14

「さっきお姉ちゃんと逃げたでしょって言われた」

 電話を切った蒼太が、力なく笑って私に言う。

「開き直ってるんだね? つけてきたこと棚に上げて」

 私は窓の外を見たままつぶやく。

 店の前の信号が青になり、信号待ちをしていた人たちが一斉に歩き出す。

「和奏……今、そこの駅にいるらしい。気持ちが悪くなったから迎えに来てって」

 嘘に決まってる。

「私に何かあったら、蒼太くんとお姉ちゃんのせいだからって」

 もう冷めてしまったコーヒーのカップを強く握る。

 和奏はどんな手を使っても、蒼太を手放さないつもりだ。

 けれど嘘つきなのは、私も同じ。


「俺、行くよ」

 私の隣で蒼太が立ち上がる。

「こんな所まで誘っておいて、送ってあげられなくてごめん」

「気を使わないで。私は全然大丈夫」

 蒼太が私を見ているのがわかる。だけど私は絶対に蒼太の顔を見ようとしなかった。見ることができなかったのだ。

「じゃあ」

「うん」

 これで本当に最後かもしれない。蒼太の家も職場も私は知っているけれど、きっともう尋ねることはないだろう。

 蒼太は――和奏を選んだのだから。

 店を出て駅へと向かう、蒼太の姿が窓から見えた。

 そして私は想像する。

 青信号を渡って、改札を抜け、ホームへ出る蒼太。ベンチに座っている和奏が立ち上がり、蒼太の元へ駆け寄る。

 ふたりは同じ電車に乗って、同じ駅で降りて、同じ家へ帰るのだ。

 私が決して、立ち入ることのできない場所へ。

 そう思ったら、私の目から素直な涙があふれ出し、窓越しに浮かぶ蒼太の姿がぼやけていった。



 どのくらいそこにいたのだろう。

 気がつけば閉店時間で、私はひとり席を立ち、コーヒーショップをあとにする。

 外は北風が吹いていた。マフラーを首に巻きつけ、寒さに耐えながらアパートへ向かう。

 さっき蒼太と手をつないで駆け抜けた、イルミネーションの中をひとりで歩いた。

 寒いからなのか哀しいからなのか、また涙がこぼれそうになる。

 誰かにそばにいて欲しい。この冷えた体をあたためて欲しい。

 それを素直に伝えられれば、きっと楽になれるのに。

 そう思いながらふと和奏のことを思い出す。

 ――あの子の方がよっぽど素直だ。

 伝え方は狂っているかもしれないけれど、いつだって和奏は自分の気持ちを真っ直ぐぶつけてくる。

 私のように、下手な作り笑いなどせずに。


 商店街の途中で立ち止まる。ぼうっとした頭を回転させて、道路の反対側を見つめる。

 寄り添うように並んで歩く家族連れ。若い父親と母親の間に、小学生くらいの女の子。女の子は、ちょっと早いクリスマスプレゼントのような包みを、大事そうに抱えている。

 何かを話しながら歩いている三人は、とても幸せそうに見えた。

「雄大……」

 三人は道路の反対側を、私に気づくことなく駅へ向かって歩いて行く。

 ――ごめん。急に人と会うことになっちゃって。

 人と会うって、このことだったんだ。


 三人の姿が見えなくなると、私はまた歩き出した。

 どうしてだろう。どうして何も感じないのだろう。

 雄大が、別れた奥さんと娘さんと、幸せそうに歩いているのを見たのに。

 どうして私は何も感じないのだろう。

 立ち止まり、自分の心を確認するように、胸を押さえ息を吐く。

 ああ、そうか。そうなんだ。

 胸が痛くなるのは、家族と歩く雄大の姿ではなく、和奏と歩く蒼太の姿を想像すること。

 そして私が今、誰よりもそばにいて欲しいと願うのは、雄大ではなく蒼太だったのだ。

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