2
「服貸してくれない? お姉ちゃん」
そう言って部屋に入ってきた和奏は、私の許可も得ないままクローゼットの中をのぞき込む。
「どこか出かけるの?」
私は読んでいた本を膝におろし、ベッドの上から和奏の背中に声をかける。
「明日の夜、会社の人たちがクリスマスパーティやるんだって。何着て行けばいい?」
「へぇー」
私はつくづく感心してそうつぶやいた。飲み会だの合コンだの、そういう誘いをことごとく断ってきた和奏が、まさかパーティに参加するなんて。
「なによ? 何か文句ある?」
振り向いた和奏が挑戦的な態度で私に言う。
「べつに。そのパーティって男の子も来るの?」
一瞬和奏の頬が、ほんのりと赤く染まった気がした。
「カンケーないでしょ、お姉ちゃんには! もういいよ、お姉ちゃんには頼まないから」
「服くらい買いに行けばいいじゃない。私なんかのじゃなくて、和奏に似合う服。あんたちゃんとした格好すれば、けっこう可愛いんだから」、
和奏は少し驚いた顔をしたあと、ふんっと私から顔をそむける。
あ、もしかしてこの子、照れてる?
私はふっと小さく微笑み、また本に視線を落とす。だけどなぜか和奏は、部屋から出て行こうとしない。
なんとなくうろうろと周りを見回した後、ぽすんと私のいるベッドに座って言った。
「お姉ちゃんは? 明日どうするの? クリスマスだよ?」
「どうするって、仕事だけど?」
「うわ、さみしー。今日のイブも家にいるし。蒼太くん来てくれないの?」
私はちらりと和奏の顔を見る。
「お姉ちゃんたち、どうなっちゃってるの? 夏から一度も会ってないんでしょ?」
和奏の言う通り、蒼太とはずっと会っていない。たまにメールくらいはするけれど、電話はしない。声を聞いたら、きっと会いたくなってしまうから。
「へんなの。そんなんで付き合ってるって言えるの?」
「言えないかもね」
和奏は小さく息を吐いてから私に言う。
「お姉ちゃん。もしかして私に遠慮とかしてるんだったら、そういうのやめてよね。私もう、蒼太くんのことなんてなんとも思ってないんだから」
私は和奏の横顔を見つめて、ちょっと膨らみかけたそのほっぺたを指先でつつく。
「遠慮なんかしてません。私が決めたの。蒼太が自分の生活に自信を持って、私に会いに来てくれるまで、私から会いに行くのはやめようって」
「またいい子ぶったこと言っちゃって。そんなのん気なこと言ってるうちに、蒼太くん他の女の人に取られても知らないよ。実は意外とモテるんだから、蒼太くんって」
和奏が不満そうな態度で立ち上がる。そして私のいるベッドをもう一度見て、念を押すようにつぶやいた。
「他の女の人だったら許さないからね」
「え?」
私は顔を上げて和奏を見る。
「蒼太くんの彼女になる人。お姉ちゃん以外の人だったら、私が許さないから」
そう言った和奏がふっと微笑む。そして私に背中を向けると、静かに部屋を出て行った。
「和奏……」
私は閉じられたドアを見つめてから、膝の上の本を閉じる。ふと目に止まったのは、手元に置いてあるスマートフォン。
――蒼太くん来てくれないの?
なにげなくそれを手に取った。
――蒼太くん他の女の人に取られても知らないよ。
蒼太のことは信じている。離れていても大丈夫だって思っている。私はもう十年前の私じゃない。だけど――。
会いたいな……。
そんなことを思いながら手に持ったスマホを見つめる。
声くらいなら、聞いてもいいかな……。
その瞬間、電話の着信音が鳴り出して、私はあわてて耳に当てた。
「もしもし? 琴音?」
どうして? どうしてこのタイミングで電話してくるの?
声を詰まらせた私の耳に、蒼太の声が聞こえてくる。
「琴音? 大丈夫? どうかした?」
「ううん。なんでもない。久しぶりだね」
振り絞るように声を出す。泣き出しそうになるのを必死にこらえながら。
「ごめん。急に電話して」
「どうしたの? 仕事終わったの?」
「うん。いま終わって外に出たとこ。海のそばにいる」
私は電話を持ったまま耳を澄ます。
懐かしい波の音、少し強い海風、鼻につく潮の香り……きっと今、蒼太が感じているはずのすべてのことが、私の目の前に浮かんでくる。
「真っ暗な海見てたら、琴音の声聞きたくなって……」
蒼太の声を聞きながら口元を押さえた。
蒼太も同じことを考えていた。遠く離れた場所にいるのに、私と同じことを考えていてくれた。
「琴音?」
返事をしたいのに返事ができない。
「琴音……泣かないで」
「……やだな。泣いてないよ?」
そう涙声で言った私に、電話の向こうで蒼太が笑う。
「琴音」
「うん?」
「今すごく琴音に会いたい」
左手で涙をぬぐい、蒼太に答える。
「私も……蒼太に会いたい」
会えない日が続くほど、会いたい気持ちが募っていく。
こんなに誰かを愛おしいと思ったのは、生まれて初めてだ。
私は素直な気持ちを言葉に変える。
「蒼太……会いたいの。早く迎えに来て」
「うん」
目を閉じて、蒼太の声を胸にしまう。
「年末には迎えに行くから……待ってて」
電話を耳に当てたまま、私はただ何度もうなずいた。
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