11

 車がアパートの前に着いたのは、もう遅い時間だった。

「……どうもありがとう」

 私はそうつぶやいて、車のドアを開ける。

「琴音……」

 降りようとした私の背中に、蒼太が何か言いかけた。けれどその言葉は、駆け寄ってきた太い声にかき消される。

「琴音! どこ行ってたんだよ! 熱あるのに部屋にいないし……すっごい心配したんだぞ!」

「雄大……」

 前に立った雄大が、不思議そうに私の降りた車を見る。

「ごめんね。ちょっと出かけたら具合悪くなっちゃって……送ってもらったの」

「誰に?」

 雄大が、開いたドアから車の中を覗き込む。

 薄闇の中、運転席に座る蒼太が、小さく雄大に向かって会釈した。

「え、なんで?」

 訳がわからないといった表情で、雄大が私に笑いかける。

 私はそんな雄大の顔を、ただ黙って見つめていた。



「つまり、その幼なじみの父親と琴音の母さんが再婚して、お前は父さんと田舎に残ったと。んで、この前偶然不動産屋で、その幼なじみと再会したってわけだな」

 私の説明を聞いた雄大が、私の部屋でそう言った。

 テーブルの上に置かれた二つのコーヒーは、口をつけることなく冷めていく。

「うん……そう」

「そりゃあ、よかったじゃないか。十年ぶりに会えたんだろ? だけどな、どうしてそれを俺に黙ってたわけ? 店で会った時も、お互い知らんぷりしてたし」

「それは……私たちが、あんまりいい別れ方をしなかったから」

 そうつぶやいてうつむいた私を、雄大が見ている。私の心の奥を、見透かそうとするかのように。


「……本当に、ただの幼なじみなのか? あいつ」

 私は深く息を吐き、正直に雄大に答える。

「高校の時、付き合ってた。少しだけ」

「元彼ってやつか。早く言えよ、それを」

「だって……」

 今度は雄大がため息を吐き、私のことを真っすぐ見て言う。

「琴音が過去に、男と付き合ってたって聞いても、俺は別に驚かねぇよ? 高校生で彼氏がいたって、別に不思議はねぇし。だいたい俺の過去のほうが、もっとすごいことしてるしな。だろ?」

 私は黙って雄大を見る。雄大は少し目を伏せ、小さく私に笑いかけてつぶやく。

「過去の話ってことで……いいんだよな?」

 三日月の下で、蒼太に言われた言葉を思い出す。

 ――好きなんだ。今でもまだ……琴音のことが。

 そう言った蒼太が、私の体を抱きしめた。強く、強く。私の心の奥を抉るように。


「雄大、私ね……」

「やっぱ、ちょっと待った!」

 大きな手を突然広げ、それを雄大が私の前に差し出す。そして困ったように頭をくしゃくしゃとかいてから、決まり悪そうに言った。

「やっぱり今はそれ以上言わないで。ちょっと頭整理して、あらためて話聞くから」

「……うん」

「今夜は帰るよ。もう寝な。まだ体調良くないんだろ?」

 立ち上がって部屋を出て行く雄大を見送る。

 仕事が終わってすぐに、この部屋に来てくれたという雄大。風邪をひいた私のことを心配して。

 その間私は和奏と母に会って、そして蒼太と会った。

「……琴音」

 玄関で靴を履きかけた雄大が、振り返って私を見た。

「な、何?」

 いつもの調子でふっと笑った雄大。そのまま私の顔をのぞきこむようにして、軽くキスする。

「おやすみ。俺以外の男を思い出して泣いたりするなよ」

「……しないよ」

 もう一度私に笑いかけ、雄大が背中を向けてドアを閉めた。

 私は力が抜けたように、その場に座り込む。

 雄大にキスされた唇が、いつもよりずっとずっと熱かった。

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