松井須磨子

 正子は”人形の家”の演技に夢中になった。全ての配役の台詞と演技を何度も繰り返し覚える。寝る以外は全ての時間を演劇のために使いたかった。


 料理を作る時間さえも無駄に思える。八百屋で買ってきた人参や牛蒡を洗うと調理もせず、生のまま食べる時もあった。声が良くなると聞くと納豆を醤油をつけずに何日も食べ続ける。納豆の空き藁が無造作にたまっていき、それを風呂や竈の焚き付けとして使った。


 また、研究所へも人参や牛蒡を持っていき、人参をかじりながら台本を読んでいる。それを見た女生徒はくすくすと笑いながら横を通り過ぎて行った。

 時には正子の前を通る男子生徒がテーブルに置いてある野菜を見て、揶揄い聞いてくる。


「なんだよ、それは。八百屋でも始めるのか?」

「これはおかずよ」

「ははは、まるでウサギだな」


 正子はそんな言葉にも頓着することなく台本を読んでいる。学校帰りに友達と帰る道すがらふらっと煮豆屋に入るや、わずかばかりの煮豆を買い、前掛けの中にしまい込むと、これで明日のおかずが出来たわと待っている友達の元に戻る。


 離婚したことにより、生活も苦しくなった。家の前に"裁縫します"という張り紙を貼り付け、時折り舞い込む裁縫の仕事でなんとかしのいでいた。


 卒業が近づくと、5月に控えた文芸協会第一回公演のための準備で皆が夜遅くまで残っていることが多かった。そのため皆は稽古の合間に近くの弁当屋から弁当を取る。そんな時でも正子は袂から鯛焼きを取り出すと、むしゃむしゃと食べ一人でさっさと稽古場に向かい稽古を始めた。


 この年、明治44年(1911年)3月に帝国劇場が東京の丸の内に竣工された。伊藤博文、西園寺公望、井上馨らの政界や渋沢栄一、三井養之ら財界の要人、福地桜痴,依田学海,外山正一ら学者からなる文明開化による演劇改良会の流れが、近代的な西洋式建築の劇場の開場という形でその一つが実を結んだ。


 4月になり、正子は研究所を卒業した。最後まで残った女生徒は正子と三田千枝の二人だけだった。


 文芸協会第一回公演の演目は試演会で好評を博したハムレットに決まった。

 帝国劇場での七日間の公演が予定され、ヒロインオフィーリア役は試演会で好評を得た、もちろん正子である。三田千枝は王妃ガーツルードを演じる。


 第一回公演を控え、各所に張る広告用の張り紙の制作をすることになった。


 その打ち合わせの場で正子の芸名の話題になった。姓を結婚前の小林に戻していたが、小林正子では地味すぎる。

 そこに正子も呼ばれた。そこには講師達が顔を並べていた。逍遥や抱月の顔もある。


 あれやこれやと案が出るがなかなか決まらない。

 逍遥が須磨子ではどうかと言い、その名が決まった。芸をこれからも磨き続ける事が必須という逍遥の願いが込められていた。

 姓はどうするかと言う話になり、誰かが松代出身なんだから松代須磨子ではどうかと言った。

「松代須磨子か。何かまっしろ須磨子と聞こえるな」その名に茶化す声が聞こえた。

「では、松井須磨子ではどうか」抱月がそう言った。

「でも、それだとまずい須磨子に聞こえませんか?」また茶化す声があった。

 印刷屋も同席しておりやきもきしている。

「早く決めていただかないと、印刷が間に合いません」

「まずくってもいい。松井須磨子でいい」正子が答え、紙に書くと印刷業者に渡した。抱月と逍遥につけてもらった名前である。それで十分だった。

 松井須磨子誕生の瞬間だった。その名はその後日本中に広まることになった。


 張り紙が完成し、送られてきた。そこにはハムレット役の主演、土肥春曙と共に松井須磨子の名が大きく書かれていた。ハムレットと須磨子が演じるオフィリアが抱き合う姿が中心に大きく描かれている。


