「琴音ちゃん。そろそろシャッター閉めてくれる?」

「はぁい」

 レジ周りを片づけながら、咲田さんの声に答える。

 大晦日の夜。今年最後の店じまい。

 シャッターを閉めに向かおうと顔を上げた時、カウンターの上に、いきなり何かがどさりと置かれた。

「え?」

 目の前に見える大きな花束。視線を上げると、カウンターの向こうで雄大がにやっと笑った。

「な、なにこれ?」

「退職祝い。今日でこの店ともおさらばなんだろ?」

 私は黙って花束を見つめる。

 そうなのだ。今年最後の今日、私はこの店を辞めることになっていた。

「すごい……付き合ってる時だって、こんな大きな花束もらったことないのに」

「付き合ってる女にこんな花束、照れくさくて渡せねぇよ」

 雄大はそんなことを言いながら、私の前で笑う。

「ほんとに、もらっていいの?」

「ちょっと奮発した。琴音にはいろいろ世話になったから」

 何言ってるの? お礼を言わなきゃいけないのはこっちのほうなのに。

「ありがとう。雄大」

 それから……。

「結婚おめでとう」

 私の言葉に、雄大が照れくさそうに頭をかく。

 雄大は数日前、元の奥さんと正式に籍を入れたそうだ。


「あらあら、すごいお花ねぇ」

 そんな私たちに咲田さんが声をかけてきた。

「雄大くん、琴音ちゃんがいなくなっても、たまにはうちの店に寄ってよね」

「もちろんだよ。おばちゃん」

 咲田さんはにこりと微笑んで、それから私に言った。

「琴音ちゃん。長い間お疲れさまでした。琴音ちゃんのおかげでとても助かったわ」

「咲田さん……」

 胸がじんっと熱くなって、涙が出そうになる。

「私こそ、咲田さんには本当にお世話になって……咲田さんがいなかったら私……」

 そのあとは言葉にならなかった。

 たったひとりで東京へ出てきた私に、本当の親のように接してくれた咲田さん。

 決して大げさではなく、私は咲田さんがいたから今までこの場所でやってこれたのだ。

「あ、琴音、泣いてる」

「泣いてないもん!」

 最後まで素直じゃない私に、雄大がすべてお見通しの顔つきで笑いかける。

「お前はさぁ、一体いつになったら、あいつんとこ嫁に行くんだよ?」

「ほ、ほっといて」

「あら、琴音ちゃん。そんないい人いるの?」

「おばちゃん、何とか言ってやってよ。こいつら、ほんとまどろっこしくて」

「もうっ、私のことはいいから」

「琴音ちゃん。あなたも幸せになっていいのよ?」

 咲田さんの声に視線を動かす。咲田さんは私に向かって、にこにこと微笑みながら言った。

「幸せにならなきゃだめ。ね? 琴音ちゃん」

 じんわりと目を潤ませた私の頭を、雄大がふわふわとなでた。

「ま、そういうことだ」

 私に笑いかけてくれる咲田さんと雄大の前で何度もうなずく。

 ――ふたりで一緒に幸せになろう?

 いつかの蒼太の言葉が頭に浮かび、私は涙を拭いて笑顔を返した。


 手を振って家族の元へ帰る雄大を見送ったあと、店のシャッターを閉めるため外へ出た。

 今夜の商店街は、まだ人通りが多い。

 顔を上げ、はぁっと白い息を吐いた。ビルの隙間の夜空に星はなく、行き交う人々のざわめきが耳をかすめては遠ざかっていく。

 そんな中、私はぼんやりと思い浮かべた。遠い夏、堤防の上で並んで見つめた、海の彼方を。

「すみません。もう店じまいですか?」

 背中に声をかけられ、閉めかけたシャッターの前で振り返る。

「弁当、食べたいんですけど。高三の夏に、作ってもらったやつをもう一度」

 商店街のほのかな灯りの中、そう言って照れくさそうに笑う蒼太の顔が、私の目に映った。

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