17
「何やってるの? お姉ちゃん。こんなところで」
「和奏こそ……なんで?」
和奏はふふっと口元をゆるませると、蒼太の隣に立って言った。
「私、この近くでアルバイトを始めたから。帰りはいつも蒼太くんと待ち合わせして、一緒に帰ってるの」
アルバイト? 何もわざわざ、家からこんなに離れた場所で始めなくても。
「ね? 蒼太くん?」
和奏が寄り添うように、蒼太の腕に手を回す。蒼太はそれを、さりげなく振り払う。
「なによ。いつもしてるくせに。お姉ちゃんの前だからできないの?」
「いつもなんかしてないだろ?」
和奏がふっと笑って、蒼太に甘えるようにもう一度手を回した。
「ねぇ蒼太くん、お姉ちゃんも送って行ってあげたら? こんなところまで何しにきたのか知らないけど、ひとりぼっちでかわいそうだもん」
私はぎゅっと唇を噛みしめる。蒼太の肩に頭を寄せて、和奏が勝ち誇ったような目つきで私を見る。
その瞬間、私の中で何かが切れた。蒼太の腕に絡まる和奏の手を、私は思い切り振り払って叫ぶ。
「その手を離して!」
一瞬驚いた顔をした和奏に続けて言う。
「そうやって蒼太を縛り付けるのはやめて! 蒼太はあんたのものじゃないでしょ!」
「お姉ちゃんのものでもないじゃない。だいたいなんなの? お姉ちゃんには彼氏がいるくせに。それじゃ浮気してたお母さんと同じじゃない!」
「誰が浮気してるって言うの」
「浮気でしょ? 蒼太くんのことまだ好きだから、私に取られたくないんでしょ!」
思わず振り上げた私の手を、蒼太がつかんだ。
「もう、いい加減にしてくれ!」
私は蒼太につかまれた手をゆっくりと下へ降ろす。
「どうしてふたりともそんなふうにいがみ合ってるんだよ? ずっと一緒に暮らしていた姉妹なのに。昔はこんなんじゃなかったはずだろ?」
蒼太がそう言って、私と和奏の顔を代わる代わる見る。
「俺は、和奏のことも琴音のことも大事だよ。こんなこと言ったら、両方にいい顔してるって思われそうだけど……でもふたりのことは小さい頃から知ってるし、本当に大事だと思ってる」
私は和奏のことを見た。和奏はかすかに手を震わせて、少し青ざめた顔つきで、じっとそこに立っている。
「俺、和奏がいて欲しいって言うならそばにいるよ。これからもずっと。だからもう琴音を恨んだりするのやめろよ。自分でもわかってるんだろ? こんなことしても、何にも変わらないって」
蒼太は言い聞かせるように、和奏の顔を覗き込む。無表情だった和奏の顔が少しだけ変化する。
「ほんとに……そばにいてくれるの?」
和奏の声が震えている。
「いるよ」
「ほんとに蒼太くん……和奏のこと、大事なの?」
私は黙って和奏の声を聞いていた。
そういえば遠い昔にも、こんな声を聞いたような気がする。
――お姉ちゃん……和奏のこと、大事?
和奏は不安そうな顔つきで、何度も私に聞いた。
病気がちで学校へ行くこともままならなかった和奏。蒼太が言うように、他の人とは違う自分に気づいて、常に不安な思いを抱えていたのかもしれない。
もしかしたら私が学校へ行った後、父と母の崩れゆく関係を、和奏は一番近くで全部見ていたのかもしれない。
いつもそばにいてくれたはずの母の心が、他の人へ移ってゆく過程も。
だからすがるように私に聞いたのだ。自分を愛してくれる人を探し求めて。
和奏の前で蒼太が顔を上げる。
「大事だよ……」
一言ずつ噛みしめるように、蒼太は和奏に言った。
「大事だよ、和奏は。俺のたったひとりの……妹だから」
私の胸に、蒼太の言葉が染み込んでいく。そしてそれは、和奏の心へも届いたのだろう。
その瞬間、和奏が蒼太の前で、崩れるようにうずくまってしまった。
「和奏?」
和奏は胸を押さえ、激しく呼吸を繰り返している。
過呼吸だ。精神的に追い詰められた時、和奏は何度かこうなったことがある。
「和奏っ、おいっ……」
慌てる蒼太の前に出て、私はうずくまる和奏の背中をさすった。
「大丈夫。落ち着いて、和奏」
和奏が苦しそうに呼吸をしている。私はそんな和奏のそばにしゃがみ込み、声をかけ続けた。
「息を吸ったらゆっくり吐いて……そう、ゆっくり。大丈夫、大丈夫だから」
ああ、こんなふうに和奏に寄り添い、その肌に触れるのなんて何年ぶりだろう。
いつも私のあとを追いかけ、何度も何度も「和奏のこと、大事?」と聞いてきた私の妹。
そんな彼女のことを冷たく突き放したのは――他の誰でもない、この私なのだ。
和奏の呼吸が次第に落ち着いてくる。
私は背中をさすりながら、ゆっくりと顔を上げる。
心配そうに立ち尽くす蒼太が、黙って私たちのことを見下ろしていた。
暗闇の中で、何かをじっと考え込むようにして。
私はそんな蒼太の顔から、そっと視線をはずした。
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