 五月になると第一回公演が開催された。帝国劇場には富裕層を中心に連日多くの観客が入り、盛況だった。試演会とは比べようもない程の多くの観客の前で演じることが出来た須磨子は興奮した。


 歓声が、拍手が、観客の視線が私を貫いていく。痛くなんかない。まるで陽光の陽ざしが私を貫いていくような。

 陽ざしの中に包まれたような今までにない多幸感に包まれている自分を実感した。そう私はここに来たかったんだ、ここに来るために産まれてきたんだ。


 峰子やかよそして益三も観に来てくれた。幕が閉じた後の楽屋に正子を訪れて来れた。化粧を落としながら皆を迎えた。

 益三はわざわざ自分が作った菓子を持参してくれた。

「兄さん美味しいわ。もう一流の菓子職人ね」高揚している須磨子は兄の菓子を一つ頬張ると言った。

「俺なんかまだまだだ。だが正子、お前の演技は素晴らしかったぞ」

「兄さんが、努力すれば一流になれると言ってくれたおかげよ」

「そうよ、すごかったわ。みんなが、正子に拍手を送っていたわ」峰子が興奮気味に話した。

「そうよねえ、正子ちゃん綺麗だったわよ。次こそ店のみんなに見せたいわ」かよが後に続いた。

「みんなありがとう」

 峰子達は店に帰って行った。

 みんなが喜んでくれる。迷惑ばかりかけた私が少しは恩返しが出来たのかと須磨子は思った。


 七日間の公演が終わり、逍遥も、そして抱月もまたその成功を感じた。二人は固い握手をした。だがその思いに二人には多少のずれがあった。


 逍遥は自分の私財を投じてまで作り上げた劇団の成功を素直に喜んだ。自分達の考え方は間違ってはいなかったんだと。


 その後、逍遥は新宿にある私邸内に私演場の設立を考える。これだけの客が入っても帝国劇場のような商業劇場を使うと、多くの使用賃を支払わなければならない。席数を減らしても、自前の演劇場があれば回数を増して多くの客に観てもらうことができる。そしてその金であらたな俳優や女優を育てあげることができる。


 抱月は須磨子に多くの観客の視線が集まっていることを感じた。おぼろげながら自分が、丹精込めて育て上げた女優、須磨子には商業的価値があることを感じとった。西洋で自分が観た女優の姿に須磨子を重ね合わせていた。西洋の女優は華やかで美しい。だがそれだけでなく、自立し、多くの金を稼ぐ。そして、自分の意見をいい、政治家になっているものまでいた。


 全ての演目で須磨子がヒロインを演じたわけではない。この年7月に行われた、文芸協会演劇研究所内の第3回試演会では人形の家と同じ原作者ヘンリック・イブセンの作品ヘッダ・ガブラーが上演された。この劇では、三田千枝がヒロインヘッダ・ガブラーを演じ、須磨子はテアというヒロインの友人役で出演している。


 逍遥は早速自邸内への私演場の建設に取り掛かった。客席数約六百の演技場だった。


 9月に演技場は完成し、そのこけら落とし公演を行うことが決まった。

 演目は人形の家。ヒロインノラは帝国劇場での演技を評価され、須磨子に決まった。須磨子は自信を深めていった。

 帝国劇場での噂を聞きつけ多くの客が観に訪れた。それは逍遥の予想を上回るものだった。私演場に入れない者が多くいた。

 そこで逍遥は11月に再度帝国劇場での人形の家の公演を決定した。


 帝国劇場にはハムレットを上回る観客が訪れた。須磨子は感情豊かにノラを演じ上げた。

 須磨子の演技は拍手喝さいを浴びた。幕が下りても観客は立ち上がり拍手を送っていた。

 

 ハムレット役を演じた土肥春曙どひ しゅんしょ、そして以前の試演会でヴェニスの商人のシャイロックを演じた東儀鉄笛とうぎ てってきは、文芸協会設立以前から早稲田大学や逍遥の朗読研究会易風会などで行動を共にしており、文芸協会を支える二人と言われていた。二人は講師として教える立場でもあった。

 

