「ごめん。遅くなって」

 閉じかけたシャッターの前。白い息を吐く蒼太の言葉に首を振る。

 言いたいことはたくさんあった。あったはずなのに……私は声を出すこともできない。

「やっと仕事も落ち着いて、住む所も見つかったから。だから……」

 人々のざわめきも、どこからか流れてくる音楽も、今は何も聞こえない。ただ蒼太の声だけしか。

「やっと琴音を迎えに来れた」

「……うん」

 小さくうなずいて手を伸ばす。冷たくなった蒼太の手を取り、ぎゅっと握りしめる。

「やっと、一緒にいられるね」

 ――ずっと一緒にいたい。それだけでいい。

 十七歳の夏。ふたりで願ったことはそれだけだった。たったそれだけのことなのに……私たちは、ずいぶん遠回りしてしまった。


 つないだ手がほどかれる。そっと動いた蒼太の手が、私の背中を抱き寄せる。

 ふんわりと優しく。つらかったことも哀しかったことも、蒼太の知らなかった私の十年も、全部すべて包み込むように。

「あったかい……」

 蒼太の胸でそうつぶやいたら、私を抱きしめる手に少しだけ力を込めて蒼太が言う。

「このまま連れ去ってもいい?」

 ふふっと笑って私は蒼太の体をそっと離す。

「ごめんね? まだ勤務中なの」

「ムードないなぁ」

 苦笑いする蒼太に笑いかけ、ふと顔を上げる。


「あれ?」

 額に触れる冷たいもの。

「雪?」

「ほんとだ」

 ふたり同時に空を見上げる。ビルの隙間の黒い空から、白い雪がはらはらと舞い落ちてくる。

 ああ、前にもこんなことあった?

 顔と顔を寄せ合って、ドームの中に降る雪をふたりで見つめた。

 ぎこちなく手を握り合いながら、季節外れだね、なんて言って笑った。

 そんなことを思い出して視線を下げると、私のことを見ていた蒼太が小さく微笑んだ。


 もう一度手を絡ませて、空を見上げる。

 きっと蒼太も同じことを想っている。口に出して確かめなくても、蒼太と私は同じことを想っている。

「琴音ちゃん! 外にいるの? 雪! 雪降ってきたわよ!」

 子どものようにはしゃぎ声をあげながら、咲田さんが店から飛び出てきた。

 そして手をつないで立っている、私と蒼太の姿を見て、「あら、まぁ」と驚いた顔をした。

「あ、あのっ、咲田さん」

 あわてて手を離して蒼太を見ると、蒼太も照れくさそうに笑っている。

 私はそんな蒼太に笑いかけ、もう一度咲田さんに顔を向けて言った。

「咲田さん。この人が私の……一番大事な人です」


 蒼太を咲田さんに紹介したあとは、ふたりで一緒にあの家へ帰ろう。

 蒼太のお父さんと私のお母さんに会って、それから和奏に会おう。

 何も臆することはない。私たちの今の気持ちを、素直に伝えるだけだ。


「お茶でも飲んで行きなさいよ」

「え、いいんですか?」

「もちろん大歓迎よ。琴音ちゃんのいい人なんだったら」

 咲田さんに背中を押され、苦笑いしながら店の中へ入っていく蒼太。

 そんな姿を笑顔で見送りながら、私はもう一度夜空を見上げる。

 音もなく静かに舞い落ちる、東京の街に降る初雪。

 それは校庭に舞う桜の花びらのようにも見えて、じんわりと胸の奥があたたかくなる。

 来年の桜は蒼太と見よう。どこまでも続く海をふたりで眺め、しとしとと降り続く雨の音はふたりで一緒に聞こう。

 私たちはもう、ひとりじゃないのだから。

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