15
「あの部屋、キャンセルしたい?」
「うん……」
その日、仕事帰りに雄大と会った。私から、どこか外で会って話したいと伝えたら、じゃあ飯でも食いながら話そうと、雄大がこの店を指定してきたのだ。
「それ、どういう理由で?」
商店街の中の、ちょっと古びた馴染みの定食屋さん。ここで私たちは何度も向き合って食事をした。いつも楽しく笑い合いながら。
「もしかしてあの元彼と、より戻っちゃったわけ?」
「違う。蒼太……小野寺さんとは、そんな関係じゃない」
「じゃあ、どうして?」
言葉が詰まって、目の前にあるまだ手をつけていない食事を見つめる。
雄大はそんな私の前で、小さくため息をついた。
「やっぱ俺がバツイチだから?」
「それも違うよ」
顔を上げた私に向かって雄大が言う。
「確かに俺はまだあいつらに会ってるよ。琴音には言ってなかったけど、実はこの前も会った」
あの夜のことだ。
「でももう、彼女のことはなんとも思ってないし、元に戻ることは絶対にない」
真っ直ぐ私を見て、そう話してくれる雄大の言葉は決して嘘ではないだろう。
雄大も和奏も、私と違って正直だ。
「違うの。雄大の過去は関係ない」
「じゃあ、なんでだよ?」
雄大がじっと私を見ている。私は前を向いて雄大に言う。
「私、雄大といると楽しいよ。結婚だって、考えなかったわけじゃない。だけどいつもどこかで違和感を抱えてた。だからこんな気持ちのまま、いつまでも雄大に甘えてちゃダメだなって……一度ちゃんと自分の気持ちと向き合いたいの」
黙って聞いていた雄大が、くしゃくしゃと自分の髪をかき混ぜる。
「俺は琴音に甘えてもらって、全然オッケーだけど? むしろお前はもっと、人に甘えたほうがいいと思う」
「雄大……」
「まぁ、お前の好きなようにすればいいけど」
ため息をつくようにそう言って、雄大は私から目をそらす。
「俺はさ、めんどくさい事ぐちゃぐちゃ考えてられないから、好きだと思ったら突っ走っちゃうし。まぁそれで一回失敗してるけど、でも後悔はしてねぇよ? 自分の気持ち押し殺してあとでぐちぐち後悔するより、失敗してずたずたに傷ついちゃった方がまだましだろ?」
私は黙って雄大の横顔を見る。店の中に流れるテレビの音がやけに大きく聞こえる。
「ただ、彼女と子どもには、ちゃんと責任取らなきゃいけないって思ってるけど」
雄大がそう言って、また私に視線を向けた。そして小さく笑うと、目の前にあった大盛りのご飯を口の中へかきこんだ。
「あー、お前も食えよ。飯冷めちゃったじゃねぇか」
「……うん」
箸を手に取った私に向かって、雄大はご飯を食べ続けながら言う。
「それからお前、あの店行ってキャンセルしてこいよ」
「え?」
「電話じゃなく、ちゃんと店まで行って、あいつと話して来い。もう同棲も結婚もやめますって」
「雄大……」
雄大が私を見てふっと笑う。
「別に俺、お前のことあきらめたわけじゃないけど」
私は持っていた箸に力をこめる。
「俺も前からずっと感じてたんだよな、その違和感ってやつ。琴音は俺じゃない誰かのことを、想ってるんじゃないかって」
店の中に笑い声が響いた。そばに座るおじさんたちが、ビールを飲みながらご機嫌な様子だ。
雄大は一瞬箸を止め、私の前でぽつりとつぶやく。
「それが……あいつだったのかもしれないな」
そうつぶやいた雄大の表情は、笑っていても寂しそうだった。この人にこんな顔をさせてしまったのは私だ。自分が傷つくことを恐れて何もしようとしなかった、私のせいなのだ。
「琴音の気持ちがはっきりするまで、俺は待つよ。まぁ今までだってずっと待ってたからな。今さらまた待たされたってどうってことねぇよ」
雄大の前で、私は唇をかみしめた。
「ごめん……ごめんなさい」
「だから謝るなっての」
どうしてそんなふうに優しくするの? 悪いのは全部私なのに。こんな私のことなんて、もう待ってくれなくていいのに。いっそ雄大に、ずたずたに傷つけてもらえばよかった。
「ほら、早く食えって」
「……うん」
涙をこらえて、ご飯を口にする。
「美味いだろ? 俺んちの米」
私はご飯をほおばりながら、ただ何度もうなずくことしかできなかった。
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