 須磨子はその自然な演技で、その二人に替わるスターの出現ともてはやされた。

 その実在感、体当たり、自然な演技を高く評価された。新聞紙上や他の媒体でも取り上げられることが増えて行った。


「主人公のノラに扮するはこの「ハムレット」でオフィリヤを勤めた松井須磨子である」「始めは静かな水が次第に波瀾を起して千態万状に変じてゆく、その間にすこしのタルミなく表情もせりふも緊張して見物は全くこの女主人公に引付けられてしまう。」(伊原青々園「都新聞」明治四十四年九月二十三日 川村花菱「随筆 松井須磨子」)

「日本に生まれた女優の口からはじめて自然なせりふを聞くことが出来た」「生まれて初めて近代劇を見て、やさしいような、淋しいような、いい知れぬ心持ちで胸が一杯になって、今迄の夫の親切をしみじみと礼をいうあたりで思わず涙をこぼす事の出来たのは、一つに須磨子女史の力だと思う。」(川村花菱「歌舞伎」明治四十四年十一月)

 伊原青々園、川村花菱、共に劇作家である。


 また女形を演じる歌舞伎役者は、その自然な演技と芸に女がこれほど自然な演技ができるのなら、自分が女形をやる必要なんてないとまで言わしめた。


 だが、中には批判もあった。文豪夏目漱石は招待を受けこの舞台を見た一人である。

漱石曰く、「須磨子とかいう女のノラは女主人公であるが顔がはなはだ洋服と釣り合わない。もう一人出てくる女もお白粉をめちゃ塗りにしている上に目鼻立ちがまるで洋服にはうつらない。ノラの仕草は芝居としてはどうだかしらんが、あの思い入れやジェスチャーや表情はしいて一種の刺激を観客に塗り付けようとするのでいやなところがたくさんあった。東儀とか土肥とかいう人は普通の人間らしくてこの厭味が少しもないから心持がよかった」と日記に書いている。


 漱石も抱月同様ロンドンに留学し、欧州の演劇を多数みてきた人間である。本場の女優の芝居と比べて、須磨子の芝居は拙く思えたのだろう。


 女の権利獲得も少しづつ叫び始められた時代であった。女が自立していくという人形の家のノラと日本の女性とを重ね合わせて語られることが増えていった。そしてノラに対する声援を送る感想が増えて行った。


 平塚らいてうという女性解放運動家が同じ年、明治44年(1911年)9月に雑誌「青鞜せいとう」を発刊している。日本で初めての女の手による女のための雑誌である。

 そのらいてうが「ノラさんに」と題して寄稿している。

「ノラさん私はあなたがあれで自覚を得られたものとはまだなかなか信じていません。・・・真の自己はそう容易に見えるものではありません」

と、ノラを批判している。

人形の家の須磨子のノラ像は、須磨子の手を離れ、女性論争にまで発展して行った。


須磨子はらいてうからの取材を受けた。

「舞台の上で困ったことは何ですの?」

「それは踊りですわ」

「踊り?」

「踊りくるっている間にだんだん髪がほぐれて肩へ下がるというのでしたが、それがどうしてもうまく行きませんでした」

 ノラが踊る象徴的な舞踊タランテラについて語った。

 須磨子にとっては、そんな女性論争などどうでもよかった。いかに舞台の上で綺麗に舞えるか。いかに自然な演技ができるか。抱月に言われた通りにノラの心情をいかに美しく舞踊で表現できるか、それしかなかった。

ノラ自身への女性論について問われると、頭を傾げながらも答えた。

「ノラが自覚して強く冷やかな女になったとき、驚いた方は少なくない、平土間のあたりで驚いたねといった方がありました」

 ただ言われたことを口にした。


 歌人、与謝野晶子もノラを批判した一人である。

「なぜノラは家を然う軽率に出るのか、なぜ然う極端に夫に反抗するのか、なぜ然う容易く子供を置き去りにするのかと反問したい。然う云ふ過激な事を決行せねば成らないほどノラの身の上は行詰まっては居りません筈です。私がノラなら矢張家にゐた儘あらゆる方法を尽くして其『自分を一人前の人に教育する』目的を遂げて見せます」「新婦人の自覚」(明治四十四年七月『一隅より』)


