4
「ごめん。遅くなって」
閉じかけたシャッターの前。白い息を吐く蒼太の言葉に首を振る。
言いたいことはたくさんあった。あったはずなのに……私は声を出すこともできない。
「やっと仕事も落ち着いて、住む所も見つかったから。だから……」
人々のざわめきも、どこからか流れてくる音楽も、今は何も聞こえない。ただ蒼太の声だけしか。
「やっと琴音を迎えに来れた」
「……うん」
小さくうなずいて手を伸ばす。冷たくなった蒼太の手を取り、ぎゅっと握りしめる。
「やっと、一緒にいられるね」
――ずっと一緒にいたい。それだけでいい。
十七歳の夏。ふたりで願ったことはそれだけだった。たったそれだけのことなのに……私たちは、ずいぶん遠回りしてしまった。
つないだ手がほどかれる。そっと動いた蒼太の手が、私の背中を抱き寄せる。
ふんわりと優しく。つらかったことも哀しかったことも、蒼太の知らなかった私の十年も、全部すべて包み込むように。
「あったかい……」
蒼太の胸でそうつぶやいたら、私を抱きしめる手に少しだけ力を込めて蒼太が言う。
「このまま連れ去ってもいい?」
ふふっと笑って私は蒼太の体をそっと離す。
「ごめんね? まだ勤務中なの」
「ムードないなぁ」
苦笑いする蒼太に笑いかけ、ふと顔を上げる。
「あれ?」
額に触れる冷たいもの。
「雪?」
「ほんとだ」
ふたり同時に空を見上げる。ビルの隙間の黒い空から、白い雪がはらはらと舞い落ちてくる。
ああ、前にもこんなことあった?
顔と顔を寄せ合って、ドームの中に降る雪をふたりで見つめた。
ぎこちなく手を握り合いながら、季節外れだね、なんて言って笑った。
そんなことを思い出して視線を下げると、私のことを見ていた蒼太が小さく微笑んだ。
もう一度手を絡ませて、空を見上げる。
きっと蒼太も同じことを想っている。口に出して確かめなくても、蒼太と私は同じことを想っている。
「琴音ちゃん! 外にいるの? 雪! 雪降ってきたわよ!」
子どものようにはしゃぎ声をあげながら、咲田さんが店から飛び出てきた。
そして手をつないで立っている、私と蒼太の姿を見て、「あら、まぁ」と驚いた顔をした。
「あ、あのっ、咲田さん」
あわてて手を離して蒼太を見ると、蒼太も照れくさそうに笑っている。
私はそんな蒼太に笑いかけ、もう一度咲田さんに顔を向けて言った。
「咲田さん。この人が私の……一番大事な人です」
蒼太を咲田さんに紹介したあとは、ふたりで一緒にあの家へ帰ろう。
蒼太のお父さんと私のお母さんに会って、それから和奏に会おう。
何も臆することはない。私たちの今の気持ちを、素直に伝えるだけだ。
「お茶でも飲んで行きなさいよ」
「え、いいんですか?」
「もちろん大歓迎よ。琴音ちゃんのいい人なんだったら」
咲田さんに背中を押され、苦笑いしながら店の中へ入っていく蒼太。
そんな姿を笑顔で見送りながら、私はもう一度夜空を見上げる。
音もなく静かに舞い落ちる、東京の街に降る初雪。
それは校庭に舞う桜の花びらのようにも見えて、じんわりと胸の奥があたたかくなる。
来年の桜は蒼太と見よう。どこまでも続く海をふたりで眺め、しとしとと降り続く雨の音はふたりで一緒に聞こう。
私たちはもう、ひとりじゃないのだから。
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