3
「琴音ちゃん。そろそろシャッター閉めてくれる?」
「はぁい」
レジ周りを片づけながら、咲田さんの声に答える。
大晦日の夜。今年最後の店じまい。
シャッターを閉めに向かおうと顔を上げた時、カウンターの上に、いきなり何かがどさりと置かれた。
「え?」
目の前に見える大きな花束。視線を上げると、カウンターの向こうで雄大がにやっと笑った。
「な、なにこれ?」
「退職祝い。今日でこの店ともおさらばなんだろ?」
私は黙って花束を見つめる。
そうなのだ。今年最後の今日、私はこの店を辞めることになっていた。
「すごい……付き合ってる時だって、こんな大きな花束もらったことないのに」
「付き合ってる女にこんな花束、照れくさくて渡せねぇよ」
雄大はそんなことを言いながら、私の前で笑う。
「ほんとに、もらっていいの?」
「ちょっと奮発した。琴音にはいろいろ世話になったから」
何言ってるの? お礼を言わなきゃいけないのはこっちのほうなのに。
「ありがとう。雄大」
それから……。
「結婚おめでとう」
私の言葉に、雄大が照れくさそうに頭をかく。
雄大は数日前、元の奥さんと正式に籍を入れたそうだ。
「あらあら、すごいお花ねぇ」
そんな私たちに咲田さんが声をかけてきた。
「雄大くん、琴音ちゃんがいなくなっても、たまにはうちの店に寄ってよね」
「もちろんだよ。おばちゃん」
咲田さんはにこりと微笑んで、それから私に言った。
「琴音ちゃん。長い間お疲れさまでした。琴音ちゃんのおかげでとても助かったわ」
「咲田さん……」
胸がじんっと熱くなって、涙が出そうになる。
「私こそ、咲田さんには本当にお世話になって……咲田さんがいなかったら私……」
そのあとは言葉にならなかった。
たったひとりで東京へ出てきた私に、本当の親のように接してくれた咲田さん。
決して大げさではなく、私は咲田さんがいたから今までこの場所でやってこれたのだ。
「あ、琴音、泣いてる」
「泣いてないもん!」
最後まで素直じゃない私に、雄大がすべてお見通しの顔つきで笑いかける。
「お前はさぁ、一体いつになったら、あいつんとこ嫁に行くんだよ?」
「ほ、ほっといて」
「あら、琴音ちゃん。そんないい人いるの?」
「おばちゃん、何とか言ってやってよ。こいつら、ほんとまどろっこしくて」
「もうっ、私のことはいいから」
「琴音ちゃん。あなたも幸せになっていいのよ?」
咲田さんの声に視線を動かす。咲田さんは私に向かって、にこにこと微笑みながら言った。
「幸せにならなきゃだめ。ね? 琴音ちゃん」
じんわりと目を潤ませた私の頭を、雄大がふわふわとなでた。
「ま、そういうことだ」
私に笑いかけてくれる咲田さんと雄大の前で何度もうなずく。
――ふたりで一緒に幸せになろう?
いつかの蒼太の言葉が頭に浮かび、私は涙を拭いて笑顔を返した。
手を振って家族の元へ帰る雄大を見送ったあと、店のシャッターを閉めるため外へ出た。
今夜の商店街は、まだ人通りが多い。
顔を上げ、はぁっと白い息を吐いた。ビルの隙間の夜空に星はなく、行き交う人々のざわめきが耳をかすめては遠ざかっていく。
そんな中、私はぼんやりと思い浮かべた。遠い夏、堤防の上で並んで見つめた、海の彼方を。
「すみません。もう店じまいですか?」
背中に声をかけられ、閉めかけたシャッターの前で振り返る。
「弁当、食べたいんですけど。高三の夏に、作ってもらったやつをもう一度」
商店街のほのかな灯りの中、そう言って照れくさそうに笑う蒼太の顔が、私の目に映った。
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