 須磨子の思いとは別に人形の家で演じたノラは社会的事件となっていった。

 だが、それも須磨子が自然に体当たりで演じてこそのことだった。時代が松井須磨子という女優を生み出した。

 須磨子は明治の時代の新しい女性像として脚光を浴びていった。


 須磨子は夜遅くまで研究所に残り、稽古をするのが常になっていた。ある夜、抱月と二人きりで稽古をしていると抱月が言ってきた。

「小林君、今日はこれぐらいにして酒でも呑みにいかないか?」

抱月から酒に誘われことなど今までに一度もなかった。

「は、はい」須磨子は心が揺さぶられるようにときめいた。


 研究所を出ると、二人は近くの酒屋に入った。

「やあ、帝国劇場での公演成功おめでとう。君の演技はよかったよ」抱月は須磨子を褒めた。

「あ、ありがとうございます」須磨子は抱月に面と向かって褒められたのはこれがはじめてだった。

「私があそこまで演じられたのも島村先生のおかげです。本当にありがとうございました」

「いや、君の努力があったこそだ。だが、成功して本当に良かった」しみじみと語った。抱月は一度目の失敗から二度目はないと思っていた。失敗していたら、逍遥にも顔向けできない。そして演劇への夢はそこで絶たれていただろう。様々な思いが駆け巡った。

「はい、坪内先生も喜んでくれましたわ」

「ああ、坪内先生も喜んでいた。これで、顔向けができた。少しは恩に報いることができた。君もこれで一流の女優の仲間入りだ」

 抱月は自分が育て上げ、そして多くの観客を呼び込んでくれた須磨子のことも可愛かった。

「そ、そんな。一流だなんて」

「ああ、まだこれからも頑張らんといかんぞ」

「は、はい」

「でも、愉快だ。あれほどの客が入ってくれるとは。はっは」

 抱月は自身の演劇論を饒舌に語った。これほど饒舌に語る抱月を見るのは初めてだった。

「どうですか、もう一杯?」

須磨子は杯を勧めた。

二人は猪口で熱燗の杯を重ねていった。

それに伴い抱月は酔っぱらっていった。

気がつくと、抱月の終電の時刻も過ぎていた。

「これは、いかん。今日は近くの旅館にでも泊まろう」酔いで足をふらふらさせながら抱月は店を出た。後を須磨子が追った。しとしとと霙混じりの雨が降り始めていた。

「せ、先生。そんな足元では危ないです。雨も降っています。私の家が近くですから、私の家に泊まっていきませんか」

「そ、そんなことはできん。いくら教師と生徒と言えど、男と女だ。それが一つの部屋で泊まるなどと」抱月はふらふらした足取りで答える。須磨子が肩を貸していた。

「で、でも、そんな足取りでは」


 須磨子は抱月を自分の家に招き入れた。

 須磨子の家には自分の一組の布団しかなかった。

 布団を敷き、酔っぱらっている抱月を寝かしつけた。須磨子はそうっとその隣に体を入れたが、中々寝付けなかった。

 その時、抱月の手が伸びてきて須磨子の着物の間から入り込むと胸をまさぐった。

「あっ、先生」須磨子は小さく囁いた。須磨子も歳を重ね、その体は熟していた。触れられる抱月の指の感触に体はぞくっぞくっとした。

 抱月は体を起こし、須磨子の帯を取り、着物を開いた。そして、須磨子の唇に自分の唇を重ね、抱擁した。須磨子も両腕を抱月の体にまわした。


須磨子は憧れの抱月の抱擁に胸を熱くした。抱月の固くなった中心部が腹のあたりに触れる。そして抱月は須磨子の両足を抱えると、須磨子の体を貫いた。

「ああ、先生。わ、私、幸せです」須磨子は今までにない女の幸せを感じた。世間で騒がれる女性論争などどうでもいい、好きな男性に抱かれるこのひと時が女にとっての幸せなのだと強く感じていた。


 朝、須磨子が起きた時には、既に抱月の姿は無かった。


 明治44年(1910年)の年も押し迫っていた。

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