「服貸してくれない? お姉ちゃん」

 そう言って部屋に入ってきた和奏は、私の許可も得ないままクローゼットの中をのぞき込む。

「どこか出かけるの?」

 私は読んでいた本を膝におろし、ベッドの上から和奏の背中に声をかける。

「明日の夜、会社の人たちがクリスマスパーティやるんだって。何着て行けばいい?」

「へぇー」

 私はつくづく感心してそうつぶやいた。飲み会だの合コンだの、そういう誘いをことごとく断ってきた和奏が、まさかパーティに参加するなんて。

「なによ? 何か文句ある?」

 振り向いた和奏が挑戦的な態度で私に言う。

「べつに。そのパーティって男の子も来るの?」

 一瞬和奏の頬が、ほんのりと赤く染まった気がした。

「カンケーないでしょ、お姉ちゃんには! もういいよ、お姉ちゃんには頼まないから」

「服くらい買いに行けばいいじゃない。私なんかのじゃなくて、和奏に似合う服。あんたちゃんとした格好すれば、けっこう可愛いんだから」、

 和奏は少し驚いた顔をしたあと、ふんっと私から顔をそむける。

 あ、もしかしてこの子、照れてる?

 私はふっと小さく微笑み、また本に視線を落とす。だけどなぜか和奏は、部屋から出て行こうとしない。

 なんとなくうろうろと周りを見回した後、ぽすんと私のいるベッドに座って言った。


「お姉ちゃんは? 明日どうするの? クリスマスだよ?」

「どうするって、仕事だけど?」

「うわ、さみしー。今日のイブも家にいるし。蒼太くん来てくれないの?」

 私はちらりと和奏の顔を見る。

「お姉ちゃんたち、どうなっちゃってるの? 夏から一度も会ってないんでしょ?」

 和奏の言う通り、蒼太とはずっと会っていない。たまにメールくらいはするけれど、電話はしない。声を聞いたら、きっと会いたくなってしまうから。

「へんなの。そんなんで付き合ってるって言えるの?」

「言えないかもね」

 和奏は小さく息を吐いてから私に言う。

「お姉ちゃん。もしかして私に遠慮とかしてるんだったら、そういうのやめてよね。私もう、蒼太くんのことなんてなんとも思ってないんだから」

 私は和奏の横顔を見つめて、ちょっと膨らみかけたそのほっぺたを指先でつつく。

「遠慮なんかしてません。私が決めたの。蒼太が自分の生活に自信を持って、私に会いに来てくれるまで、私から会いに行くのはやめようって」

「またいい子ぶったこと言っちゃって。そんなのん気なこと言ってるうちに、蒼太くん他の女の人に取られても知らないよ。実は意外とモテるんだから、蒼太くんって」

 和奏が不満そうな態度で立ち上がる。そして私のいるベッドをもう一度見て、念を押すようにつぶやいた。

「他の女の人だったら許さないからね」

「え?」

 私は顔を上げて和奏を見る。

「蒼太くんの彼女になる人。お姉ちゃん以外の人だったら、私が許さないから」

 そう言った和奏がふっと微笑む。そして私に背中を向けると、静かに部屋を出て行った。


「和奏……」

 私は閉じられたドアを見つめてから、膝の上の本を閉じる。ふと目に止まったのは、手元に置いてあるスマートフォン。

 ――蒼太くん来てくれないの?

 なにげなくそれを手に取った。

 ――蒼太くん他の女の人に取られても知らないよ。

 蒼太のことは信じている。離れていても大丈夫だって思っている。私はもう十年前の私じゃない。だけど――。

 会いたいな……。

 そんなことを思いながら手に持ったスマホを見つめる。

 声くらいなら、聞いてもいいかな……。

 その瞬間、電話の着信音が鳴り出して、私はあわてて耳に当てた。


「もしもし? 琴音?」

 どうして? どうしてこのタイミングで電話してくるの?

 声を詰まらせた私の耳に、蒼太の声が聞こえてくる。

「琴音? 大丈夫? どうかした?」

「ううん。なんでもない。久しぶりだね」

 振り絞るように声を出す。泣き出しそうになるのを必死にこらえながら。

「ごめん。急に電話して」

「どうしたの? 仕事終わったの?」

「うん。いま終わって外に出たとこ。海のそばにいる」

 私は電話を持ったまま耳を澄ます。

 懐かしい波の音、少し強い海風、鼻につく潮の香り……きっと今、蒼太が感じているはずのすべてのことが、私の目の前に浮かんでくる。

「真っ暗な海見てたら、琴音の声聞きたくなって……」

 蒼太の声を聞きながら口元を押さえた。

 蒼太も同じことを考えていた。遠く離れた場所にいるのに、私と同じことを考えていてくれた。

「琴音?」

 返事をしたいのに返事ができない。

「琴音……泣かないで」

「……やだな。泣いてないよ?」

 そう涙声で言った私に、電話の向こうで蒼太が笑う。


「琴音」

「うん?」

「今すごく琴音に会いたい」

 左手で涙をぬぐい、蒼太に答える。

「私も……蒼太に会いたい」

 会えない日が続くほど、会いたい気持ちが募っていく。

 こんなに誰かを愛おしいと思ったのは、生まれて初めてだ。

 私は素直な気持ちを言葉に変える。

「蒼太……会いたいの。早く迎えに来て」

「うん」

 目を閉じて、蒼太の声を胸にしまう。

「年末には迎えに行くから……待ってて」

 電話を耳に当てたまま、私はただ何度もうなずいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る