2
「琴音! ごめん! 俺、嘘ついた!」
その日、いつものように弁当を買いに来た雄大が、私の顔を見るなりそう言って頭を下げた。
外はしとしとと雨の降り続く、梅雨の季節となっていた。
「俺、お前と付き合ってる時、言ったよな。前の彼女とはもう絶対戻ることないって」
「あ、ああ、うん。言った」
私は戸惑いながら、カウンター越しに雄大を見る。
「ごめん、あれ嘘になった。なんていうか、その……あいつともう一度やり直すことになった!」
雄大の顔を黙って見つめる。バツが悪そうな表情のあと、雄大は苦笑いをした。
「よ、よかったじゃない! うん、よかった。よかったね!」
「そ、そうかな? よかったの、かな?」
ぎこちなくそう言い合ったら、なんだかおかしくなってふたりで笑った。
私と別れてから四ヶ月。ずっと雄大のことは気になっていた。
「あいつらとは、琴音と別れたあとも会ってた。でもこの前子どもの誕生日に会った時、彼女に言われたんだ。『もう子どもも大きくなったことだし、これからは母親なしでもいいよね』って。あれ、俺、もうこいつには会えなくなるのかって思ったら、なんていうか、すっごくヘンな気持ちになって」
そう言いながら、雄大は頭をかく。
「俺が『いや、それはないだろ。これからもこうやって三人で会おうや』って言ったら、泣き出したんだ。あいつ……」
私は黙って雄大の声を聞く。
「なんていうかさ、俺たち一度は別れたけど、定期的に会うのが当たり前になってて。もちろん最初は子どものためだったし、琴音と付き合ってる時は復縁なんて絶対ありえないって思ってたけど。まぁ、あいつも俺と会えなくなるのは嫌だったみたいで……」
そこまで言うと、雄大は照れたように顔を背けた。
私の頭に、クリスマスイルミネーションの中を幸せそうな顔をして歩く、雄大たち三人の姿が思い出される。
「ま、そういうことだ。一応琴音には言っておこうと思って」
「律儀なんだね。別れた彼女にまで報告してくれるなんて」
「あ、やっぱ、言わないほうがよかった?」
私は首を横にふる。
「ううん。話してくれてありがとう」
雄大はやっぱり真っ直ぐな人だった。私は雄大のそんなところが好きだった。そしてきっと彼女も、雄大のそんな正直なところが好きなんだと思う。
私の前で雄大が微笑む。そしてポケットの中をごそごそとあさりながら、私に向かって聞いてきた。
「ところでお前は? あいつから連絡来た?」
雄大がポケットから見つけた小銭を取り出し、カウンターの上に置く。私はそれを受け取りながら、小さく答えた。
「お母さんのところへは、たまに連絡来るみたい。元気でやってるから心配しないでって。でも私のところには……」
一度も蒼太から、私に連絡が来たことはない。
「逃げたんだな」
「え?」
「逃げたんだろ? 琴音と、琴音の妹から。もう面倒なことには関わりたくなかったのかもな?」
私は黙ってうつむいた。
突然いなくなったように思える蒼太だけど、実は前から兆候はあったらしい。
辞表を出した会社には、だいぶ前から「退職したい」と申し出ていたようだし、身の回りの荷物を持って家を出る時も「自立したいと前から考えていた」と母たちに話したと言う。
もちろん和奏は納得できずに、なぜか私のところへ文句を言いに来たけれど。
「蒼太くんって何考えてんの! ずっとそばにいるって言ったくせに! やっぱり私のことなんか大事じゃなかったんでしょ!」
和奏の声を聞きながら、十年前の自分を思い出した。
あの時の私もそう言った。私のことなんか好きでもないんでしょ、と。
その日の蒼太の苦しそうな顔を、私は今でも忘れていない。
蒼太は大事に思っていた。和奏のことを。きっと大事に思っていたからこそ、私たちの前からいなくなったのだ。
そしてあれからもう半年が経つ。
「追いかけて行っちゃえば?」
私の耳に雄大の声が聞こえた。
「俺だったら行っちゃうな。逃げたの探し出して、追いかけて、好きだって言っちゃうな」
「雄大……」
雄大が私を見てにかっと笑う。
「前にも言ったろ? 何もしないで後悔するより、ぶち当たって砕けたほうが全然いいって」
そんな雄大を見て、私も小さく笑ってみせる。
「そうだね……」
このままでは、十年前と変わらない。
「当たって砕けたほうが、全然いいね」
「砕けないかもしれないしな」
雄大がそっと手を伸ばし、私の頭をふわりとなでた。
「ありがとう。雄大」
顔を上げてそう言ったら、雄大が私を見て満足げに微笑んだ。
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