18
私のベッドで、和奏が横たわっている。
過呼吸になった和奏を落ち着かせ、蒼太の車で私のアパートまで来た。和奏の家へ帰るより、ここへ帰る方が近かったからだ。
私のベッドに横になった頃、和奏の症状はすっかり収まり、私に文句を言うほどに回復していた。
「お姉ちゃんの家に泊まるなんて、絶対イヤ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ? とにかく今夜はうちで休んで……」
「イヤ! 絶対イヤ!」
イヤイヤって……本当に子どもみたいだ。この子は。
「私だって嫌だよ。あんたなんか泊まらせるの。でもしょうがないじゃない。お母さんには蒼太が連絡してくれたから」
「もうほっといてよ! 私のことなんか!」
そう言って布団をかぶった和奏に言う。
「ほっときたいよ、私だって。私、あんたのこと、大っ嫌いだから」
今まで言いたくても言えなかった言葉を、私は和奏に向かって吐き出した。
「小さい頃から私のあとばかりついてきて、なんでも私の真似するし。病弱だからってお母さん独り占めするし、汚い手を使ってお母さんとお父さんを別れさせて、蒼太を独占しようとするし」
和奏は布団の中で丸くなったままだ。
「本当にあんたなんか、大っ嫌いだった」
胸に詰まっていた何かが、すとんと落ちた気がした。
ひどい姉だと思われたくなくて、薄汚い気持ちを閉じ込め、優しい姉を演じていた私。
嫌われることを覚悟してそれを取り払ったら、心が少し楽になれた。
もう嘘をつかなくて良いし、作り笑いも必要ないのだ。
「だけど……」
そして私は、布団の中で震えている和奏に言う。
「だけど私はそばにいるよ。あんたのことは大っ嫌いだけど。でも血のつながった、たったひとりの妹には違いないから」
そう、私が和奏のそばにいる。私が和奏を支えていく。
今なら素直にそう思える。
「……あいかわらずいい子ぶるね? お姉ちゃん」
布団の中からくぐもった声が聞こえた。
「ベッドの上から私がいつも、どんな思いでお姉ちゃんの背中を見送ったか。冷え切ったあの家の中でたったひとり、どんな気持ちで雨の音を聞いていたか……何でもできたお姉ちゃんに、わかるはずない」
「和奏……」
「蒼太くんに想われてるお姉ちゃんに、私の気持ちなんかわかるはずがないよ」
和奏の震える声が私の胸に響く。
「お姉ちゃんなんか……大っ嫌い」
私は黙ってベッドのそばに座っていた。
静かな部屋の中に、和奏のすすり泣く声が響く。
いつまでも、いつまでも。私は何も言わず、ただそばに座り続けた。
和奏のすすり泣く声が、おだやかな寝息に変わるまで。
「眠った?」
「うん。もう大丈夫だと思う」
アパートの階段を降りると、植え込みの淵に座っていた蒼太が立ち上がった。
蒼太の吐く白い息が、夜の空気に吸い込まれていく。
「蒼太は……泊まっていかないの?」
ついつぶやいた私の言葉に蒼太が小さく笑う。
「俺は上がれないよ、琴音の部屋には」
私には雄大がいるから。
「それに琴音が和奏についててくれるなら、俺は必要ないだろ」
「蒼太……」
ひんやりとした夜風が吹く。何気なく目に映る蒼太の手は、冷え切っているのだろうかと頭の隅で考える。
「蒼太、あのね……」
そして私は、アパートのぼんやりとした外灯の下でつぶやいた。
「和奏があんなふうになってしまったのは……私のせいなんだ」
遠くで救急車のサイレンが響いた。暗闇の中で聞くその音は、どことなく物悲しい。
「小さい頃、必死になって私についてくる和奏が邪魔で、わざとついてこれないように急いだの。発作を起こすたび母親にすがるあの子も憎かったし、何度も確かめるように『和奏のこと、大事?』って聞いてくるあの子も鬱陶しくて、何も答えてあげなかった」
私からすれば、なんでも持っているのは、いつだって和奏のほうだった。
病気のせいで周りから大事にされて、母親の愛情も独り占めして。
だから『この子さえいなければ』なんて恐ろしいことまで、心の底で思っていた。顔で笑顔を作って、優しいふりをしながら。
「和奏の寂しい気持ちなんて、これっぽっちもわかってなくて、わかってあげようともしなかった。私のせいなんだよ……全部」
両手で顔をおおって夜空を仰ぐ。どうしようもない感情で胸の中がいっぱいになる。
「冷たくてひどいお姉ちゃんだもの。妹に恨まれても仕方ないよね……」
「琴音……」
蒼太の声が聞こえる。だけどそれはとても遠い。
和奏の気持ちが少しでもわかると言っていた蒼太。蒼太のほうが私よりも、ずっと和奏の近くにいる。
「大丈夫だよ、琴音」
その声を聞きながら、私はゆっくりと顔をおろす。
「今からでもやり直せばいいよ。姉妹なんだから」
「蒼太……」
「俺、今夜気づいた。和奏のそばにいるとか言って、結局俺には何にもできないんだってこと。あの子のそばにいてあげるのは、琴音が一番いい」
私の前で蒼太が微笑む。昔と変わらない少し控え目な表情で。
「やり直せるのかな……今さら」
「やり直せるよ」
静かに蒼太の声を聞く。
「すぐには変わらなくても、きっと和奏だってわかってくれる。和奏は琴音に、ずっと助けてもらいたかったんだと思うから」
蒼太の前で小さくうなずいた。すると蒼太の手がゆっくりと動き、私の手をとった。
「大丈夫」
「蒼太……」
蒼太の冷たい指先が、私の指の隙間に絡みつく。
「大丈夫だよ」
返事の代わりに深く息を吐いた。自分でも驚くほどのなまめかしい息を。
私、どうかしている。
繋がった指の先から、体中が熱くなる。
心臓がどくどくと音を立て、今すぐ蒼太の体を、抱きしめたい衝動にかられてしまう。
この指先を離したくない。離さないで欲しい。
「あの夏……蒼太が町を出て行った朝」
どうして私は今、それを言おうとしているのだろう。
「私、本当はあそこへ行ったの。私たちがいつも会ってた場所。蒼太に会いたくて……でも遅かった。蒼太はもう、電車に乗ったあとだった」
蒼太の指先が私から離れた。私はもう一度息を吐き、潤んだ目で蒼太のことを見上げる。
「蒼太……私たちは、やり直せないの?」
もう一度あの頃に戻れるのなら、私は今度こそ素直になるから……。
すがるようにそう言った私のことを、蒼太が見ている。何も言わず、ただやるせない表情で。
冷たい風が吹く。どちらのものともわからない、深い吐息が闇に溶ける。
そしてその冬、私が蒼太の姿を見たのは、その夜が最後だった。
蒼太は私と和奏の前からいなくなってしまった。
行き先も、理由も告げず、突然に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます