その夜再び降り始めた雨は、一晩中やむ気配がなかった。

 私は紗香の家の布団の中で、その音を聞く。静かに目を閉じて、そして十年前に聞いた蒼太の話を思い出す。

 ――こんな雨の日に、ふっと思い出すことがあるんだ。

 蒼太がお母さんの帰りを待っていた日の話。

 きっとその日、お母さんは帰って来なかったのだろう。次の日も、その次の日も……。

 だから蒼太の中のその雨は、いつまでも降り止むことはない。

 今夜も蒼太は雨の音を聞きながら、その日のことを思い出しているのだろうか。

 そんなことを考えたら眠れなくなった。

 ――だったら一緒に住むってのはどうだ?

 ふと思い出したのは、雄大に言われた言葉。

 ――お前がひとりで泣いてると思うと、一晩だってほっとけないんだよ。

 ああ、そうか。雄大もこんな気持ちだったんだ。

 そして私はあらためて、雄大に大事にされていたのだと気がつく。

 私が今、こんなにも蒼太のことを大事に想っているように。



「琴音ー、雨止んだよ」

 紗香の声で目を覚ます。のろのろと布団の上に起き上がった私の前で、紗香が勢いよくカーテンを開く。

「おはよ。ほら、外、いい天気!」

 うん、そうみたいね。部屋の中に、朝の眩しい光が差し込んでいる。

 梅雨が明けたのだろうか。それはもう真夏の日差しだった。

「ねぇ、琴音? ちょっといいかな?」

「ん、なに?」

 目をこすりながら紗香を見る。まだ頭がよく働かない。

「今朝、約束してたの?」

「約束? なんの?」

 紗香がいたずらっぽく笑って、窓の外を指さす。

「お客さん。来てますけど?」

「え? 誰が?」

 紗香に手を引っ張られ、二階の窓から外を見下ろす。

「蒼太?」

 私の声に気づいた蒼太が、自転車に乗ったまま手を上げて、ほんの少し微笑んだ。


 雨上がりの道路を、自転車を押す蒼太と並んで歩く。

 私たちの右側には、青い海がおだやかに広がっていた。

「なんか懐かしいね。こうやって歩くの」

 ちょっと歩かない? と蒼太に誘われた私は、高校生の頃みたいに、紗香に冷やかされながら外へ出た。約束もしていなかったのに、蒼太はいつから紗香の家の前で待っていたのだろう。

「あの頃は、琴音が自転車押してたな」

「うん。蒼太はいつも走ってきてたもんね。練習熱心なんだなぁって感心してた」

「違うよ」

 私の隣で蒼太が小さく笑う。

「自転車で来たら、帰りも自転車乗って帰るだろ? それよりも歩いて帰ったほうが、少しでも長く琴音と一緒にいられると思って……」

 そこまで言った蒼太が私を見る。私は恥ずかしくてついうつむいてしまった。

 もう十年も前の話なのに。そんなことで照れるような歳でもないはずなのに。


「そ、蒼太?」

 私は蒼太から顔をそむけたままつぶやく。

「私に何か、話したいことでもあったんじゃないの?」

 昨日は勢いであんなことを言ってしまったけれど、もしかして迷惑だとか言われたりしないだろうか。急に押し寄せる不安。

 だって私はまだ、蒼太の気持ちを聞いていない。

「え、ああ……うん」

 蒼太が少し考え込む。私は胸をドキドキさせながら、蒼太の返事を待つ。

 やがて蒼太が静かに口を開いた。

「昨日……琴音に言われた言葉なんだけど」

「……うん」

「俺のこと、幸せにしてくれるとか……言ってくれたよな?」

 ああ、改めて聞くと、私はなんて恥ずかしいことを言ってしまったのだろう。

「琴音にそう言われて、すごく嬉しいんだけど……でもそんなこと言われっぱなしで東京に帰しちゃうのって、なんかすごく情けなくないかって思って……」

 蒼太が隣で足を止める。私も同じように立ち止まる。

「琴音に、一緒に来てもらいたい所があるんだ」

 私は顔を上げて蒼太を見た。朝の眩しい日差しの中で、蒼太が少し照れくさそうに私に笑いかけた。

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