仕事で遅くなった時には近くの民宿に泊まると言ってある」

「そうなのですか」

「ああ、妻も俺の事より子供の事で手一杯だよ」

「先生、お寂しいのですか?」

「そ、そんな事はない」

「私の家ならいつ来ていただいても構いませんわ。何なら私がいない時でもいつでも使って下さい」

「ああ、ありがとう」

 抱月は須磨子の家で翻訳をし、脚本を書く。その間に須磨子は風呂を沸かし、料理をし抱月をもてなした。

 ......そして二人は体を重ねた。


 須磨子は抱月が来る日は、稽古を早めに切り上げて自宅に向かった。今までの乾ききった心を抱月が潤してくれる。

 偽りの間柄ととはいえ、夫婦めおとになった気分を味わっていた。帰ってほしくない。一生このままこの人に添い遂げたい。そんな思いも沸々と沸いた。

 

 抱月にとって、自分は恋などとは無縁のものと思って生きてきた。島根県の山村の貧しい家で生まれ、少年時代から働きに出ると苦労して裁判所事務官にまでなった。そして義父と出会い、義父の力によって貧乏から脱却させてもらった。その義父の勧めで妻と結婚をし子もできた。妻や子が嫌いなわけではない。妻子を愛してもいた。


 だが、気を使わなくて済む須磨子の傍は居心地が良かった。自分が育て、自分の演出を舞台できめ細やかに、自然に表現してくれ、文芸協会の名を、そして島村抱月の名を日本中に広めてくれた須磨子は可愛い。

 そして、既に四十を過ぎた抱月にとって、十五も違う須磨子の若く瑞々しい体は抱月の心と体を鷲掴みにし、離さなかった。


 これが恋というものなのだろうか、抱月は自分の想いに戸惑いながらも逢瀬を重ねていった。

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