「なぁ、聞いてる? 琴音。俺の話」

「え?」

 我に返って顔を上げると、雄大のあきれたような顔が見えた。

「お前最近ずっと、うわの空だよな。どこか具合でも悪いのか?」

「そんなことないよ?」

 笑顔を作ってレジを打つ。弁当屋の前に立つ雄大が、そんな私に手招きをした。

「え? なに?」

「ちょっと顔」

「な、なんなの? こんなところでっ」

「は? 勘違いすんなよ。こんなところでキスなんかしないって。いいから顔貸せ、顔!」

 カウンター越しに恐る恐る顔を出すと、雄大の大きな手が私の額に触れた。

「んー、やっぱり熱あるんじゃないか?」

「熱?」

 そう言えばもうずっと頭が重い。なんだか寒気もするし。

 そんな私を見て、雄大がため息を吐く。

「まったくお前は。いつもぶっ倒れるまで我慢するんだからなぁ」

 我慢していたつもりはないけれど……。でも雄大は、私よりも私のことをわかってくれているような気がする。


「おばちゃん。悪いけどこいつ、早めに上がらせてもらえないかな?」

 雄大が奥にいる咲田さんに声をかける。

「あら、まぁ、どうしたの?」

 咲田さんがエプロンで手を拭きながら、店先まで出てきてくれた。

「こいつちょっと熱あるみたいで」

「だ、大丈夫だよ。どこも具合悪くないし」

「まぁまぁ大変! 琴音ちゃん、もうここはいいから、今日は帰って休みなさいよ!」

「え、あのっ、私本当に大丈夫ですから……」

「いいからおばちゃんの言うこと聞いとけ。俺は仕事中だから送ってやれないけどな」

 雄大がそう言って弁当の入った袋を手に取る。

「夜、お見舞いに行ってやるから。ちゃんと寝とけよ」

「あらー、雄大くん優しいのねぇ」

 苦笑いした雄大が、軽く手を上げて私たちの前から去って行く。

「ほら、琴音ちゃんも帰りなさい。あとは私に任せて。ちゃんと治してまたしっかり働いてちょうだい」

「……はい。すみません」

 咲田さんに見送られて店を出る。途端に頭がくらくらして、商店街の薬局で風邪薬を買って帰った。


 アパートに着いて集合ポストを開けると、いつもの桜色の封筒が目についた。

 ため息をひとつ吐きながら、それをつかんで丸めようとした時、手触りがいつもと違うことに気がついた。

 何か入ってる?

 その場で封筒を破いて中を見る。中には数枚の写真が入っていた。

「何なの……これ」

 背筋がぞくっと寒くなった。

 薄暗くなった駅のロータリー。写真の中で抱き合っているのは、私と蒼太だ。

「和奏……」

 どこで見てたの? どうしてこんなことをするの?

 封筒を裏返して差出人の欄を見る。小野寺和奏と書かれた名前の上に、暗記するほど見慣れてしまった住所が並んでいた。



 電車に乗って見知らぬ街で降りる。

 封筒に書かれた住所は何度も見ていたけれど、実際ここへ来たのは初めてだ。

 閑静な住宅街を少し歩くと、「小野寺」という表札が出ている、こぢんまりとした一軒家が見えた。

 私は立ち止まり、しばらくその家を眺めていた。

 綺麗に手入れがされている、小さな庭。

 玄関先に並べられた、かわいらしい花の咲いたプランター。

 ベランダに干してある、風に揺れる洗濯物。

 それはどこにでもありそうな、平凡だけど幸せな家庭の光景だ。

 和奏たちはいつからここに住んでいたのだろう。十年前のことは知らないが、私が東京へ出てきて手紙が送られてくるようになった五年前には、すでにここに住んでいたはずだ。

 封筒に書かれた住所は、五年間ずっと同じだったから。


「お姉ちゃん?」

 私の背中に声がかかった。

「やっぱり来たんだね?」

 十年ぶりに聞くその声に、私はゆっくりと振り返る。

「和奏……」

「久しぶり。お姉ちゃん」

 長かった黒髪を明るく染め、ふんわりとパーマをかけた和奏が、にこやかに私の前に立っていた。

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